Author Archives: nakagawa

太陽の子、日陰の子

太陽の子、日陰の子


暑い日が続いて仕事以外には外に出る気にもならず、事務所のカーテンも紫外線除けに昼間から下げているような「日陰の子」の私の元に、頭がくらくらするほど暑い日の昼下がりに、その友人は訪ねてきました。
彼女は、つば広の帽子とサングラス、日よけのアームカバー、背中にはリュックといういでたちで、スカーフ代わりのガーゼの手ぬぐいを首からはずし大量の汗を拭きふき玄関に入ってきました。そしてニコーッと笑って「あっついねーーーーー!」と・・・ひとこと。
挨拶もそこそこにまあまあとにかく暑い中、よくおいで下さいましたと、冷房の効いているリビングに案内しました。冷たい飲み物を一息にグーッと飲んで、彼女が人心地ついたところで、初めて「元気そうだね」という私の言葉に、彼女は頷きながら太陽のような笑顔で「ほら・・これ!」と新聞紙で巻いたものを私に差し出しました。
開いたらそこにはハーブとお花‥。すごい!野原をドカンと切り取ってきたみたいなおみやげ!です。それはすべて、彼女のお庭で丹精された青々として美しく元気でぴんぴんしている草花たちでした。
すると彼女が、これとこれ・・といって手早く緑の葉っぱを選り分けて「これがハーブティーの材料。残りは花瓶に活けてね。」と言いました!
早速お花を活けてみました。


ピンクの花の名前はエキナセア、そして確かではありませんが紫の花が蔓花茄子(つるはななす)だと思います。野の花は慎ましく,楚々としていて、華やかさはありませんが,活けることの技巧など一切受け入れない強さと個性があります。どう活けても形になるから不思議・・・お土産の花束に巻いてあった、捨てるにはもったいない素敵な緑の麻ひもを、ガラスの花瓶に飾ってみました。

しばらくは久しぶりのお話に花が咲いて楽しい時間が過ぎていきました。やがてブレイクタイムとなり、彼女がお持たせのハーブでおいしいお茶を作ってくれました。
ハーブはレモンバーベナ、レモングラス、レモンバーム、シナモンマートル、コモンセイジ、ミントだそうです。

  • まずホーローのお鍋でお湯を沸かして(二人分で500㎜ℓ)
  • そこに手で豪快にちぎったハーブを入れます
  • 一煮立ちさせたら火を止めます。
  • ふたをして5分蒸らします。

ふたを開けると、瑞々しい香りが鼻腔の奥に入り日陰の子の体に太陽のエネルギーがじわじわと染み通りました。
色はほんのりとした若草色、だから「器は透明か、白ね。」と!彼女。
器にトクトクと注ぐと小さなさざ波が器の中で揺れて、角度によっては黄金色にも変わる不思議な液体.両の手で器を持って一滴ごと大切に味わいました。もちろんハーブティーは初めてではありませんが、虫や風から守り育てた人がいて、その人がその草を採り自ら煎じてくれたお茶です。何と滋養あふれる滴なのでしょうか・・・。
その美味しいこと。味がしっかりとして香りも味と競うようについてきます。本物ってこういうことなんだなぁと、しみじみおもいました。

土と太陽と水、そして人の丹精で植物は育ちます。
私もベランダに小さな庭を持っています。夕方涼しいときに水をやりながら一つ一つの葉っぱや花と心の中で語らいながら楽しい時間を過ごします。台風のときなどははらはらとその狼藉が痛ましくて,ベランダの庭の方はつらくて見ることができません。
また、新しい蕾や芽を持っているのを見つけた時は、家族が増えたような喜びで代えがたいものがあります。都会のど真ん中の空のありかさえわからないような生活の中で、私の庭は私の心のお休み処です。
おみやげの草花たちは私の庭にはない、自然の香りがいっぱいで力強く野趣の魅力に富んでいました。私のベランダの木々や花たちも一生懸命生きているけれど、本当はこんなところで根や枝を広げるよりも、彼女の庭のようなところでのびのびと生きた方が幸せなんだろうなと、彼女が帰った夕暮れにちょっぴり淋しい気持ちになってしまったのは・・・。
太陽のお使いみたいな彼女のエネルギーとあの本物のハーブティーの仕業でしょうか?

