Author Archives: nakagawa

至らぬ嫁

至らぬ嫁


日本の四季の中ではちょっと嫌な梅雨の季節を迎えました。
外のそぼ降る雨を見ていて、今は亡き義父の言葉をふと思い出しました。

義父は山梨の広い農地を親の代から受け継ぎ、稲、桃、養蚕、里芋、ほうれん草など農業を営んでおりました。あるとき、私が梅雨はうっとおしいという言葉をもらしましたら、『梅雨が無かったら、稲も畑もたいへんなことになるんだ・・・こういう処に嫁に来ている人の言葉とも思えん。』と義父の勘気をこうむりました。
若い私はその強い語気にショックを受けて、幼子のように肩をすくめてうなだれてしまいました。私達は普段は東京にいて、山梨へは1年に数回ほど帰る程度ですので、私は冒頭の義父のお叱りのように、農家の嫁としてはむしろ初めて見聞きすることばかりが多くて。
お恥ずかしくお粗末な限りでございました。

養蚕の仕事がいかに重労働なのか、これも初めて知ったことでした。
家の敷地の中に養蚕小屋があり、ストーブを何台も持ち込んで温度の管理をしながら、夜中を通してひっきりなしの桑の葉の補充をするなど、遠目で見ていても、大変なお仕事だという事は十分理解できました。養蚕のぐにゃぐにゃ虫のことを尊敬を込め「お蚕さん」と呼び、丁寧に壊れ物でも扱うように皆で世話をしておりました。私はああいう虫は苦手で触ることもできないので、そのような不甲斐ない嫁を義父はよく笑ってみておりました。

桃の収穫時もこれならば私もできると意気込んでおりましたところ、桃の産毛が体に付くとかゆくて大変だからと、止められてしまいました。皆が桃畑に出て行ってしまい、何もすることがないので、梅雨の晴れ間の青空のもと、家じゅうのありったけのシーツを広い敷地の中に洗濯して干しておりましたら、桃畑から帰って来た義父が、『おっ?!なかなか気が付くじゃないか・・・。』と唯一褒めてくれたのが、その日の私のちっちゃな勲章でした。
その桃は最上級の美味で今まで頂いたことのないほどの、素晴らしい品でした。義父は毎年その桃を私の実家にも送ってくれました。実家の父がその桃を頂きながら、しみじみ『栄里が山梨に嫁に行ってよかったなー。」と申したとか…

毎日のご飯は義父の山梨のお米に決まっていました。
新米は特に美味しくて「お義父さんのお米はササニシキよりよっぽど美味しいよ!」と伝えましたら.ササニシキより美味しいって嫁が言ってたぞと、あちこちで自慢していたそうです。

そんな義父ですが、東京に来るときには颯爽とスーツを着て結構ダンディーに決めていて、『私はご婦人層から、えらく人気があって困ったもんだ。」と嬉しそうにうそぶいておりました、そのお得意の話を主人は殊勝に聞いておりましたが、私はいつも『また始まった!』とそそくさと席を立ってしまいましたが、もっとちゃんと聞いてあげればよかったと、心の中で苦笑いの後悔です。
帰りしなには、自分の息子の安月給への労りの言葉とともにいくばくかのお金を嫁の私に渡してくれました。その他にも季節の収穫物を何度も段ボール箱にいっぱいに詰めて送ってくれました。それらは水が滴るほど新鮮で、美味しくて、何より義父の愛情がいっぱい詰まっている素晴らしいギフトでした。

淋しいことに、その段ボール箱のギフトも絶えて既に20年もたってしまいました。
孝行したくとも親は無しと昔の人は言いますが、つくづく今その言葉の重さが心に響きます。今の私は義父と同じような年齢、そして立場が近づいたせいなのでしょうか?
今になって、昔気質の朴訥な義父とのやり取りの、その裏に見え隠れする宝石のような優しさが、やっと分かるようになってまいりました。

