Author Archives: nakagawa

人間ドック

人間ドック


私は、一年に1回定期的に人間ドックで健康チェックをしております。
今回は直近に受けたこの人間ドックのお話をしようと思います。
いつものことですが、人間ドックの検査日が近づくにつれ、健康への漠然とした不安や、検査の煩わしさに気持ちが萎えて、学生時代の期末試験が迫ってくる時と同じような憂鬱な気分になってしまいます。

さて当日、検査は先着順で今年の番号は4番でした。
ご想像通り、4番という番号に他愛ないゲン担ぎではありますが嫌な予感がして、気持ちがはなから落ち込んでしまいました。
そうこうしているうちに名前を呼ばれて、いよいよ検査が始まりました。次々と手際よく係の方が指示をして検査は進んでまいります。エコー検査の順番がきました。これもドキドキする検査です。
技師さんが器機を持ち、私の体の上であちこちと動かしているのですが、その器機を長く止めた時はドキリとします。「何かあったのかしら?・・・首をひねっているように見えるし、じっと画面をみているし・・きっと悪いものが写っているんだ、ああ~とうとう年貢の納めどきかも」と悪い想像ばかりして、とんでもなくチキンな私になってしまいます。

人間ドック

マンモグラフィーも大問題な検査です。
私の胸のお肉を機械の上に乗っけるために、技師さんの手がそのお肉をまとめて引っ張って、畳んじゃうくらいの勢いでかき集めます「この人は(技師さんのこと)私の胸を何だと思っているの!そんなに、引っ張ってお餅みたいにペタンコにつぶさないでよ!」と叫びたくなるのをぐっと我慢してがんばります。でも痛い、とにかく痛い「ぐえー!い・た・い!何をするのよ!」とケンカを売る寸前で「ハイ元に戻ります」と技師さんの落ち着いた声が検査室に響きます。上からと横からと左右2回計4回も、ぎりぎりの痛みの極限を味わうので、終わったときは大きなため息とともにその解放感たるや、幸せと勘違いしそうになります。

そして今年のメインイベントは大腸カメラでした。
久しぶりの検査なので説明書を見ながら前日の夜にお薬を飲み始めましたが効いてきたのがなんと夜中。丑三つ時に眠ることもできずにふらふらとお化けのような様相でトイレとベッドを何度も往復しました。
カメラは8年前の前回のときにはさして痛くなかったので、元気に検査室に入ったのですが…いやはや何とも言えない苦しさで先生の問いかけに返事すらできない状態になると、そのたびに先生が「アラー元気なくなっちゃたわねえ!」などと元気に言ってきますが、そちらは元気でしょうが、こちらはそれどころではありません!もう早く終わってくれと必死で願うばかりでした。

最後に先生が「結果は数週間後です」との宣告で、なんだか大きな宿題を背負わされたような気分で検査室を出ました。
実はこの検査結果が出るまでの数週間は大変に悩んだ地獄の数週間となりました。
もし結果が最悪だったら・・と頭の中に大きな重たい石がゴロンと転がっているような感覚です。この石がいろいろなことを私に考えさせます。

まずは高齢の母のことです。
入院となったら誰に母をお願いしようか?ショートステイに預けたら認知症になってしまうかも、弟のところはどうだろう?果たして母が行くと言うか・・など問題は複雑です。
息子については、もう心配は不要ですが、きっと私の病気を知ったら残念がるだろうな。(涙ポロリ)
そうだ!いよいよという時は、アクセサリー、バッグ、時計などは大したものはないけれど、それでも一応、誰に何を残したらいいのかを、考えなくてはいけない。
いやその前にベランダの植木を、どうしよう?この猛暑の中、誰に毎日の水を頼んだらいいのか。頼める人は誰もいない。枯れるしかないの?かわいそうな私の花々たち。
心配事は際限なく泉のように湧いて出てきます。
朝起きると、まずその石がごろんと胸がつかえるように落ちてきます、友達と笑いながら楽しい時間を過ごしていても,私の笑い声を封じるように喉の奥まで石が詰まって苦しくなってきます。食欲もなくなったような気がするので、心なし痩せるんじゃないかと希望を持ったのですが、これはなかなかというより全然痩せませんでしたが。

そのような地獄の数週間を過ごし、やっと検査結果の日を迎えることができました。
名前を呼ばれて先生の前に座り、お話をお聞きしました。
結局、経過観察で来年も同じ検査をしてくださいとのことでした。
すぐ入院、手術でなくてよかったのですが、1年寿命が延びたような気持ちになりました。
この数週間のおかげで健康のありがたさが痛いほどわかりました。