素敵な人

素敵な人


素敵な人…どのようなイメージを持ちますか?
私の思う素敵な人は・・笑顔が忘れられなくなる人。
その人を深くは知らなくてもその笑顔だけで,惹きつけられてしまう事ってありませんか?

1年ほど前のある団体のパーティーでのお話です。
出席者の年齢層は様々だったのですが、男性が多いのでどうしても堅苦しい感じになり
「早くここから抜け出したいなー。」などと考えておりました。
面識のある方はごくわずかだったので所在ないのとつまらないのとで、ため息交じりにぼんやりと人々を眺めていると、そこだけ異空間と思えるほど雰囲気が際立って違う人を見つけました。
その人は表情の乏しいダークスーツの男性陣の中でとにかく笑顔を絶やさないのです。
笑顔があるか無いかでこんなにその人自身の雰囲気やオーラが違ってしまうんだと、周りのブラックホールに引き込まれないその明るいさわやかな笑顔に見とれてしまいました。

しばらく失礼にならないように、そっと見つめていると・・それが実に良い笑顔なのです。
相手の目を見ながら笑う、
覗き込んで大笑いしている
優しくほほ笑む、
頷きながらニコッとする、
ちょっと表情が変わると、またすぐ笑う。
その自然な笑いのお蔭で癒されるような雰囲気が周りの方たちにも広がり、彼を中心にその一団はとても楽しい雰囲気にあふれていました。

何だかぼーっとそのまま見とれていました。
すると、偶然にも私の知人が彼と話しを始めたので、私も自然にその会話の中に入ってお話をするようになりました。
ここで非常に由々しきことが・・・・
私が・・この私が周りの方たちとお話をしながらも、その笑顔が気になって、どうしても彼から目が離せないのです。内心こんなに何回も見ていたらヘンに思われちゃうぞと、自分に警告を発しても、どうにもならない!どうしよう・・・
それからいくばくかの時間が経過していく中で、とうとう彼の目が言葉ではなくて「どうかしたのですか?」と訝しげな表情をたたえて無言で私に聞いてくるようになってしまいました。
何も答えられない私はただ、あわてて目をそらすしかありません。

周りのさんざめく話し声の中で、私たちは何度もお互いの視線が外せないまま、向こう側とこちら側で長い間見つめ合いました。
そのような不穏な(?)状況の中でも彼の笑顔は飛び切り優しくて、その視線が「困りましたね、あなたには惨りましたよ。」と言ってくるのです。
このような経験はもちろん初めてで胸が柔らかく高鳴るのです、それは決して激しいものではなく心が徐々に満たされるような美しい時間でした。

やがてパーティーがお開きになり、後に予定が入っていた私は、人に促されて席を立ちました。会場を後にしながら自分の「想い」のやり場に困り、ほとほと途方にくれました。でも無情な別れは容赦ありません。後ろ髪をひかれる思いの中で、心がジンジンときしむ音を立てているのに、意気地なしの私は振り返ることも怖くてできません。
すると知人が、彼と最初に話し始めた人です。
「あっ忘れてた!彼に挨拶してくるね。」と踵をかえしたのです。
私の返事は一も二も無く「私も一緒に行く。」でした。

「今日は楽しかったです。」
「来年またお目にかかれますか?」
ほんの一言二言でした。
このような会話をしながら最後に握手をしました。
彼が私の目をまっすぐ見ながら、すでに会話が終わっているのに、私の手を離さずにいつまでも強く握っていたあの感触はまだ焼きつくようにこの手のひらに残っております。

今、1年がたち、この手の上に再び同じパーティーの案内状があります。
行くべきか‥どうしようか
行って、彼がいなかったら・・・
袖触れ合うという言葉に嫋嫋たる思いを載せて、袖が引きちぎられそうに、絡んでもつれたら、それも幸せ。
梅雨の重苦しい空の下、思いは千々に乱れます