数年前に実は義父の愛したあの地は売りに出されてしまい、蔵も、屋敷も、義母が丹精した花畑も、家のシンボルだった大きな赤松も、まっさらの何もない平地にならされてしまいました。義父が亡くなってからも、その残された屋敷を見れば、たとえ主がいなくとも、夏休みの息子達の遊ぶ歓声や、その壁の角から義父が麦わら帽子をかぶって出てきそうな、なつかしい思い出がいっぱいにあふれてきたものでした。
息子たちもおじいちゃんの家がなくなったと聞いて、それぞれがそっと確かめるために山梨に行ってみてきたようですが、今も誰もそのことは口にしません。

義父との思い出は、若く、至らない嫁としての自分の姿も合わさって、後悔の連続ですが、もし許されるならば、あのみずみずしく若かった頃の自分に戻り、もう一度青空の下で風をいっぱいにはらんだシーツを干しながら、桃畑から帰ってくるお義父さんを待ってみたいものだと、夢のようなことを考えています。

合掌

シンガポール

シンガポール


東京の桜も散ってしまった春の終わり、4月半ばに10日間ほどシンガポールへ行ってまいりました。
人からは、シンガポールは近代的なビルが立ち並んでいて、蒸し暑く季節の変化がない町と聴いておりましたので、単純に「夏の東京みたいかな?」などと考えながら初めての地に降り立ちました。ところが、空港からタクシーに乗りその町並を見て、正直驚きました。
豊かに茂った大きな街路樹を従えるように整備された道が延々と続き、緑の向こうに近代建築の粋が集まったようなビル群、東京とも、パリとも、また違うとても垢抜けた美しい街並が次々と現れてくるので、「なるほど!シンガポールの人気はこれなんだ」「浅田次郎の小説の中で『美しい街』だと思いっきり書いてあったなぁ」などとタクシーの中ではその洗練された街並の美しさに、感心することしきりでした。

10日間の宿は親戚のレジデンスにお邪魔しました。
そこは、一番の目抜き通りであるオーチャード通りからちょっと横道に逸れた、東京で申し上げれば銀座か青山のような場所です。お部屋は18階建てのレジデンスの最上階です。
天井が高く(3m以上あるかな?)40畳以上の広いリビングの一面全部がガラスで白い大理石の床が広がる、明るい素敵なレジデンスでした。便利なロケーションだったので国際色豊かな、人種のるつぼと申し上げてもいい、オーチャード通りには散歩がてら毎日のようにぶらぶらと出かけました。

という事で、まずは美味しいシンガポールの話から始めます。
飛行機の中で『チキンライス』が有名ですよ‼とⅭAさんが教えてくださったので、無知な私はあのケチャップご飯だと思い込んでおりました、なんと出てきたお料理がこちらでしたのでびっくり!!(12)チキンはもも肉か胸肉かを選ぶことが出来ます、蒸した鶏肉は溶けるように柔らかく、お味はあっさりしているのですが、そこそこのスパイスがちゃんと効いていて絶品でした!また鶏肉の出汁で炊き込んだライスもたいへんな美味で、お肉とご飯を共に頂くとほっぺたが落ちそうになりました。ちなみにこちらのレストランはちょっと高級で、チキンライスでは一番という噂のマンダリンオーチャードで27S$でした(約2300円)

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『ラクサ』というラーメンみたいなお料理もいただきました。場所は川の傍のアジア文明博物館につながっているプライブという小さなカジュアルレストランでした。(3
ココナッツミルクにシーフードの出汁が混じってまったりとしたココナツの甘味にスパイシーなコクの辛味が効いてとてもおいしかったです。今まで頂いたことのないお味でした上に載っている茶色のソースが辛味です。

『バクテー』こちらも初めて聞く名前!(4)看板の写真でお許しください。骨付き豚肉のスープで、お肉を頂きながらそのスープをご飯にかけて頂きます。なんだか野蛮な感じがする食べ方ですが、どなたも全然気にしないで、ガツガツと手づかみでお肉を食べていました。庶民のお料理ですね。きれいに食べた後はこんな感じで骨だけゴロゴロ残ります(5)お店はこんな感じです(6)お安いのでランチの時など列ができてしまうそうです。

