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クリスマスリース2016 -ネクタイ編

クリスマスリース2016 – ネクタイ編


2016年クリスマスラッピング第二弾は<ネクタイ編>。ネクタイをプレゼントとして贈る時に、ちょっと相手を驚かせるような可愛いラッピング方法をご紹介します!
クリスマスにかかわらず、彼のお誕生日プレゼントとか父の日とかにも応用してみてください。

写真

写真


歳の瀬が近付くと、徐々に加速度を増すようにせわしく、忙しくなってまいります。
私は例年のごとく、ハードなスケジュールに翻弄される毎日で、ウイークエンド以外はほとんど出張に出ております。そのような中でこのエッセイ原稿の締め切りを迎え、あたふたと考えた挙句、エッセイで使うために撮りためた写真の中で、日の目を見ずにそのまま携帯の中で眠っている数枚をご披露しようと思い立ちました。

子供

3歳~5歳の子供たちにおむすびを作って食べさせました。わいわい言いながら食べてすぐ遊びに行ってしまった後に、お皿を片付けようとしたらこのようなかわいい子がぽつんとお皿に残されていました。大人にはマネのできない壮大な創作へのエネルギー?思わずウフフと笑ってしまいました。

花の絨毯

何年かぶりに段通の絨毯を出して敷いてみました。花の模様がうるさい感じがしてあまり好きになれずに長い間「御蔵」になっていたのですが…、久しぶりに敷いてみたらそんなに変じゃないなー。思い込みってひどいですね。季節は春!心も明るい華やかさを求めていたのかな?

大切な人

春の日差しの中で可愛い花たちが笑っています。この20年の間、毎年私のお誕生日にこのような素敵なお花を送ってくださる方がいらっしゃいます。彼女は札幌に住む私のお仕事仲間です。なれそめは私が彼女にラッピングをお教えした事です。今の彼女があるのは彼女の努力の賜なのに・・・、恩に思っていただき光栄です。私の大切なお仲間です。

九州の嬉野温泉にある「ハミルトン宇礼志野」

嬉野温泉のお湯はphが高いのか、お肌がツルツルになり素晴らしい温泉です。たまたま雑誌で見つけたこのホテルは素晴らしかったです!シルバーエイジの特別代金でお安く宿泊できました。

登別温泉望楼のぐち

インテリアも素敵でしたが、お湯がかけ流しで絶えず流れていてさわさわとその音が浴室を開けると聞こえてきて、その音に誘われるように何度もお風呂に入ってしまいました。窓から緑が豊かに見えて素晴らしいホテルでした。


竜ケ崎鉄道のコロッケ

茨城県の河内町にお仕事に行く途中、竜ケ崎鉄道に乗りました。とっても短い鉄道で駅は最初と終点も含めて3つ、ということは途中1個しか駅がありません。その電車に乗ったら、
「何?これ???・・・」
コロッケらしきものが吊革にもれなくついています。降りるまで訳が分からなく乗っておりましたが。後からお聞きしたら、コロッケで一度「全国一位」になったのでこれで町おこしということらしいです。それにしてもすごいアイデア!電車にコロッケなんて!発想が豊かですね。
帰りにコロッケを買いましたが、ミンチでなく薄切りの牛肉がちゃんと入っていて中々ボリューミーなお味でした。

真田幸村の紅葉

去年の写真で心苦しいですが、信州上田城の紅葉は一年たった今でも忘れられない程の景色でした。今を時めく幸村もまだ人気に火が付く前でしたので、ゆっくりとお城を見て回りました。小さいお城でしたが紅葉の美しさは格別のものがありました。

今年は、地震、水害、台風など天災があり心が痛む事が多くありました。
世の中の流れも不穏なにおいがして、日本人が大切に守ってきた平和も大丈夫なのかと不安になるときもあります。
今年もあと残すところ2か月、新しい年を迎える準備をしなければいけませんね。
にこにこと笑っていられるいい年になりますように、祈るだけです。

クリスマスリース2016 - ペパナフラワーを使って

クリスマスリース2016 – ペパナフラワーを使って


10月と12月はクリスマスに使えるラッピングをお届けします。まずはクリスマスリース2016年版。
これまでにも色々なリースの作り方をご紹介しましたが、今回はペパナフラワーを使ったクリスマスリースです。

すべて暑さのせい?

すべて暑さのせい?


