6月と言えば紫陽花。
今月は季節に合わせて、リボンで作った紫陽花の花が印象的なラッピング方法をご紹介します。
リボンの色合いを変えれば、デイジーのラッピング、おみなえしのラッピングなども同じ手法でできます。
ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど
6月と言えば紫陽花。
今月は季節に合わせて、リボンで作った紫陽花の花が印象的なラッピング方法をご紹介します。
リボンの色合いを変えれば、デイジーのラッピング、おみなえしのラッピングなども同じ手法でできます。
先日、珍しい方からのお電話を頂きました。その方は子供の幼稚園でご一緒に役員をした古くからの友人で、元女優さん、透き通った声の知的な美人です。
彼女のお子様は年長、年少、乳飲み子と3人いらして、ご主人様はテレビに出ていらした俳優さんでした。この美男美女のお二人は幼稚園の行事などでも、ひときわ目立つ、仲の良い素敵なカップルでした。ところが、彼女と知り合って1~2年後にご主人様は病に臥せられ、半年ばかりでお亡くなりになってしまいました。
まだお若いし、あまりの事の成り行きに周りにおりました私たちは、掛ける言葉もないありさまでした。3人の幼い子供を抱えて、それからの彼女のご苦労は大変なものだったと思います。それも今は遠い昔の話となりました。彼女は立派に女手一つで子供たちを育て、この夏にはご長男が彼女と一緒に住む新しい家を立ててくれるとのこと。親孝行の息子家族と幸せな老後を迎えようとしています。
そのような彼女からの第一声は「五味栄里は、げんき?」という、いつもの言葉でした。
近況報告やら、共通の友人の音沙汰やらと積もる話もいっぱいあり、あっという間に時がたち、話も一段落した時に。
彼女「テレビコマーシャルで、熟年夫婦二人の生活をホンワリと映して、老後仕様の洗濯機や炊飯器の家電の宣伝を最近よくやっているでしょう、見たことある?」
私 「うん、あるある、ご主人が一緒に洗濯干しているよね。それと二人でキッチンに立って仲良くお料理しているのも見たよ。熟年夫婦なのに、新婚みたいに仲良くしているよね。」
彼女「あれ、どう思う?」
私 「うん、夫婦二人の幸せな老後を見せつけられているみたいで、私は何だかね~って感じ」
彼女「やっぱり、あなたも?あれ見ているとむかむかしてくる!奥様が一人で洗濯物ぐらい干せばいいじゃないねー。あんなこと二人でやらなくてもねー。」
私 「本当!おっしゃる通り!」
私も彼女と同じような境遇の人生を過ごしてきているので、彼女の気持ちが痛いほどわかります。この世には男と女しかいないのに、運悪く相手にはぐれて、今までもそしてこの後の老後も一人で歩いていく身には、あのCMは羨ましくて見ているとつらくなるのです。
彼女には一緒に住んで下さる息子さんがいますが、それとこれとは違います。
お恥ずかしいけれど私たちはあんな夢のような世界に住んでいる夫婦を見ると、つい気持ちがクルリと裏返り、我が身の寂しさを認めたくなくてこのような言葉になってしまうのです。まだまだ修行が足りないようです。
しかし、実際に夫婦の老後はあんなに「ほんわり甘い」ものなのでしょうか?仕事先のショッピングモールでウイークデイの昼下がりには、少々疲れ気味の定年後らしき男たちをよく見かけます。彼らの多くはやたらと元気な妻の買い物に付いて歩き、昼になれば夫婦でランチのトレイを持ってフードコートのテーブルに付きます。
しかし、男たちはひっきりなしに、しゃべりかけてくる妻に、殆ど無反応で下を向いたまま黙ってランチのラーメンをすすります。二人のすれちがう空しい時間が過ぎて食べ終わった後に、妻はあらぬ方向をぼっーと見ているご主人に「ほら行くわよ」の一言。
「上官」の命令に無言でのろのろと立ち上がり、大量のお荷物を持って後ろからついていくシーンは、まさに「哀愁のショッピングセンター」と名付けたくなります。
定年までバリバリと働いていた人が、「悠悠自適」をやっと獲得したはずなのに、精気のない不愛想な時間に、どっぷり身を置いてしまっているのをなんだか残念な、納得できないような気持ちで私は彼らを見送ります。
第一線から退いた老後は長い・・それを悔いなく生きていくのは大変です。
残された時間を何の感動も無く無為に過ごしてしまうのは、あまりにもったいないと思います。神様が下さった老後という「人生のご褒美」の時間が、楽しく輝いていなければ今まで一生懸命生きてきた自分に、申し訳ないと思います。
仕事を退職した男たちは違うことを求めているのに。妻たちもそのような男たちを、半分持て余しているのかもしれません。妻たちも自分が考えていた老後とはかけ離れた時間を不愛想な夫と共に過ごすのは不本意に違いないのでしょう。
ふと、このようなことを思いつきました。
隣にいる人生の伴侶を再度しみじみと見直してみたらいかがでしょう。
お互い歳を取り、しわも増えたけれど、縁あって長きにわたり共に歩いてきたベターハーフ、二人で育てた子供も巣立ち、会社の同僚もいない今、二人しかいないこの家でお互いの存在が当たり前で重大なことに気が付くのではないのかと思います。
小さな思いやり、優しい言葉、相手の笑顔、何気ない抱擁。そのような小さな生きがいを日々の日常の中から見つけていくことから始めれば、案外そこに不愛想から遠のく「ホンワリ甘い」老後の過ごし方の解答が隠れているのかも・・・
そう、あのCMの世界にお話が戻ってきてしまいました!