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最後に若い方たちが行列をしていた猛虎堂というお店です。冷たいミルクの下に温かい黒砂糖が沈んでいて中に少し甘味の付いた大きなタピオカがころころと入っています。そしてそれをシェイクしていただくカフェオレのような飲み物が大人気のようでした。(7

シンガポールは観光の国なので、ホテルの話も重要です。
ホテルと言えばマリーナベイサンズですが、夜のレーザー光線のショウタイムを見ました。(8)色がピンクや赤、紫に変化してきれいでした(9)満月が左から上がりベイサンズの上の方まで動いていくのが分かりますか?

ラッフルズホテルは改装中で入れませんでしたが、ショップは開店していたので入ってみると、たまたまポスターにも写っていた、有名らしい(?)ドアマンと遭遇したので、一緒に写真を撮りました(10)とても背の高い人で、インド系の立派なお顔をしていました。さりげなく私の肩に手を置いてエスコートしてくださったのは、さすが英国領の一流ホテルの洗練さですね。
まだまだお話がたくさんありますが、たとえば、現地の子供たちとの触れ合いや、日本人学校やインターナショナルスクールのお話など興味深い経験もあったのですが、それはまた、先に延ばしましょう。

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実は、今回の旅は3月に負ったケガなどもあって、関係するクライアント様にもご迷惑をおかけしたり、この何年分のストレスも重なり相当へこんでしまっていたところに、シンガポールへ来ないかとお誘いを受けて突然に決めた旅でした。なかなか外国へ行く気力も出ずに「よし!頑張って行ってみよう!」と、しぼんだ心に掛け声をかけて、やっと出かけることが出来た状態の旅でした。
日本を離れて空の上に飛び上がったときに、不思議と今までのもやもやとした気持ちが徐々に晴れて、体が軽くなって行くような感覚が広がっていきました。
そして、シンガポールのあのオーチャードの喧騒の中で、どんな服装をしても、何をやっても、何を食べても、どうでもいいさ!?みたいな、好きなことを自由にしている開放的な南国独特の雰囲気が、へこんでしまった私にはフィットしていたように思います。
人生いろいろありますが、くよくよしていても、又は「成るようにしかならないさ。」と開き直っても状況は同じで変わらないんだなーと、もっとゆったりとしてもいいよなーなどと、今更ながらですが、自分を楽にしたいという考えにたどり着いたような気がいたしました。

オーチャードで人の行きかうのを見て、ただボーっと佇んでいても誰の目も気にしないでいられる、そのままそこにずーっといても誰も何も気にしないで放っておいてくれる、そんな自由さがとても好きでした。
仕事も長きにわたり頑張っていると、ちょっと弱音も吐きたくなりますよね。誰かに頼りたくもなりますよね。1人でいることの淋しさに負けてしまいたくなることもありますよね。
シンガポールの女性たちは明るい色の衣をひらひらとなびかせて長くまっすぐで美しい足を惜しげもなく出して、自由に闊歩していました。明るい開放感のオーラが体からあふれ出ていて見とれてしまいました。
頑張らないで心配しないでいつもニコニコとふわふわと軽―く生きたいなと・・・
あの町の明るさ軽さを私は忘れたくないなと、今はちょっと笑顔で考えられるようになった私が、ここにおります。

母の日リボンを使ったラッピング

母の日リボンを使ったラッピング


1母の日リボンのご紹介

おしゃべリボンでは期間限定(2019年5月7日(火)まで)で母の日用のオリジナルリボンを販売しています。
今回はそのリボンの特徴と使い方をご紹介いたします。
母の日リボンの詳細はこちら

2スカーフやストールのラッピング<母の日編>

あまり厚さのないスカーフ、ストール、ブラウスなどをラッピングする時のワンポイントアドバイス!こちらでも母の日リボンを使っています。

I am Japanese

I am Japanese


今は三寒四温という言葉どおり、春が行ったり来たり、そわそわと落ち着く場所を探しているような天候ですね。昨日は寒くて厚いセーターを着ていたのに、今日はベランダの花々の上に日差しが柔らかく注いで、うららかな暖かい日となりました。今日のような暖かい日には外へ出て、寒さで縮んだ体を思い切り伸ばしてみたくなります。

