Author Archives: nakagawa

花火の思い出

花火の思い出


私の故郷は世界遺産の三保の松原から見る富士山が美しい街、清水です。
昨日、東京に居を構えている同郷の友人から「花火大会を見に清水へ帰っているよ」と、メールがありました。
メールを読んだとたん一気に幼いころのお祭りと花火の風景が目の前に広がり、懐かしい数々の思い出が蘇りました。

季節は夏!
お祭りの日は電話がかかってきたり、人が訪ねてきたり、朝から大人たちがそわそわと落ちつきません。
それが子供たちにも伝染して、出番を待っている浴衣や色鮮やかな三尺が、床の間の前にきちんと畳んで置いてあるのを見るだけで、わくわくしたものでした。
日も陰り涼風が立ち、夏の宵が始まる頃、糊が効いてちょっと固い感じの浴衣をまとい家族4人揃って父の実家に向かいます。
父の実家は巴川(清水の中心を流れる川です)に架かる八千代橋のたもとにあり薪炭業を営む商家で、お商売の人や、親戚の叔父叔母たち、いとこたちも含めて、声の大きい陽気な人たちがいつも出入りしていて、笑い声があふれる、その賑わいを私は幼いながらも、こよなく愛していました。
実家は、昔の建物ですから、間口の広い玄関はガラスの引き戸でいつも開け放しです。
入ってすぐ事務所のようなスペースがあり抜けて細い土間を行くと仏間や坪庭のある客間奥には広い台所、食堂などがあり、ピカピカに磨かれていました。
おじいちゃんはいつも忙しくて留守、たまに釣り、働き者のおばあちゃんはお着物の上に真っ白い割烹着を着て、忙しく立ち働いていました。幼い私には、おばあちゃんが一番の実力者!一番偉い人に見えました。
お祭りの日は親戚中が集まる大イベントですから、夕食の支度、お酒の用意、子供たち(私と弟も含まれます)の世話、おばあちゃんの声も一段と大きくあちこち指示が飛び、3人の嫁たちは(うちの母も含まれます)もう大変な忙しさです。
ここで、私とおばあちゃんのエピソードをひとつ。

時が飛んで、故郷で迎えた、私の成人式の日のことです、振袖を着て式場に向かうついでに、写真を撮らなければということになりました。
式場まで車で送ってくれた父が、目抜き通りに面した小さな写真館を見つけ、車を止めて、私を連れて写真館に入りました。
入ってきた私を見て、店の奥にいたおじいさんが『おたけさん・・・』とつぶやいたのです。おたけさんはおばあちゃんの名前です。
そして「若い時のおたけさん、おたけさんが入ってきたのかと思った」とボソッとつぶやいて、中へ消えてしまいました。
私があのおばあちゃんに似ていることと、50年も前の若い時のおばあちゃんを覚えていてくれたことと、父がなんだかすごーく嬉しそうだったことが、故郷に帰った為に頂いたご縁だと、ちょっと感動したことは忘れられない思い出です。

祭りに話を戻します。
そうこうしているうちに花火の時間だ!となります。
一家総動員で大騒ぎのまま皆こぞって花火を見る特等席の八千代橋へと向かいます。
父は私の手をつなぎ、弟を肩車にして花火を待ちます。
昔の花火は一発と一発の間に時間が空くので、ちょっと時間が長く空くと見過ごしてしまうので、父が「栄里ちゃん、今、上がるよ!見てごらん」と声をかけくれます。私にはそれが不思議でどうしてパパはわかっちゃうのだろうと首をかしげながら、夜空に咲く大輪の花火にぽかんと口を開けて見とれておりました。
父は花火が大好きで、あの故郷の祭りが大好きで、父にとって子供たちと橋の上から見る花火は、とても大切な時間だったのだと思います。

東京には有名なお祭りと花火の名所がたくさんありますね。
時々電車の中で浴衣を美しく来た女性を見ると、今夜は花火があるんだなと知ります。
東京に住んで長くなりますが、ご縁がなかったのでしょうね、花火のお誘いを受けたこともなければ、自分から花火を見に行ったこともなく、幼いころのあの祭りと花火に興じた懐かしい時を思い出しもせず、今さらながら寂しいあまたの夏を過ごしてしまったことを残念に思います。
もう、その父もあの賑わいの実家もありません。
父が亡くなる夜は多摩川の花火が勢いよく上がりドーンという花火の音も聞こえて、病室からそれを眺めながら「パパ見て!大好きな花火があんなに上がっているよ!きっと送ってくれているんだね」と父に語り掛けたのは悲しい花火の思い出となってしまいました。
気が付けば今日は父の祥月命日です。
友からの夏の花火のメールは私にたくさんの思い出をもってきてくれました。
ありがとう。

