ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

仕事でお会いした忘れられない女性


私は、一昨日コロナ二回目の感染と分かり、ただ今自宅謹慎しております。何という不幸せ!・・・
病状は花粉症と勘違いするほど軽いので、コロナも二回目ともなると少しは手加減してくれるのかなぁと腹立たしさ半分、開き直り半分でPCに向かっております。
という事で、今月は急きょ久しぶりのエッセイに変更して、療養中のベッドの中で考えた「仕事の中でお会いした忘れられない女性」についてお話することに致しました。

話の始めは古くて恐縮ですが、30年近く前のことです。
都内百貨店から従業員のラッピング指導の依頼を受けました。
当時の私にとってこの百貨店は、店の中を歩き、洗練された商品を見るだけでも楽しくなる大好きな、憧れの店でした。
百貨店の包装といえば技術的には最高レベルと考えられていた時代です。
その従業員の方たちにラッピングを指導するということは、プロ中のプロに教えるという認識で、業界の最高峰に自分が認められ、そしてそれが憧れの百貨店だったという名誉と喜びで胸が高鳴りました。

最初のお打ち合わせの時でした。
その女性の第一印象は、私と同年くらいでしょうか、細身で、品の良いハイブランドのスーツで身を固め、表情も硬く笑顔もないので、少し冷たい感じがいたしました。
簡単なごあいさつの後、その人から出た最初の言葉は
「どうにかしなければと困っています、包む技術を向上するように先生!一緒にやっていただけませんか?」でした。その言い方が切羽詰まっていて、見た目のクールさと発する熱い言葉のギャップに驚きました。

仕事の中でお会いした忘れられない女性

彼女の心配を詳しくお聞きすると、現場ではせっかくの高級なリボンが美しく結べていない、包みも不安でこのままにしておくと百貨店としてのプライドのある包装技術が後退してしまうということでした。
その大きな危機感が彼女の言葉から切々と伝わってきましたので、見本としてご用意しておいた太幅のリボンを使って華やかにダブル蝶リボンで結んだラッピングを取り出して彼女にお見せしました。
すると、眼を大きく見開いて「ほぅー」という深いため息をつき、しばらくそのリボンをうっとりと眺めてから、私の方に向き直ると「先生、店頭でこういうリボンを結べるようになりますか?」と正面から私の眼を射るように見て問いかけてきました。
私も「はい、がんばります!山崎さんもご協力してくださいますか?」と答えると
「もちろんです。一緒に頑張ります。このようなリボンを皆が結べるようになるのが私の夢です」と力強く答えてくださいました。
この時こそ、私と彼女の心が、がっちりと握手をした瞬間でした。

それからはいろいろなことがありました、ことの行き違いから彼女が机をたたいて怒ったこともありました。それに対して私も一歩も引きませんでした。結局は周りの心無い人の中傷だと分かり、彼女は徹底的にその人を排除してしまいました。社内の調整のことはおまかせくださいと、彼女はそのように言いながら着々と私が指導しやすいように社内の体制を整えてくださいました。

従業員教育のラッピングセミナーを開始するという情報を、企業としてメディアに発表した時も外部のラッピッグコーディネーターからたくさんの自薦他薦の問い合わせがあり大変だったそうです。
私がびっくりしてそのお話をお聞きしていると、「先生はご自分からこんなことする方ではありませんよね」と笑っていらっしゃいました。その日一日はその対応で忙殺されたとのことでした。私はまるで人ごとのようにお聞きしながら、そこに安心感を感じ、彼女に守られているなぁと思いました。

ラッピング講座も実際に始まると、セミナーでは一生懸命に受講している従業員の後ろにはいつも彼女の姿があり、小さい体なのにこれが防波堤のように力強く私には大きな逞しい用心棒みたいに見えたものでした。
それから数年ラッピング講座も順調に続いていた矢先、彼女から「先生、私、癌になりました」「しばらく休みます」と伝えられました。それから2年程は入退院を繰り返し、セミナーもその合間にお顔を出してくださいましたが、結局は亡くなられてしまいました。

彼女は結婚もしないでまるでお店と結婚したみたいな人でした。定年になったら貯めたお金で赤いスポーツカーに乗って楽しく暮らしますと、おっしゃっていました。
あんなにお店のことを思い、部下を育て、接客の神様みたいな人だったので、彼女の死はお店にとっては大きな損失には違いないのでしょうが、時が移れば皆彼女のことを、忘れてしまうのだろうと思うと、もったいないことで、残念だと、何もできない自分を私は歯がゆく感じておりました。

しばらくして、彼女のいないラッピングセミナーで、ダブルの蝶リボンを指導している時でした。最初の彼女との出会いを思い出し、不意に口を突いて出たのは「このリボンの名前は,ヤマザキリボンです」という言葉でした。
それからはダブルの蝶リボンを教えるたびに私はヤマザキリボンの名前の由来を伝え、こういう素晴らしい人があなたたちの先輩にいらしたと、だからこの人の夢だったダブルの蝶リボンを美しく結んでね。そしてこの人に負けないほどの素晴らしいお仕事をしてくださいと伝えました。

この企業様とはそれから20年近く長くご愛顧を頂きましたが、現在はご縁も切れております。でも、きっとあの館の中でヤマザキリボンはしっかりと根付いて大切なギフトに使われていて、彼女の名前が美しいリボンのノウハウと共にどこかに残っていると信じております。
彼女の私への最後の伝言は「ラッピング講座は五味先生に任せておけば大丈夫」と彼女の部下が伝えてくださいました。
ありがたい言葉で、この言葉をお聞きした時、思わず涙があふれました。合掌