そのような日々を過ごした後のある朝、テレビで、ジャーナリストの稲垣えみこ子さんのシンプルライフについての特集をみました。彼女は冷蔵庫も、クーラーも、お風呂も無く、電灯一つ、ガスコンロ一つの、究極のそぎ落としの人生を実践している人です。
彼女は「前は海外旅行に行きたいと思いました。シンプルライフを実践するようになったら外をお散歩できれば、今日も幸せだなと思えるようになりました。
もし寝たきりになっても、朝天井を見て、よかったなと思えるようになりたい・・」と
自分の周りにある複雑な絡み合った関係性を直視したイタイ日々を過ごした後だったこともあるのでしょう、この言葉を聞いた私は不思議な感動を覚えました。
でも稲垣さんのような心境になるのは私には絶対に無理だということも同時に分かりました。私には気になることが多すぎて、入院さえも心おきなくできないのが現実だからです。
そしてちょっとだけ、自分がかわいそうになりました。

でも、見方を変えればその複雑な関係性の一つ一つが今の私の命を形作る大切な基本なのかもしれないと、思い直すこともできました。
今は何が正しいのか、本当に大切なのか何なのかはよくはわからないのですが、命の過ごし方は人それぞれだと思います。
ただ宿命に沿って流されて行くのは仕方のないことでしょうが、静かに自分の今の立ち位置を見回して、少しだけでも修正するか、それができなかったら認識することも大切なことなのだと、私の心の片隅がぱちりと目を覚ました気がいたしました。
数日後、テレビの下の書類を全部捨てて、すっきりと空いた棚を美しいと眺めている私がいました。

オリジナルプリントしたリボンで推しグッズを作ろう

オリジナルプリントしたリボンで推しグッズを作ろう


好きな文字やイラストをリボンにプリントできる「プリントリボン」
今回、あらたに<推し色>のリボンがたくさん追加になりました!
そこで、「推し色のリボン」で、「推しの名前やイラストをプリント」して、「推しグッズを作ろう!」というテーマです。
まずは、うちわとペンライトをプリントリボンでデコレーションしてみました!

プリントリボンの詳細はこちらです
https://oshaberibbon.com/oshi-iro/

オリジナルプリントしたリボンで推しグッズを作ろう

夏のラッピング&ディスプレイ(2023)

夏のラッピング&ディスプレイ(2023)


ラッピングコーディネーター五味栄里先生が店舗のディスプレイや商品のラッピングについてワンポイントアドバイスしてくれる「ディスプレイ&ビジネスラッピング」シリーズ。

今回は夏のディスプレイをご紹介します。
イメージは夏野菜、カラーは紫色でまとめてみました。

ブライダルのラッピング&ディスプレイ

ブライダルのラッピング&ディスプレイ


ラッピングコーディネーター五味栄里先生が店舗のディスプレイや商品のラッピングについてワンポイントアドバイスしてくれる「ディスプレイ&ビジネスラッピング」シリーズ。

今回は「ブライダルのラッピング&ディスプレイ」
白を中心にしたラッピングディスプレイのコツを紹介。レースペーパーを使ったラッピングミニ講座もあります。

仕事の中でお会いした忘れられない女性

仕事でお会いした忘れられない女性


私は、一昨日コロナ二回目の感染と分かり、ただ今自宅謹慎しております。何という不幸せ!・・・
病状は花粉症と勘違いするほど軽いので、コロナも二回目ともなると少しは手加減してくれるのかなぁと腹立たしさ半分、開き直り半分でPCに向かっております。
という事で、今月は急きょ久しぶりのエッセイに変更して、療養中のベッドの中で考えた「仕事の中でお会いした忘れられない女性」についてお話することに致しました。

話の始めは古くて恐縮ですが、30年近く前のことです。
都内百貨店から従業員のラッピング指導の依頼を受けました。
当時の私にとってこの百貨店は、店の中を歩き、洗練された商品を見るだけでも楽しくなる大好きな、憧れの店でした。
百貨店の包装といえば技術的には最高レベルと考えられていた時代です。
その従業員の方たちにラッピングを指導するということは、プロ中のプロに教えるという認識で、業界の最高峰に自分が認められ、そしてそれが憧れの百貨店だったという名誉と喜びで胸が高鳴りました。

最初のお打ち合わせの時でした。
その女性の第一印象は、私と同年くらいでしょうか、細身で、品の良いハイブランドのスーツで身を固め、表情も硬く笑顔もないので、少し冷たい感じがいたしました。
簡単なごあいさつの後、その人から出た最初の言葉は
「どうにかしなければと困っています、包む技術を向上するように先生!一緒にやっていただけませんか?」でした。その言い方が切羽詰まっていて、見た目のクールさと発する熱い言葉のギャップに驚きました。