新人研修の仕事も終わり

新人研修の仕事も終わり



4月になったばかりの夕暮れ、この日は翌日からの新人研修の準備にあわただしい一日でしたが、研修に入れば年に一回だけの桜にも会えないと思い時間をやりくりして仄明るく幻想的な満開の桜の下を歩いてみました。(写真1)
10日後その新人研修も無事終わり、窓から見えるうらうらとした天気に誘われ散策にでかけてみました。
あの満開の桜の時からほんの少しの時間しかたっていないのに、春は惜しむ間もなく過ぎ去って季節は確実に初夏のただなかにありました。
周りに元気な陽光が満ちてくると、人が冬の重いコートを脱ぎ棄てるのと同じに草も木も「冬」を脱ぎ、花はつぼみを持ち、木々は空に向かって「伸び」をして枝を広げ、冬の束縛から自由になった幸せを謳歌するようにエネルギーに満ち溢れていました。(写真2)

はなみずきの蕾はかくれんぼの子供のように顔を隠しているようで、とても愛らしく。(写真3)
都会のタンポポは存在感がはちきれそうに根性を出して咲いているし(写真4)紅の石楠花(しゃくなげ)に至っては、はじけて大笑いしているみたいに派手な大満開でした。(写真5)
桜は名残のかそけき花びらを死人のように横たえて、今や塵芥のごとし…‥季節は女の年齢のごとくただただ残酷なものだなー。(写真6)
などと、ぶらぶらと歩きながら季節と遊んでいましたところ・・・。

年老いた色濃い葉っぱの中で青葉若葉の葉っぱが際立って、その溌溂とした明るい黄緑がキラキラと自らが光るように輝いているのが目に入りました。(写真7)触れば柔らかくしなやかで匂いをかげば元気が薫ります。
あれ?・・これどこかで・・同じこと感じたナー・・・・
そうです!!そうです!!私の研修の新人君達です。
とにかく一生懸命で彼等のわくわく、ドキドキがこちらまで伝わってくる刺激的な数日間でした。

一人一人が輝いていて、一生懸命さがまっすぐで、泣きたいほど純情で、若いってこんなに美しいのかと目を瞠るような思いでいっぱいでした。私や先輩から叱られると子供のように肩を落とす態度、私の話に頷き涙を浮かべながら聞いてくれた情熱、教えたことに忠実になりすぎてやたらと固いマナーの振る舞いに、「君はいつからサムライになったの?」と笑いをこらえた彼らとの触れ合いは、心が熱くなる事件(?)の連続でした。
青葉若葉のその存在が他から抜きん出て目立つように、新人君達もどのような場にいても溌溂と若さがみなぎりその存在は輝いていました。それは精神の美しさが、まっすぐさが、何も汚れていない清らかさがそして未熟な熱さが真新しいスーツを通して輝いているからなのでしょうね。

悲しいけれど青葉若葉の時は人生のほんの一瞬、自然界の葉っぱのように雨風にさらされれば葉っぱも固くなり、強い日に当たれば緑も濃い色になってくるように人間もいつまでも青葉若葉でいられません。それも社会に順応していくためにはどうしても必要なことです。ふと、自分にも存在したそのまぶしい美しさを思い出して懐かしみ、重ねてきた自分の時間を手に乗せてみると、その重さにため息が出る私でした。しかしあの若葉の輝きと引き替えに得るその時間の重みが、人の財産であり、人間としての厚みになるのですから、神様が作った人生の仕組みはうまくできていると、感心してしまいます。

新人研修は、「青葉若葉君たち」のしなやかな心とほとばしる情熱と穢れない気持ちに圧倒された幸せな6日間でした。陽光に輝く自然界の若葉のまぶしさに目を細めながら「彼らの未来にたくさんの幸せがあることを祈ります。」と思わずつぶやく私でした。

仕事で久しぶりに怒ったこと

仕事で久しぶりに怒ったこと


最近、一つの仕事のことで心がざわざわとして落ち着かない、嫌な気分を味わいました。
人との連携の手順の食い違い、それに伴う相手の理解度が不十分,また数々のこちらに対する失礼な言動などの心配事が重なり、打ち合わせが終わった後しばらくは思い出すたびにむかむか、いらいらと、仕事の中では久しぶりな感情をあじわいました。

めったなことでは怒らない、さすがの私も今回ばかりは惨りました。
「あれだけは許せない。」といつまでも心が執着して、眉間にしわがよる、肩がこる、憂鬱になる、と「ほとんどビョーキ」の状態でした。
そして悪いことに相手に対しても何でもかんでも悪く取る、悪いことの責任はすべて相手が悪いと思い込む、という具合に私自身もとても嫌な人になってしまいました。
その怒っている最中に、たまたまその仕事の関係者のお一人にお会いするチャンスがあって、黙していようかと迷いましたが、肝心の仕事に影響が出ることが一番心配で、思い切って相談をいたしました。ここから先はその人の言葉です。