ということで、春めいた日差しに誘われて外に出てみると・・・・
今更!?・・の感はありますが、東京はどこに行っても外国人の多さにびっくりしますね。
私が利用する山手線の中は、多様な言語が飛び交い、子供連れの中国人家族、若い学生風の韓国の軍団、カップルと思われるバックパッカーの西洋人などであふれています・・日本の風景も大きく変わりました。

このような風景を見ていると、50年前の記憶の中の我が家の珍事を思い出します。
私が幼いころ、父は仕事で単身アメリカに参りましたが、父が初渡米する日の朝のことはいまだに記憶に残っております。駅には新聞記者やカメラマンをはじめ、人が山のように集まり万歳‼万歳‼という掛け声の中で父は汽車に乗り、そして一路羽田がある東京に向かいました。駅の隅の方で息子の姿を見て祖母が涙をぬぐっていたのを鮮明に覚えております。
今では信じられない事ですが、外国へ行くという事は、当時では大事件だったのです。
まるでドラマで見る、兵士が戦場に出征して行くような光景でした。

でも、珍事はそれではなく、父が数年後にアメリカから帰国した後のお話です。
私達家族が住んでいる静岡に、はるばるアメリカから一人のお客様がやってきたのです。
そのお客様は父がニューヨークに住んでいる時に仕事もご一緒にして、お世話になったバーマンさんというアメリカ人でした。我が家でそのお客様を囲んで大歓迎会が開かれることになったのです。

その日は朝から大騒ぎです。お玄関や床の間にお正月のような生け花を飾り、日本人形なども飾りました。母はご近所や父の会社の奥様方の手伝いを得てお寿司を作り、お酒の用意をして、ステーキも焼き、クッキーなども焼いたりしての大わらわ。大きなスイカもテーブルの真ん中に置いてありました、また夏の暑い時でしたので、祖父のアイデアで氷やさんに大きな氷の柱を注文してバーマンさんの席の後ろに設置しました。会場は狭い我が家ですので、ふすまや障子を取り払い庭まで見通せるような大きなお部屋にして、ご近所からお借りした座卓を何本もつないで大きなテーブルも作りました。たくさんの人があちこち出入りして、てんやわんやの大騒ぎでした。
しかし、その大騒ぎの中、到着したこの日の主人公を見た時、皆、口をあんぐりと開けてしまいました。見上げるばかりの大男が頭がつかえないように上半身を折り曲げてお玄関に入ってきたのです。そしてガリバーのような大きな靴をはいたまま、上がり框にどんどん上がってきてしまったのです。それを見た父が慌てて静止していましたが、私はなぜ靴を脱がないのか?理解が出来なくて驚き、あまりの巨体に再び驚いて,心の中で「ひぇやー!」みたいな声を上げて見ていました。たぶんこの時、そこにいた日本人は、いや生まれて初めて外人を生(ナマ)で見た人たちは皆、同様の声を上げてびっくりして見ていたと確信できます。

