ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど
半年ぶりのエッセイです。
2022年は戦争、円安、値上げ、銃撃、コロナ第7波など騒然とした景色の中で、あっという間に半ばが過ぎようとしております。
要約すれば上記のような簡単な言葉で収まってしまいますが、その一つ一つはこれからの歴史の中でそれについて多くを語られていく重大な物事だと感じています。
残念なことに楽しい事象は一つもなく、この時代の闇の深さの奥にある、底知れない絶望感をひしひしと、庶民のレベルで感じております。
のっけから暗いスタートになってしまいましたね、ちょっと気分転換して、いくつか楽しい写真で庶民レベルのエッセイをどうぞお読みください。
母が久しぶりにエッセイに登場です、朝鮮漬けのデビューから今は94歳になりました。
3か月のひ孫を抱いて、シャッターチャンス!
気が付けば・・この二人の年の差はなんと!94歳です。
「この赤ちゃんも94年たったらこうなります。」のビフォア、アフターです。
赤ちゃんはふわふわのお肌と小さな手足が可愛いですね。気持ちよさそうに抱っこされています。94歳の方は抱っこして、すぐ『重い、落したら大変!』と音を上げておりました。
湯布院へ行ってまいりました。いっとき、湯布院は名が知れていくにつれて、雑多なお店が制限なく出てきて、街の雰囲気がしっとりではなく、ガチャガチャとした落ち着かないものになって・・「あらら、どうしちゃったのかな?」と心配しておりました。
しかし、ここ近年で軌道修正がばっちりと決まり、店のファサードも高級感を出し、派手な色も払拭して、おしゃれな統一感のある街に変わってきたように感じております。
さすが湯布院には優れたリーダーがいらっしゃるのですね!
その日は生憎の曇天で、くだんのメインストリートを歩いていると雨も落ちてきて、「せっかくのショッピングタイムも楽しさ半減」なんて空を見上げながらぼやいていたら、1個500円!の看板が目に入りました。
「えっ? 何が500円❓」と二度見したら、小さな一輪挿し、早速、あーだこーだと選んで2個購入しました。
ストライプの方はトイレ、茶色の方は洗面所に飾りました。手作り感が小ささと相まって、なんともいえぬ可愛さを醸し出していますよね。価格も値ごろ感があって素晴らしい。
挿してあるお花は我が家のベランダの地産地消です。(湯布院のキャッチフレーズ)
ちなみにうちの玄関に飾ってある町並のミニチュアですが、手前の3個のお家は数年前に同じお店で購入したものです。 やはり好みのテイストいつまでも変わらないのね・・・
雨の日の一輪挿しの続きです。買い物した後ランチするところをネットで探して「空想の森アルテジオ」という小さな美術館のティールーム「テテオ」に行ってみました。
エントランスはちょっと近寄りがたい無機質な雰囲気で、相当な高さのあるコンクリート壁に囲まれた細い道を通って中に入ります。
正面の扉を開けると目の前にチョコレートやさんがあり、その奥がティールームのテテオでした。
テテオはエントランスとは雰囲気ががらりと変わり、親しみやすい感じで、硝子戸越しに庭を見渡すことが出来る開放的な感じのティールームでした。
残念ですが、メニューの品数は決して多くはありませんでした。
私は野菜カレーをお願いしましたところ、これが出てきたカレーです。
思わず『うわー可愛い、ケーキみたい』ご想像ください、良いおばさんが胸に手を当て、叫んでいる姿を、いやはや恥を忍んで申しますが、本当に我を忘れるくらい可愛くて、びっくりしちゃったのです。湯布院の地産地消の新鮮御野菜が彩も鮮やかにデコレートされていて、見た目も、勿論お味も感動ものでした。素晴らしい!
さすが、日本に冠たる温泉地湯布院でした。
友人から、四角い箱が届きました、なんだろうと開けてみましたら
プチトマトが箱入りむすめのように・・というよりまるで宝石のようにきれいに並んで入っています。「かわいい!!」
1粒頂くと、新鮮で甘くてそのおいしさに驚きました。都内の農園で作っているトマトだそうですが、こんなに甘い絶品が都内でも収穫できるのですね。
トマトの上にはそっとハーブの小さなブーケが置いてありました。その農園の優しさがハーブの香りとともにいつまでも漂い、友人のお気持ちと共にとても幸せを感じるギフトでした。ありがとうございました。
先程までは写真を見ながら、楽しくエッセイを書いていた私でしたが、エッセイのために貯めておいた半年間この写真をあらためて見直すと、それぞれの生活は滞りなく過ごせていますが、実はこの写真の同時間に地球のどこかで激しい変化の流れが起こっていたことに気が付き、ドキリとしました。
明確に見えない、実際に肌で感じないので私たちの時間は平穏に過ぎて行っていると錯覚してしまいますが、変化にもっと敏感にならなければいけないのだと思いました。
そして微かに鳴り続けている地球規模、人類として、国家としての危険に対する警鐘の鐘の音を聞き逃さないようにすることが大切なのだと不安の中で考えました。
このような漠然とした不安が普段の生活の中でも常に存在する今の私達・・・実はこれこそこの時代に生きていく私たちの大きな不幸だと悲しく感じました。