夏のラッピング&ディスプレイ2025

夏のラッピング&ディスプレイ2025


ラッピングコーディネーター五味栄里先生が店舗のディスプレイや商品のラッピングについてワンポイントアドバイスしてくれる「ディスプレイ&ビジネスラッピング」シリーズ。

今回は「夏のラッピング&ディスプレイ」
色の選び方、組み合わせについても少しお話しています。
お店のディスプレイだけでなく、ご家庭の玄関などの飾りのヒントにもなるかもしれません。

年賀状

年賀状


新年あけましておめでとうございます。
穏やかなお正月をお過ごしになったことと思います。
お正月の一つの楽しみは年賀状ですね。
友人知人の消息や,動向などが一枚のはがきの狭いスペースに凝縮されていて、そこには様々な人生の縮図が息づいているようです。
その短い消息を読みながらいつも驚いたり、喜んだり、この瞬間が年賀状の楽しさだとも思います。
ただ残念なのは、「年賀状終い」のお葉書が何件か今年も届きました。
年齢を重ねれば年賀状書きも結構な労力と集中力が必要ですし、そのうえ最近の郵便料金の値上げは「年賀状終い」に悩んでいる私たち世代にとっては、決断への大きな後押しになったと思います。

年賀状

去年の暮れにも友人から「終い」のお葉書が届きました。
彼女とはそれほど深いご縁ではなかったのですが、彼女のお年賀状は、私にとっては、とても楽しみにしている一枚でしたので、いささかショックでした。
彼女はオペラへの造詣が深く、新国立劇場が落成した直後に、オペラ鑑賞のために傍近くのマンションを購入するほど人生をかけた趣味をお持ちの方です。また新居にお尋ねした時アウトドアー派のご主人様の自転車が、壁にオブジェのように掛けてあったり、驚く私に彼女の言葉が素敵でした!
「私たち!人生の楽しみのために働いているのよ、お金はそのために使うのよ」と、
カッコイイ!なぁ・・と、心の中でまさにブラボー!でした。
彼女とは30年近くお年賀状を交換してまいりました。
ある年のお年賀状です「夏休みに主人とザルツブルグに行ってオペラ三昧してきました。来年も行くぞ!」これを、見たとき、彼女はご自身の道をまっしぐらに進んでいるなぁーと心が震えました。羨ましくもあり、それと同時にがんばれ!の大喝采を心の中で送りました。
なので、毎年お元気かな?今年は何をなさっているのかな?と興味津々で楽しみに彼女の年賀状を手に取りました。ですから、彼女の「終い」のはがきを拝見した時、残念と思いつつも長い間楽しみをいただき「ありがとう!」の気持ちそのものでした。
長い間、素敵な夢を下さって、ワクワクさせていただいて、たくさんの元気を分けていただいて、ありがとう!この気持ちが高じて、すぐ「終い」の彼女のお葉書にお返事を出しました。

しばらくして思わぬ幸せが届きました。
なんと!彼女からツリーのついた豪華な便箋で、素敵なお返事が届いたのです。
その時彼女は「終い」のはがきを出したばかりで、辛くて心が痛んでいたそうです、その様なところにちょうど、私のお葉書が届いたとのことでした。
思いもよらないことでしたが、私のはがきが彼女の心をお助けしたとありました。
私は短い文面の中で彼女への気持ちをお伝えすることは不可能と思い、又気恥ずかしくもあったので、はがきの中でお伝えしたことは、ただただ長い間ありがとうの言葉だけでした。あまり詳細は覚えておりませんでしたのを、彼女が丁寧に私の書いた内容を伝えてくださいました。

「年賀状のご縁は切れましても、どこかでお目にかかれそうな気がいたしますね、その時はお互い元気に幸せを分かち合いたいですね」という内容だったようです。

終いのお葉書からふっと湧き出たような、人への思いやりの連鎖が素敵なご縁となって、また私に舞い戻ってきたように、私自身が思いがけない幸せをいただきました。
彼女のお手紙のなかにある「私の宝物にします」
この言葉こそ、私も彼女のお手紙とともに大切な宝物として取っておきたいと思いました。

年賀状は一枚のはがきのたった一行でも、その人とご縁がつながったと、安心する大きな役割を持っていますが、煩雑な作業で、大変な労力を伴います。
役割と労力とのバランスの均衡がとれなくなった時が辞め時かもしれません。
でも、年賀状を出さなくても。お会いしたければお電話して、メールをしてご縁をなくさないようなそれなりの、努力すればいいんだと考えれば、終いの壁もそれほどのことではないのかもしれませんね。
今年もよろしくお願いいたします!

リボンリースの作り方

リボンリースの作り方


今回はリボンリースの作り方。
期間限定で販売しているリボンリースキットを使って、作り方をご紹介します。
キットがなくても、似たような材料を使っていただければ、作れます。
飾りを変えれば、クリスマス、お正月など、季節ごとに使い続けられますよ。