バーマンさんは声の大きい陽気な人で、日本語が分からなくてもあっという間に日本人たちに溶け込んで一緒にお酒を呑み、お食事を共にして盛大な盛り上がりの歓迎会になりました。
でも、さすがにお寿司のお刺身は苦手でお勧めしても一切口になさいません、母のお茶の御点前にも、かしこまって飲んでいましたがあまりの苦さにびっくりした様子で、そのどれもこれもが、日本人たちには反応が可笑しくて、笑い声があふれる時間となりました。
バーマンさんはアメリカから持ってきたお土産を、豪快に大きな箱をエイッと逆さにしてザザザーと皆の前で広げました。それは色とりどりのキャンディー、ビスケット、チョコレート、などの袋入りのお菓子でした。そのころ外国のお菓子など誰も見たこともなく、その可愛さや華やかさに驚き、もの珍しさも手伝って皆、大切に持って帰りました。
そして私には、彼は特別な品を用意して持ってきてくれました。
それは10代の少女向けのファッション雑誌セブンティーンでした。勿論英文なので中身はちんぷんかんぷんで、私にはちょっと大人すぎたのですが、アメリカの少女たちはこのようなお洋服を着ているのか、こんな可愛いお部屋に住んでお姫様みたいにベッドに寝ているの?と、グラビアのその豊かさに目がくぎ付けになりました。(日本でもセブンテイーンという雑誌はそれから10年近くたって刊行されました)後日談となりますが、私がそのバーマンさんからの雑誌を毎日毎日飽きずに見ているので、父が書店に依頼して3か月遅れのセブンティーンを毎月アメリカから取り寄せてくれました。その新着の雑誌を手にするときの至福の時間は、私の少女時代のまさにハイライトでした。

話を元に戻しましょう。
最後のメインイベントはバーマンさんが持ってきた8ミリの映写会でした。ニューヨークの摩天楼の景色、ディズニーランド、高速道路でブロンドをなびかせてオープンカーを運転する女性の映像など見たことない風景が次々と映し出され、父の通訳を通して皆びっくりしてバーマンさんの話を聞いておりました。ディズニーランドの説明は子供じゃなくて大人が楽しむ遊園地という、説明だったと思います。最後にミセスバーマンが登場した時は大盛り上がり!赤い髪のすらりとした美人です。「She is beautiful!」バーマンさんのお答えは「I think so」でした。
50年も前のたどたどしいと言えるような歓迎会でしたが、私たち日本人の精一杯の気持ちは十分伝わっていると、誰もが感じることが出来た夜だったと、懐かしく思い出します。

幼いころの私の故郷の人たちは、外国の事は何も知らない日本人でした、今の時代とは隔世の感があり、その時のことを考えると日本の大きな変化に驚かされます。
果たして日本はこれから未来に向けてどのように外国と関わっていくのでしょうか?
もちろん楽しみでもあり、現代の若者の姿からは若干の不安もあります。
でも一つ申し上げたいのは、「I am Japanese.」と外国人に向かって、胸を張って言える人と国であってほしいと願います。

花かごを使ったギフトラッピング(バレンタインデー編)

花かごを使ったギフトラッピング(バレンタインデー編)


今回は、花かごを使ったギフトラッピングをご紹介します。
バレンタインデーにチョコを差し込んでプレゼント!いかがですか?また、アレンジでショップのディスプレイなどにも応用できると思います。

スケジュール帳を開いて


平成最後の年が過ぎ、にぎやかにおめでたく年が明けました。
あらためまして、新年あけましておめでとうございます。
あたらしい年を迎えて何もない机の上で今年の真新しいスケジュール帳を開いて見ると気も引き締まり,まだ埋まっていない白い空間にどのようなスケジュールが入ってくるのか、いろいろと想像するだけでも楽しい気持ちになってまいります。

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スケジュール帳は、一年間必ず携帯する仕事の必需品で、私は次の年の物が出始める11月にはあれこれ品定めを始めます。選ぶ基準は、とにかく小さくて軽いこと、表紙がハードでないこと、あとは表紙の柄などです。
表紙の柄は大事な決めポイントで一昨年と去年の表紙は大好きなパリのエッフェル塔、凱旋門、の表紙を選びました。1今年は金運が付くようにと、はかない願いを込め金色に決めました。使う前には、月ごとのインデックスを付けることも、面倒ですがなんだか楽しい作業です。インデックスにもたくさんの種類があり、2その中からジャストフィットの物を選び、貼り付けます。ところがバランスが難しく出来上がりの不ぞろいさは、今年も例年通りに目を覆うばかりでした。3

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このような作業をしていると、このスケジュール帳が真っ黒になるほどお仕事のオファーが来ますようにと、パンパンと柏手を打ってお祈りをしたい気持ちになってまいります。仕事もご縁とか運とかいう不確かな要素を多くはらんでいるので、そのご縁を記入するスケジュール帳はやはり精神的な意味でも大切な品です。
手帳つながりでお話を続けますと、外国で買ったノートにはとても美しいものがあります。そのいくつかをお紹介したいと思います。