暑さ寒さも彼岸までという言葉がありますが、今年の夏は8月の末になってもまだ、うだるような暑さが続いております。あまりに暑いと普通の思考ができなくなるのでしょうか?私の周りには思わぬ事態(?)が出来しております。

出張の朝、電車に乗ったときのことです。
ラッシュの時間よりは幾分早い時間でしたのでひどいラッシュではありませんでしたが、それでも入り口まで人が立っているような状態でした。車両の中の方は案外空いていたので、乗り込もうとすると入り口に立っている若い女性が、乗せまいとするように体を押し返してきます。発車合図の音楽がすでに流れているときでしたので無理に乗ってしまいました。彼女が1歩だけ後ろに下がってくれたら、楽に気持ちよく乗ることができたのに、この人はどうしてこんなにも理不尽に頑張っているのかなー?と思いました。
私は次の駅で降りるので、そのまま閉まった扉とそのまま一歩も下がらない彼女に挟まれたような形で電車に揺られました。ところが、その間、彼女は自分のバッグで私の体を扉にぐりぐりと押しつけてくるのです。それは電車の動きとは連動していない故意の動きだとすぐにわかりました。次の駅で扉があいた途端、私は彼女に突き飛ばされてホームに転げ落ちました。あまりのひどい行為に後ろを振り返ったら私を横目でにらみながら『ふん!』という感じで足早に去っていきました。
よほど私が乗り込んできたのが癪に障ったのでしょうね。若くて、可愛い女性なのに残念です。私も気分が悪い、いやな朝になってしまいましたが、あのようなことに及んだ彼女の方はもっと気分が悪いだろうなと感じました。私が一言『よろしいですか?』と言えばよかったのかもしれませんが発車間際のことで、その余裕がありませんでした。暑さのせいにするのはちょっと気が引けますが、何だか心が殺伐としてしまいますね。

我が家には89歳の母がおります。台所にも立つし、趣味のセミナーにもおしゃれをして一人で出かけていくし、年齢の割には元気でいてくれます。ところが最近耳が遠くなってきてほとほと困っております。
周りの人間はまだこの状態に慣れていないので、いつもの調子で話しかけてしまいますが、本人には届きません。これが当の本人はもちろんのことですが、私たちにもたいへんなストレスになっております。
「何故、無視するのかしら?あ~そうかぁ聞こえないんだ」
「また『えっ?なーに?』って言っている・・・あーあ」
「大きな声で話しかけるのにエネルギーがいる・・・・」など、
殆どが私のわがままからのストレスだとわかっております。。

当然言葉数が少なくなりますし、何度も聞き返されると面倒くさくなってしまいます。
淋しいことに、今までのようなコミュニケーションができなくなっているのが現状です。
丁寧にしっかりと受け答えをしてあげれば、もっと意思の疎通は改善されるのは分かっていますが、母に対する甘えもあり、日常の些細なことの積み重ねなので、つい自分のわがままを許してしまいます。
オリンピックで「金メダル!とったよ!すごいね。」とちょっと離れている母に私が叫んでいても、何にも乗ってこない。ノリが悪いなーと思っていると、しばらくしてからテレビの字幕を見て『すごいねー金メダルだって!!』といわれると、心の底から淋しくがっかりしてしまいます。

現実と向き合いたくない、母の老いを認めたくない、今までと同じようにしていたいという「私」がそこにいるのですが、実は母の老いと真剣に向き合う時が目の前に来ているのです。

これではいけないと毎日、毎日自分を叱っています。
大切な母と分かっているのに、本当にダメな娘です・・・。
だからすごいストレス・・
というような情けない状態の上に、お仕事が山積み、その上暑さに追い打ちをかけられて、今はムリなの、できないの‥と、ぶちぶちとすべて夏の暑さのせいにして、今日も良心の神様に向かって言い訳ばかりしています。

これではだめですよね。
ヨシ!
秋の涼風が吹くころには心機一転!がんばろう!
電車の中も心地よく、そして母とは仕切り直しの笑顔のコミュニケーションができるようになっていることを・・・・・・ゼッタイ、ゼッタイ誓います!