先生、今のコンサルタントは費用対効果を常に考えています。自分の提供するエネルギーとその報酬が見合っているかで仕事の方向性を決めます。はっきり言ってクライアントに愛情があるわけではありません。先生のように時間をかけて、とことん納得のいく仕事をする、愛情を持って熱血の精神で事に当たる先生は少ないです。
だから肌合いが合わないのは致し方ございません。
企業もそのような先生が居ればそれは有り難いことですが,探しても早々居ませんから、今はそのような先生を求めていないのです。と・・・・
なるほど納得いたしました。淋しく納得いたしました。

世の中、本当に変わってきているのだなと、思いました。
一つの仕事にじっくりと取り組むよりは、たくさんの仕事を機械的にこなして、薄利多売にシフトする。長いお付き合いは鼻から求めていないし、また却ってべたべたした関係はお互い負担になる。だからビジネスライクに仕事ができる。
今の時代の象徴的な一場面を切り取ったような考え方に釈然としないながらも、また反面分かったような気がいたしました。この方の言葉のお蔭で、自分が今まで当たり前にやってきた仕事を、初めて客観的に見ることができたのかもしれません。
むしろこんな時代に、コツコツと時間をかけて長くお付き合いを頂いた私のクライアント様に感謝して胸の中で手を合わせました。

今は一つのことに時間をかけることは良しとされません。変化には素早い対応が大切な時代です。企業は慈善団体ではありませんので、すぐに自分の役に立たないものは、待つ事を嫌って冷酷に即刻に切り捨てていきます。随分ゆとりが無いし,切羽詰っている感じがいたします、その中で時流の波に浮き沈みしながら、頑張って仕事をしていることはたいへんなことです。
あらためて自分の立ち位置が分かった今、本当は同業の方たちのように自分の仕事の生き方も軌道修正をしなくてはいけないのでしょうが、私は今までの方法で昔ながらの職人気質で頑張って行こうと思いました。それが私の根幹であるので修正することはできないという事も感じました。

さて、この冒頭のイライラに関して話を戻しますと、同業の方たちの仕事の仕方に考えが及んでからは、心がすっきりといたしました。
いくら怒っても、相手が改心した上に更にはこちらに詫びを入れるなんてことは、ぜったいにありえないことです。そうです相手を変えることなんて無理なことです。
でも、自分を変えることはその気になれば簡単にできることに気が付きました。
「あなたも大変だったのね。」と相手の立場を理解することが大切なことだったのです。
このような自然な思いやりの気持ちが出てきたことから、不思議に嫌な気持ちはさっぱりと払しょくされました。
仕事の中で、自分への厳しさを最大限求められるその時にこそ、相手への思いやり、暖かい関心、少しの遠慮、素直な感謝の表しなどを出せることができるか…これがその人の人間としての魅力を発揮できるか否かの分水嶺だと思います。そういう小さな暖かい気持ちの積み重ねの結果、仕事の中での信頼関係が生まれてくるのです。
それで今までやってきたはずなのに、すっかりと大切なことを忘れていました。
私は優しさと名のつくこれらの小さい気持ちを、大事な時にこそ忘れないで頑張っていこうと改めて感じました。

待ち遠しい春も、もうすぐそこに来ております。
今は柔らかい日差しの中で思いっきり伸びをして、体の隅々まで春の空気をいっぱいにためてみたい、そんな感じです。

初恋はレモンの味

初恋はレモンの味


昨日、椿山荘のきらびやかなディナーショーで、若きイケメンオペラ歌手5人の歌を聴いてまいりました。そのグループの名前は「レジェンド」、私の友人の息子さんがバリトンでメンバーのお一人になっています。堂々たる声の美しさもさることながら、その凛とした立ち姿、鋭く熱い眼光、自然に醸し出す自信に満ちた覇気、すべてに圧倒されてしまった私でした。彼らがディナーテーブルの周りに来て真近で歌うときには、周りのおば様たちが競って手を出し握手をせがみます。それを横目で見て私には到底できないと思っていたのに・・・・最後には自ら手をだしてしまいました。その力強くそして柔らかい手が触れた時には思わず♥イヤーン♥なんて心の中でヘンな声が漏れてしまい、年甲斐もなく興奮してしまった私でございました。