一つ目は中身は普通の白地のノートですが、ちょっとおしゃれな渦巻き模様です。4ローマの文房具屋さんで見つけたのですが、スリムなボールペンも一緒に購入いたしました。ボールペンの頭頂部にはきらりと光る石が入っていて5お揃いでお土産に差し上げようと思いましたが、結局自分で使ってしまいました。

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二つ目はまずラッピングをご覧ください(少ししわしわになってしまいました)6。印象的なビビッドピンクに黒のシールがとても素敵ですよね!パリの小物屋さんで見つけてギフトにすると言ったら、このラッピングでした。リボンはないけれど色だけで充分の存在感です。中身のノートの表紙はこちらです。78天使も花のガーランドもキラキラと光る素材が付いていて、とてもキュートです。開くとリバーシブルのページでした9

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二同じくパリでみつけたもう一品は蝶々柄のノートです。10このノートの中身は実は全編シールです。1112封筒の裏に貼ったり、小さなメッセージなどに使っております。
最後に可愛いレターセットもご覧に入ます。13ケースを開くとカードと封筒とシールが入っています。14カードとシールがお揃いなのでおしゃれなメッセージカードになるのでとても重宝しております。こちらはノルマンディーの小さな雑貨屋さんで見つけました、雑貨屋さんの片隅に雑然と新聞や雑誌などと一緒に置いてありました。レターセットは可愛いのが3種類ほどあったのですが、一つしか購入しなかったことが今も悔やまれます。

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スケジュール帳の話から雑貨屋さんまで話が飛んでしまいましたが、今年もたくさんの話題を見つけて皆様におしゃべりをしたいと考えております。
昨年は『災』という字で締めくくられましたが、今年は素敵で幸せに満ちた年になればよろしいですね。猪突猛進という言葉もありますが、楽しいことに全力で向かっていけるように、エネルギーをためて前向きに頑張ってまいりましょう。
今年もよろしくお願いいたします。

ガーネーシャ様

ガーネーシャ様


見上げる空に鰯雲を見つけて「ああ秋だなー。」と感じている間に、時は瞬く間に過ぎて急な朝晩の冷え込みにそろそろ毛布を出そうかしらと考えている、今日この頃です。
寒さの始まりと供に聞こえてくるのは、ジングルベルのメロディー・・・・ちょっと早すぎると感じる方もいらっしゃると思いますが、すでにビジネスの世界では年間最大のクリスマス商戦の幕は切って落とされています。

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例年この時期は、詰まったスケジュールから聞きこえてくる忙しそうなサンタさんの足音に追われるように、私はラッピングの新しいノウハウを考えることに多くの時間を費やします。
お見せするのもお恥ずかしいのですが。この時期には、私のアトリエ兼事務所は足の踏み場ではなく手の置き所がないくらいの状態となります1。作品の製作途中のものや、捨てられない失敗作や、これから試そうと材料だけの紙袋(机の向こうにあります)が机の上に雑然と山のように積み重なっております。一つ片付けてから次の仕事にかかればいいのですが、すべてが途中なので片付けるわけにいかないのが、私の言い訳です。

こういう状態の中で頻繁に起こるトラブルは「紛失」です。
「あの書類・・確か先程までここにファイルに入れてあったのに?!無い!無い!」と、処かまわず物をひっくり返して、袋の中身を全部出し、触ってもいない引き出しまで開けて探し始めると、もうドツボにはまって、あれが無かったら・・と悲劇的なことまで想像すると心拍数が上がり(体に良くないよ)半泣き状態です。
結局どこにあったかといえば、すぐ近くにあるのに目に入らなかったり、何度も同じところを探しているのに見つけられなかったり、なくしてはいけないと後生大事にしまい込んでいたりということで、結末は壮大な無駄な時間への悔恨と、見つかった事への途方もない幸せ感がゆらめいて、ただただ徒労の極致の中で「なにこれ?」と無用な一人言を繰り返すのみとなるわけです。探し物は本当に疲れるものですね。