このエッセイを書き終えて数日後、新潟に行ってまいりました。
台風一過の青空の下には見渡す限りの越後平野がひろがっていました。稲は実りの時を迎え、頭を深く垂れその上を渡る風が稲穂を大きくうねらせ金色に輝く波のようになったとき私の心の中には、あの誓いと共に母の笑顔が広がりました。

秋はもうすぐそこまで来ていると感じました。

空想の翼

空想の翼


気が付けば梅雨の鬱陶しい曇天が広がる6月も終わり、明日からは7月です。あじさいの花も季節の移ろいに心なしか色あせて見えます。あと2週間もすれば、いや応なしに真夏の太陽がぎらぎらと照り付ける季節がやってまいります。

学生時代は夏休みが始まれば、楽しみが山のようにあり、あれこれと遊びのスケジュールを画策したものでした。でも考えてみると毎年の夏休みすべてが浮かれていたわけではなく、受験の夏休みもあったなーなどと、ぼんやりと大昔のことを思い出しております。
「ここが決戦の時!」だとか、「今こそ死んだ気で頑張れ!」などと学校の先生に叱咤激励されているにもかかわらず、本人は先生や親の意思などお構いなく、どこ吹く風。
対岸の火事のように親たちの騒ぎを見つつ、気持ちはとてものんびりとしておりました。
でも、さすがに夏休みの遊びのスケジュールは皆無で、親の手前もあり、机の前には形ばかりですが毎日律義に座っておりました。
でも、ややもすれば、ぼーっとして近所に住む子供たちの遊ぶ声を聴きながら、空想の世界をさまようのが、「死んだ気」も「決戦の機会」も全く自覚のない私の夏休みの受験勉強であったと記憶しておりますが、その勉強よりは断然楽しかった空想は、本当に他愛のない内容でした。

誰もいないエメラルドグリーンの海に浮かぶ小島、白い砂浜のヤシの木陰で長椅子に寝そべりながら、受験問題集ではなく、大好きな恋愛小説と漫画を山積みにして読みふける私。海風がそよそよと吹く中で、やがてウトウトと心地よい眠りにつき。美しい景色の中で絵になったらタメ息が出るようなお昼寝。ふと気が付くと、どこからか白い制服を着たサーバントが現れて「お嬢様、おいしいお食事をお持ちしました。」と、目の前のテーブルにはあふれるばかりのごちそうの山。「パイナップルジュースは?」と眠たげな私が問うと、ジュースはいつの間にか私の手の中に。とろりと甘くそして冷たーいフルーツそのもののジュース!!
あーこんな島に行きたい!1時間でいいから行きたい!
果てしない空想は続きます。
食べきれないほどのごちそうをいただいた後、満腹のお腹をさすりながら恋物語のページを再び繰ると、空想はいつか夢の中のそのまた夢に入っていきます。

時は戦国時代、私は囚われの身の絶世の美人のお姫様。今まさに姫の兄上が姫を救わんとして囚われている城に戦を仕掛けてきた。城の外も内も戦の火の手が上がり落城寸前。その混乱のさなか、姫が迎えを待つ人はただ一人。幼いころから姫の守役として一緒に兄妹のように育てられた「総司郎」という凛々しい若武者であった。ところがこの主従、いつしか身分を超えた許されぬ恋に密かに身を焦がすようになっていた。今や愛しい人と引き裂かれ身も心も狂わんばかりに「必ずやあの者が助け出してくれる。」と一途に信じている姫。
そこにこの城の主が登場、(若くて頭脳明晰、青い眼をした外人風のこれまたイケメン城主!はっきり言ってありえない!でもいいの!)姫をむんずと捕まえて、「さあ美しい栄里姫よ!落城寸前の城を捨ててこの抜け穴を使い、私と城から落ちようぞ!」と迫る。栄里姫しばし、その怪しい魅力にとろりと負けそうになるが!!!そこへ鬼気迫る迫力で総司郎が登場「ひい様!」「総司郎!」呼び合う二人。単身乗り込んできた総司郎が丁々発止と敵と斬り合いの末、やっと取り戻した姫をひしと胸に掻き抱き・・

