ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど
暑さ寒さも彼岸までという言葉がありますが、今年の夏は8月の末になってもまだ、うだるような暑さが続いております。あまりに暑いと普通の思考ができなくなるのでしょうか?私の周りには思わぬ事態(?)が出来しております。
出張の朝、電車に乗ったときのことです。
ラッシュの時間よりは幾分早い時間でしたのでひどいラッシュではありませんでしたが、それでも入り口まで人が立っているような状態でした。車両の中の方は案外空いていたので、乗り込もうとすると入り口に立っている若い女性が、乗せまいとするように体を押し返してきます。発車合図の音楽がすでに流れているときでしたので無理に乗ってしまいました。彼女が1歩だけ後ろに下がってくれたら、楽に気持ちよく乗ることができたのに、この人はどうしてこんなにも理不尽に頑張っているのかなー?と思いました。
私は次の駅で降りるので、そのまま閉まった扉とそのまま一歩も下がらない彼女に挟まれたような形で電車に揺られました。ところが、その間、彼女は自分のバッグで私の体を扉にぐりぐりと押しつけてくるのです。それは電車の動きとは連動していない故意の動きだとすぐにわかりました。次の駅で扉があいた途端、私は彼女に突き飛ばされてホームに転げ落ちました。あまりのひどい行為に後ろを振り返ったら私を横目でにらみながら『ふん!』という感じで足早に去っていきました。
よほど私が乗り込んできたのが癪に障ったのでしょうね。若くて、可愛い女性なのに残念です。私も気分が悪い、いやな朝になってしまいましたが、あのようなことに及んだ彼女の方はもっと気分が悪いだろうなと感じました。私が一言『よろしいですか?』と言えばよかったのかもしれませんが発車間際のことで、その余裕がありませんでした。暑さのせいにするのはちょっと気が引けますが、何だか心が殺伐としてしまいますね。
我が家には89歳の母がおります。台所にも立つし、趣味のセミナーにもおしゃれをして一人で出かけていくし、年齢の割には元気でいてくれます。ところが最近耳が遠くなってきてほとほと困っております。
周りの人間はまだこの状態に慣れていないので、いつもの調子で話しかけてしまいますが、本人には届きません。これが当の本人はもちろんのことですが、私たちにもたいへんなストレスになっております。
「何故、無視するのかしら?あ~そうかぁ聞こえないんだ」
「また『えっ?なーに?』って言っている・・・あーあ」
「大きな声で話しかけるのにエネルギーがいる・・・・」など、
殆どが私のわがままからのストレスだとわかっております。。
当然言葉数が少なくなりますし、何度も聞き返されると面倒くさくなってしまいます。
淋しいことに、今までのようなコミュニケーションができなくなっているのが現状です。
丁寧にしっかりと受け答えをしてあげれば、もっと意思の疎通は改善されるのは分かっていますが、母に対する甘えもあり、日常の些細なことの積み重ねなので、つい自分のわがままを許してしまいます。
オリンピックで「金メダル!とったよ!すごいね。」とちょっと離れている母に私が叫んでいても、何にも乗ってこない。ノリが悪いなーと思っていると、しばらくしてからテレビの字幕を見て『すごいねー金メダルだって!!』といわれると、心の底から淋しくがっかりしてしまいます。
現実と向き合いたくない、母の老いを認めたくない、今までと同じようにしていたいという「私」がそこにいるのですが、実は母の老いと真剣に向き合う時が目の前に来ているのです。
これではいけないと毎日、毎日自分を叱っています。
大切な母と分かっているのに、本当にダメな娘です・・・。
だからすごいストレス・・
というような情けない状態の上に、お仕事が山積み、その上暑さに追い打ちをかけられて、今はムリなの、できないの‥と、ぶちぶちとすべて夏の暑さのせいにして、今日も良心の神様に向かって言い訳ばかりしています。
これではだめですよね。
ヨシ!
秋の涼風が吹くころには心機一転!がんばろう!
電車の中も心地よく、そして母とは仕切り直しの笑顔のコミュニケーションができるようになっていることを・・・・・・ゼッタイ、ゼッタイ誓います!
このエッセイを書き終えて数日後、新潟に行ってまいりました。
台風一過の青空の下には見渡す限りの越後平野がひろがっていました。稲は実りの時を迎え、頭を深く垂れその上を渡る風が稲穂を大きくうねらせ金色に輝く波のようになったとき私の心の中には、あの誓いと共に母の笑顔が広がりました。
秋はもうすぐそこまで来ていると感じました。