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ソウソウ!この厄介な探し物の時に、最近、得したこともありました。
それは長年にわたり探していたものを見つけてしまったことです!
相当昔に息子がインド旅行の時に求めたガネーシャ様の写真です。いつの間にかなくなってしまい、「探しておいてよ。」と頼まれていたのですが皆目見当もつかない状態でした。
それがどうしたことか、探し物の真っ最中に引き出しの奥底から現れて驚きました。このようなところにいらしたのですね!さすがにわかりませんでしたとお祈りをいたしました。2ガネーシャ様はヒンドゥー教の神様で、現生の夢をかなえ学問も司り、お商売繁盛の人気の神様です。ガネーシャ様は牙の1本が折れているのをご存知ですか?欠けた牙の逸話があります。

ガネーシャはある日、月に招かれました。月の御殿で好物のお菓子をいっぱい食べてお腹をパンパンにしてご機嫌になり、ネズミに乗って家路に付いたときのことです。突然蛇が現れたので、ネズミが驚いてガネーシャを振り落としてしまい、ガネーシャは落ちた衝撃で牙を折ってしまいました。腹も割れてお菓子が一気に飛び出していまいました。菓子を拾い集めて腹にしまいなおしたガネーシャは怒って蛇で腹を縛り、再び菓子が出ないようにしました。月が一部始終を見ていて大笑いしているので、機嫌の悪いガネーシャは月に向かって折れた牙を投げつけたそうです。牙が当たった月は欠けてしまいました。
月が満ち欠けするのはそれからだそうです。とてもユーモラスなほのぼのしたそして雄大な逸話ですが、現生は常に陰と陽、善と悪、の二面性が無ければ存在しないルールから、一本の牙になってその束縛を超越していることを表すそうです。

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前出の息子ですが、外国で違うガネーシャの像を求めたそうです。(ガネーシャ様が相当好きなんですね)その写真を送ってくれました。3小さいけれどとてもしっかりとお守りくださる頼りがいのありそうなガネーシャ様ですね。ちゃんと蛇もいるし、牙もしっかりと折れていますね。
アラ忘れておりました。私も持っておりました!
10年くらい前でしょうか、バリ島で現地の若い青年が自分で彫った石の作品を道端で並べて売っていた一つが気に入り、重ーい石の像を抱えて日本に帰ってきましたが、それがガネーシャ様でした。4このガネーシャ様は毎日、ヴェランダで外から来る魔物を防いで我が家をしっかと守ってくださっています。よく見ますと外に置いてあるので結構傷んでいますね…(申し訳ございません。魔物と戦った跡でしょうか・・合掌)

宗教への関わり方は人によっても大きな違いがあります。皆幸せになりたいために神様を信じているのになぁ、宗教の考え方の違いで戦争が起こっている「人間の頑なさ」の現実には不思議な気持ちになります、その一方で日本人は独特な都合のよい宗教観を持っています。
かくいう私も毎日仏壇に手を合わせ、クリスマスのお仕事をして、年が明ければ初詣ですもの、この節操の無さにガルーシャさまも呆れ顔だと思います。でも探し物をしてくたびれ果ててもガルーシャさまと偶然出会ったり、又は片付けないことへの戒めだったりと、私たちは神様からの啓示に囲まれているのかもしれません。その大きな慈愛に包まれていることに感謝しながら、たくさんの神様とその時々にお世話になりながら、やがて来る新しい年も元気に楽しく過ごしていきたいものですね。

ハロウィンリボンとオーナメントを使って(2018)

ハロウィンリボンとオーナメントを使って(2018)


今年も期間限定でハロウィンリボンとハロウィンオーナメントを販売しています。これらの使い方をご紹介します。
ボックスのラッピングはエイトラインボーを使ったラッピング方法。
OPP袋と紙袋にはオーナメントを使ってみました。