男性に心惹かれることなんて、めったにない淋しい季節をさまよっている私でございますが、なんと!もう一つ、男性関係で(?)楽しいことがございました。

それは、久しぶりの同窓会での出来事でした。たくさんの人の笑声とにぎやかなおしゃべりがあふれる会場の中を、人をかき分けて歩いていると、知的な雰囲気が漂うひときわすらりとした背の高い人が見えました。忘れもしないあこがれの彼でした。思わず立ち止まり、懐かくその横顔を眺めていると、思いは一跳びに昔に帰ります。
昔、ワンスアポンナタイム、入学したての頃私は全校朝礼で涼やかに今と同じようにすくっと立っている長身の彼を見て、そのカッコ良さにたちまち恋をしてしまいました。彼は成績もよく、スポーツ万能、当然女子にモテモテで、他校の女生徒までが騒ぐ、まるでスターなみの皆の憧れの人でした。
その頃の私はと言えば、ニキビだらけの、もやしのようにやせっぽちな女の子、スターの彼なんて全くの高嶺の花。声をかけることなど夢の夢、彼の教室の前を通るだけでもう充分でした。そして、その淡くレモンの味がする初恋からウン10年、彼に再び会いました。彼は昔の面影の上に男としての齢を重ねていて、やっぱり若いときに素敵だった人は、時を移してもそのまま美しく変わることができるものなんだと感心する事しきりでした。
私の切なる思いが通じたのでしょうか、私の席は彼のま向かえ。
座は盛り上がり、楽しく、周りの人たちも含めて美味しいお食事とお酒を頂きながら、昔の思い出が、ぽろぽろとこぼれるように出てきて、レモン味の恋の思いをそっと秘めながら、自然に、にこやかに、素直に彼とも話ができて幸せな時間となりました。あれほど昔は彼の前では緊張していたのに、その顔を見てもときめくのではなくジーンと心が温かくなる感じ…齢を重ねると恋心もトロトロと暖炉の火のように静かに燃えるのだと、初めて知りました。
やがて、楽しい時間はあっという間に過ぎ去り、お開きの時間となりました。たまたま私ともう一人の女子が彼と帰る方向が途中まで一緒、夜も更けた赤坂の街を三人で駅までそぞろ歩きということに、あいなりました。駅の入り口が見えたところで彼が「栄里ちゃんは昔、俺のことどう思っていた?」と唐突な質問。私は大きな声で「あなたが好きだった!!」と言いたかったのに、もう一人の女子の存在が気になり「うーん」と心の中で唸るばかり。気のきいた答えの一つも言えればよかったのにと・・・残念な本当に残念な私となってしまいました。
すると彼が「答えが無いという事は、違うやつが好きだったんだね。」と重ねて一言。私はと言えば、またも言葉に窮して便秘の掛け声みたいな「うーん。」と、こればっかり。
このもう一人の女子がいなかったら・・・・と本当に心底!残念に思いました。
駅で別れたその後の数日間は「でも、ここで、もしも、大恋愛に発展したら、ダメよ不倫になっちゃう・・どうするの?」と悩ましく思い乱れてみたり、「ダメダメ私にはもう若さも無い、彼の心を引き留めておく自信もない・・」など全く要らぬ心配をしている私。しばらくはこのたのしい勘違い妄想で、心は溌溂とまるでスキップでもしているようなルンルン気分を味わいました。
まさに初恋万歳と言いたい数日間でした。
レジェンドのイケメンもレモンの恋の彼でも、なんでもいいから、ときどきは氷の中から雪女は出てこないと、心まで凍りついてしまいます。妄想でも何でもわくわくと熱くなる「心のイベント」もたまには必要なことと改めて感じた次第でございます。

昨日の朝、鏡を見たら鼻の下にニキビ…イヤン。
吹き出物?  違いますよ!!  二・キ・ビです。
人生はたった一度しかありません。
どうせ生きていくなら、楽しくやらなきゃ損!損!
この勢いで今年も頑張ります。
新しい年が明けました!新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
五味栄里