ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

ガーネーシャ様


見上げる空に鰯雲を見つけて「ああ秋だなー。」と感じている間に、時は瞬く間に過ぎて急な朝晩の冷え込みにそろそろ毛布を出そうかしらと考えている、今日この頃です。
寒さの始まりと供に聞こえてくるのは、ジングルベルのメロディー・・・・ちょっと早すぎると感じる方もいらっしゃると思いますが、すでにビジネスの世界では年間最大のクリスマス商戦の幕は切って落とされています。

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例年この時期は、詰まったスケジュールから聞きこえてくる忙しそうなサンタさんの足音に追われるように、私はラッピングの新しいノウハウを考えることに多くの時間を費やします。
お見せするのもお恥ずかしいのですが。この時期には、私のアトリエ兼事務所は足の踏み場ではなく手の置き所がないくらいの状態となります1。作品の製作途中のものや、捨てられない失敗作や、これから試そうと材料だけの紙袋(机の向こうにあります)が机の上に雑然と山のように積み重なっております。一つ片付けてから次の仕事にかかればいいのですが、すべてが途中なので片付けるわけにいかないのが、私の言い訳です。

こういう状態の中で頻繁に起こるトラブルは「紛失」です。
「あの書類・・確か先程までここにファイルに入れてあったのに?!無い!無い!」と、処かまわず物をひっくり返して、袋の中身を全部出し、触ってもいない引き出しまで開けて探し始めると、もうドツボにはまって、あれが無かったら・・と悲劇的なことまで想像すると心拍数が上がり(体に良くないよ)半泣き状態です。
結局どこにあったかといえば、すぐ近くにあるのに目に入らなかったり、何度も同じところを探しているのに見つけられなかったり、なくしてはいけないと後生大事にしまい込んでいたりということで、結末は壮大な無駄な時間への悔恨と、見つかった事への途方もない幸せ感がゆらめいて、ただただ徒労の極致の中で「なにこれ?」と無用な一人言を繰り返すのみとなるわけです。探し物は本当に疲れるものですね。

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ソウソウ!この厄介な探し物の時に、最近、得したこともありました。
それは長年にわたり探していたものを見つけてしまったことです!
相当昔に息子がインド旅行の時に求めたガネーシャ様の写真です。いつの間にかなくなってしまい、「探しておいてよ。」と頼まれていたのですが皆目見当もつかない状態でした。
それがどうしたことか、探し物の真っ最中に引き出しの奥底から現れて驚きました。このようなところにいらしたのですね!さすがにわかりませんでしたとお祈りをいたしました。2ガネーシャ様はヒンドゥー教の神様で、現生の夢をかなえ学問も司り、お商売繁盛の人気の神様です。ガネーシャ様は牙の1本が折れているのをご存知ですか?欠けた牙の逸話があります。

ガネーシャはある日、月に招かれました。月の御殿で好物のお菓子をいっぱい食べてお腹をパンパンにしてご機嫌になり、ネズミに乗って家路に付いたときのことです。突然蛇が現れたので、ネズミが驚いてガネーシャを振り落としてしまい、ガネーシャは落ちた衝撃で牙を折ってしまいました。腹も割れてお菓子が一気に飛び出していまいました。菓子を拾い集めて腹にしまいなおしたガネーシャは怒って蛇で腹を縛り、再び菓子が出ないようにしました。月が一部始終を見ていて大笑いしているので、機嫌の悪いガネーシャは月に向かって折れた牙を投げつけたそうです。牙が当たった月は欠けてしまいました。
月が満ち欠けするのはそれからだそうです。とてもユーモラスなほのぼのしたそして雄大な逸話ですが、現生は常に陰と陽、善と悪、の二面性が無ければ存在しないルールから、一本の牙になってその束縛を超越していることを表すそうです。

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前出の息子ですが、外国で違うガネーシャの像を求めたそうです。(ガネーシャ様が相当好きなんですね)その写真を送ってくれました。3小さいけれどとてもしっかりとお守りくださる頼りがいのありそうなガネーシャ様ですね。ちゃんと蛇もいるし、牙もしっかりと折れていますね。
アラ忘れておりました。私も持っておりました!
10年くらい前でしょうか、バリ島で現地の若い青年が自分で彫った石の作品を道端で並べて売っていた一つが気に入り、重ーい石の像を抱えて日本に帰ってきましたが、それがガネーシャ様でした。4このガネーシャ様は毎日、ヴェランダで外から来る魔物を防いで我が家をしっかと守ってくださっています。よく見ますと外に置いてあるので結構傷んでいますね…(申し訳ございません。魔物と戦った跡でしょうか・・合掌)

宗教への関わり方は人によっても大きな違いがあります。皆幸せになりたいために神様を信じているのになぁ、宗教の考え方の違いで戦争が起こっている「人間の頑なさ」の現実には不思議な気持ちになります、その一方で日本人は独特な都合のよい宗教観を持っています。
かくいう私も毎日仏壇に手を合わせ、クリスマスのお仕事をして、年が明ければ初詣ですもの、この節操の無さにガルーシャさまも呆れ顔だと思います。でも探し物をしてくたびれ果ててもガルーシャさまと偶然出会ったり、又は片付けないことへの戒めだったりと、私たちは神様からの啓示に囲まれているのかもしれません。その大きな慈愛に包まれていることに感謝しながら、たくさんの神様とその時々にお世話になりながら、やがて来る新しい年も元気に楽しく過ごしていきたいものですね。