その後の顛末はあまりに複雑な人間関係ゆえ、考えないようにして「いいなぁー、受験生だけど(この一言が泣かせる・・この現実からはどうしても抜け出せないのである。)今ここに、こんな素敵な総司郎があらわれたらどうしよう・・?駄目だわ、絶世の美人のはずなのにニキビがいっぱい」などと鏡を見ながら独り言。あの迫力ある城内のシーンから一挙にエメラルドグリーンの海の島も飛び越えて、フラフラと空想の翼をたたむように現実の世界に戻ります。しかし、夢見る瞳は参考書の文字は未だに追わず、ハートの形になったまま総司郎のイメージを追いながら、ただぼーっと時間が過ぎていく。(久しぶりに総司郎!思い出しました!この若武者はティーンエイジャーだった私の空想の中で必ず出てくるヒーローでした。)
何と能天気な受験生。お恥ずかしい限り!
私がこんなことを空想している間に受験のライバルたちは決戦の時とばかりに、しこしこと受験テクニックを磨いていたに違いありませんね・・・
いつもこのような物語が頭の中でぐるぐると浮かんでいた私は、空想好きで夢見がちな少女でした。
時が流れて・・・
やがて大人の扉を開けた私は、空想の世界に飛び立つことも無く、「しがらみ」と「やらねばならぬ」という鎖に縛られて忙しい時を過ごしているように見えます。が、今でも心の隅で「現実から離れてぼーっとした空想の時間もほしいよね。あの翼を広げたいなー。と、」しばしば考えます。

突然ですが、現実の目の前の景色です。12
今日の私の机の上には、PCとラッピングの資料と明日の講座に使用する風呂敷と、テキスト改訂のための多数の紙と箱が積んであります。いまさら総司郎とは申しませんが、ごちそうと冷たいパイナップルジュースのあの島はかけらもなくなっているように見えます。
でも、この絵ハガキをご覧あれ!「パイナップルジュースのあの島」に似た絵ハガキです。34詳しいことは忘れましたが、これは10年以上前に友達が宮古島の旅から送ってきてくれたものです。これを見たとたん、あのエメラルドグリーンの海に囲まれている空想の小島を思い出して、すぐ目の前の壁に貼り付けました。そして、心が折れそうなとき、疲れていやになったときにこの写真に目をやります。
これを見るといやなことも忘れて、うっとりと心のセリフ・・・
「あーあ!いつかこんな島に好きな本をたくさん持って行って、長椅子に寝ながらのんびりと1週間だけ、過ごせたらなー。」と。
全く成長していないのが、お恥ずかしい限り!トホホ。そしてちょっとだけ元気になるのです。心に温かい火がぽっと灯るように、です

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空想することにより、それでほんの一瞬でも心が慰められればしめたもの、お金もいらない、自由に出たり入ったり、しかめ面が簡単にニンマリ顔になるかもしれません。若いころ得意だったけれども、どこかに忘れてきた空想の翼を探してみるのも、オツなものかもしれません。

かの島の涼しい風に吹かれて、波のやさしい音を聞きながら、やがてまどろむ私に、「ひい様・・・」という聞き覚えのある声、目を開ければ・・・そこには懐かしい総司郎。
「総司郎!久しぶりね。あなたのことを忘れていたわけでないのよ、大人になっちゃって余裕がなかっただけなの、許してね。」
じっと見つめあう二人・・・
「あら、いやだわ、総司郎ったら手に持っているのは、パイナップルジュース…?」
(まあいいでしょう。許してください。空想なんですから。)
久しぶりに永遠のヒーローと夢の世界を飛んでみるのも悪くないですね!

夫婦の老後

夫婦の老後


先日、珍しい方からのお電話を頂きました。その方は子供の幼稚園でご一緒に役員をした古くからの友人で、元女優さん、透き通った声の知的な美人です。
彼女のお子様は年長、年少、乳飲み子と3人いらして、ご主人様はテレビに出ていらした俳優さんでした。この美男美女のお二人は幼稚園の行事などでも、ひときわ目立つ、仲の良い素敵なカップルでした。ところが、彼女と知り合って1~2年後にご主人様は病に臥せられ、半年ばかりでお亡くなりになってしまいました。
まだお若いし、あまりの事の成り行きに周りにおりました私たちは、掛ける言葉もないありさまでした。3人の幼い子供を抱えて、それからの彼女のご苦労は大変なものだったと思います。それも今は遠い昔の話となりました。彼女は立派に女手一つで子供たちを育て、この夏にはご長男が彼女と一緒に住む新しい家を立ててくれるとのこと。親孝行の息子家族と幸せな老後を迎えようとしています。

そのような彼女からの第一声は「五味栄里は、げんき?」という、いつもの言葉でした。
近況報告やら、共通の友人の音沙汰やらと積もる話もいっぱいあり、あっという間に時がたち、話も一段落した時に。
彼女「テレビコマーシャルで、熟年夫婦二人の生活をホンワリと映して、老後仕様の洗濯機や炊飯器の家電の宣伝を最近よくやっているでしょう、見たことある?」
私 「うん、あるある、ご主人が一緒に洗濯干しているよね。それと二人でキッチンに立って仲良くお料理しているのも見たよ。熟年夫婦なのに、新婚みたいに仲良くしているよね。」
彼女「あれ、どう思う?」
私 「うん、夫婦二人の幸せな老後を見せつけられているみたいで、私は何だかね~って感じ」
彼女「やっぱり、あなたも?あれ見ているとむかむかしてくる!奥様が一人で洗濯物ぐらい干せばいいじゃないねー。あんなこと二人でやらなくてもねー。」
私 「本当!おっしゃる通り!」