仕事の中でお会いした忘れられない女性

彼女の心配を詳しくお聞きすると、現場ではせっかくの高級なリボンが美しく結べていない、包みも不安でこのままにしておくと百貨店としてのプライドのある包装技術が後退してしまうということでした。
その大きな危機感が彼女の言葉から切々と伝わってきましたので、見本としてご用意しておいた太幅のリボンを使って華やかにダブル蝶リボンで結んだラッピングを取り出して彼女にお見せしました。
すると、眼を大きく見開いて「ほぅー」という深いため息をつき、しばらくそのリボンをうっとりと眺めてから、私の方に向き直ると「先生、店頭でこういうリボンを結べるようになりますか?」と正面から私の眼を射るように見て問いかけてきました。
私も「はい、がんばります!山崎さんもご協力してくださいますか?」と答えると
「もちろんです。一緒に頑張ります。このようなリボンを皆が結べるようになるのが私の夢です」と力強く答えてくださいました。
この時こそ、私と彼女の心が、がっちりと握手をした瞬間でした。

それからはいろいろなことがありました、ことの行き違いから彼女が机をたたいて怒ったこともありました。それに対して私も一歩も引きませんでした。結局は周りの心無い人の中傷だと分かり、彼女は徹底的にその人を排除してしまいました。社内の調整のことはおまかせくださいと、彼女はそのように言いながら着々と私が指導しやすいように社内の体制を整えてくださいました。

従業員教育のラッピングセミナーを開始するという情報を、企業としてメディアに発表した時も外部のラッピッグコーディネーターからたくさんの自薦他薦の問い合わせがあり大変だったそうです。
私がびっくりしてそのお話をお聞きしていると、「先生はご自分からこんなことする方ではありませんよね」と笑っていらっしゃいました。その日一日はその対応で忙殺されたとのことでした。私はまるで人ごとのようにお聞きしながら、そこに安心感を感じ、彼女に守られているなぁと思いました。

ラッピング講座も実際に始まると、セミナーでは一生懸命に受講している従業員の後ろにはいつも彼女の姿があり、小さい体なのにこれが防波堤のように力強く私には大きな逞しい用心棒みたいに見えたものでした。
それから数年ラッピング講座も順調に続いていた矢先、彼女から「先生、私、癌になりました」「しばらく休みます」と伝えられました。それから2年程は入退院を繰り返し、セミナーもその合間にお顔を出してくださいましたが、結局は亡くなられてしまいました。

彼女は結婚もしないでまるでお店と結婚したみたいな人でした。定年になったら貯めたお金で赤いスポーツカーに乗って楽しく暮らしますと、おっしゃっていました。
あんなにお店のことを思い、部下を育て、接客の神様みたいな人だったので、彼女の死はお店にとっては大きな損失には違いないのでしょうが、時が移れば皆彼女のことを、忘れてしまうのだろうと思うと、もったいないことで、残念だと、何もできない自分を私は歯がゆく感じておりました。

しばらくして、彼女のいないラッピングセミナーで、ダブルの蝶リボンを指導している時でした。最初の彼女との出会いを思い出し、不意に口を突いて出たのは「このリボンの名前は,ヤマザキリボンです」という言葉でした。
それからはダブルの蝶リボンを教えるたびに私はヤマザキリボンの名前の由来を伝え、こういう素晴らしい人があなたたちの先輩にいらしたと、だからこの人の夢だったダブルの蝶リボンを美しく結んでね。そしてこの人に負けないほどの素晴らしいお仕事をしてくださいと伝えました。

この企業様とはそれから20年近く長くご愛顧を頂きましたが、現在はご縁も切れております。でも、きっとあの館の中でヤマザキリボンはしっかりと根付いて大切なギフトに使われていて、彼女の名前が美しいリボンのノウハウと共にどこかに残っていると信じております。
彼女の私への最後の伝言は「ラッピング講座は五味先生に任せておけば大丈夫」と彼女の部下が伝えてくださいました。
ありがたい言葉で、この言葉をお聞きした時、思わず涙があふれました。合掌

春のラッピング&ディスプレイ(2023)

春のラッピング&ディスプレイ(2023)


ラッピングコーディネーター五味栄里先生が店舗のディスプレイや商品のラッピングについてワンポイントアドバイスしてくれる「ディスプレイ&ビジネスラッピング」シリーズ。

スペースがあまりない場合や、普段と変化をつけたい場合などは、タワー型に積み重ねるディスプレイはいかがでしょうか?カラーは、春なのでピンクとブルーの組み合わせで。