私も彼女と同じような境遇の人生を過ごしてきているので、彼女の気持ちが痛いほどわかります。この世には男と女しかいないのに、運悪く相手にはぐれて、今までもそしてこの後の老後も一人で歩いていく身には、あのCMは羨ましくて見ているとつらくなるのです。
彼女には一緒に住んで下さる息子さんがいますが、それとこれとは違います。
お恥ずかしいけれど私たちはあんな夢のような世界に住んでいる夫婦を見ると、つい気持ちがクルリと裏返り、我が身の寂しさを認めたくなくてこのような言葉になってしまうのです。まだまだ修行が足りないようです。
しかし、実際に夫婦の老後はあんなに「ほんわり甘い」ものなのでしょうか?仕事先のショッピングモールでウイークデイの昼下がりには、少々疲れ気味の定年後らしき男たちをよく見かけます。彼らの多くはやたらと元気な妻の買い物に付いて歩き、昼になれば夫婦でランチのトレイを持ってフードコートのテーブルに付きます。
しかし、男たちはひっきりなしに、しゃべりかけてくる妻に、殆ど無反応で下を向いたまま黙ってランチのラーメンをすすります。二人のすれちがう空しい時間が過ぎて食べ終わった後に、妻はあらぬ方向をぼっーと見ているご主人に「ほら行くわよ」の一言。
「上官」の命令に無言でのろのろと立ち上がり、大量のお荷物を持って後ろからついていくシーンは、まさに「哀愁のショッピングセンター」と名付けたくなります。
定年までバリバリと働いていた人が、「悠悠自適」をやっと獲得したはずなのに、精気のない不愛想な時間に、どっぷり身を置いてしまっているのをなんだか残念な、納得できないような気持ちで私は彼らを見送ります。

第一線から退いた老後は長い・・それを悔いなく生きていくのは大変です。
残された時間を何の感動も無く無為に過ごしてしまうのは、あまりにもったいないと思います。神様が下さった老後という「人生のご褒美」の時間が、楽しく輝いていなければ今まで一生懸命生きてきた自分に、申し訳ないと思います。
仕事を退職した男たちは違うことを求めているのに。妻たちもそのような男たちを、半分持て余しているのかもしれません。妻たちも自分が考えていた老後とはかけ離れた時間を不愛想な夫と共に過ごすのは不本意に違いないのでしょう。

ふと、このようなことを思いつきました。
隣にいる人生の伴侶を再度しみじみと見直してみたらいかがでしょう。
お互い歳を取り、しわも増えたけれど、縁あって長きにわたり共に歩いてきたベターハーフ、二人で育てた子供も巣立ち、会社の同僚もいない今、二人しかいないこの家でお互いの存在が当たり前で重大なことに気が付くのではないのかと思います。
小さな思いやり、優しい言葉、相手の笑顔、何気ない抱擁。そのような小さな生きがいを日々の日常の中から見つけていくことから始めれば、案外そこに不愛想から遠のく「ホンワリ甘い」老後の過ごし方の解答が隠れているのかも・・・

そう、あのCMの世界にお話が戻ってきてしまいました!
CMの中に凝縮されている、このありふれた何気ない日常こそ夫婦の幸せの原点なのでは?と感じます。「独り身の人がわかった風な口を利くんじゃないよ。」と、お叱りも受けそうですが。
寂しさをいやというほど味わっている私だからこその意見だとご容赦ください。

縁あって結ばれた二人が今、生きてここにいるのですから、これから歩んでいくその終わりをお互いの愛情の中で紡いでいくのが夫婦の最終の幸せだし、お互いへの義務だと思います。
老後を一人で過ごすのは寂しいことです。
いつか一人になった時に初めて、二人でいられたこと「その幸せの尊さ」に愕然とすることが無いように、人生の伴侶を大切に。
そして素敵な老後を見つけてください。

と、書き終えて・・沈丁花がかすかに香る、ただただ寂しい春の宵。