CMの中に凝縮されている、このありふれた何気ない日常こそ夫婦の幸せの原点なのでは?と感じます。「独り身の人がわかった風な口を利くんじゃないよ。」と、お叱りも受けそうですが。
寂しさをいやというほど味わっている私だからこその意見だとご容赦ください。
縁あって結ばれた二人が今、生きてここにいるのですから、これから歩んでいくその終わりをお互いの愛情の中で紡いでいくのが夫婦の最終の幸せだし、お互いへの義務だと思います。
老後を一人で過ごすのは寂しいことです。
いつか一人になった時に初めて、二人でいられたこと「その幸せの尊さ」に愕然とすることが無いように、人生の伴侶を大切に。
そして素敵な老後を見つけてください。
と、書き終えて・・沈丁花がかすかに香る、ただただ寂しい春の宵。
4月は入学シーズン・新学期なので「本を贈る」機会もあると思います。
今回は、本のラッピングでかつそのままブックカバーにもなる方法をご紹介します。さらに春なので桜のワンポイントも付けてみます。
前回はパリの旅日記をご紹介いたしましたが、今回はその続編のお話です。
日本人は比較的安全で平和な日常を過ごしていますが、一旦海外に出ると、その状況が一変しているのに気が付かずに大らかに行動してしまうので、その地に住んでいる人から見ると、あまりに無防備でハラハラすることが多いようです。
私の知人はブラジルのホテルに着いてそのままの出で立ちで外出しようとしたら、呼び止められて『あなた、帰ってくるときには多分その指輪は指ごと無くなっているよ。覚悟して外出したほうがいいよ』と言われ、自分の無知さに恐れ驚いたと話しておりました。数年前のスペイン旅では、私はたまたま袖と襟にファーが付いているコートを着用しておりました。ところがどこへ行っても親切なスペイン人たちが『旅行者がそのようなコートを着て歩くのは危険だからやめろ。』とあまりに心配をしてくれるので、新しいコートを買うのも荷物になるし、どうしようかと考えた末、ファーの部分だけ全部内側に折りたたんで「襟なしで、おまけに袖短か」のモコモコで格好の悪いコートになりました。でもどうにか無事に帰って来ましたのもその忠告のお陰と今は考えております。パリでもマロングラッセ屋のおじさんとおしゃべりをしていた時に『パリでの交通機関は?』と聞かれて『便利なのでメトロ』と答えるとびっくりして『旅行者には危ないよ、気をつけなさい。』と何度も言われました。
さて、先日のパリ旅で、クリスマス前の土曜日のお昼過ぎのことでした。ホテル近くのオペラ座の周囲はたくさんの買い物客が繰り出していて混雑を極めていました。その中を私たち3人が歩いておりましたところ「あれ?どこかで見たことがある女性だなー。」と思いながら歩いていると、その女性は元女子アナの中村江里子さんでした。
確か、実業家の素敵なパリジャンと幸せなご結婚をなさって、現在はパリで暮らしているセレブな女性です。
中村さんは建物の入り口で同年齢くらいのキャリアウーマンらしい女性と話をしておりましたが、ベージュ系でまとめた品のよいパンツ姿で赤い靴を履き、いかにも洗練されたエレガントさが立ち姿からにおい立つようで、パリジェンヌをも凌駕するほどの美しさでした。
私はそのまま中村さんのそばを通り過ぎてから、彼女がいることを傍の友達に耳打ちしました。友達が振り返って見ているなーと思いながら、私はミーハーと思われたくないので、そのまま振り返りもしないで歩を進めて行きましたところ、そのお友達が私の横に来て、たった1~2分の間の驚く話を始めました。
私に言われてお友達が振り返ると、中村さんがこちらに向かって手招きしているそうです。お友達はまさか自分とは思わないで怪訝なそぶりで見ていたら、彼女の方から近づいて来て『あなたたち気をつけなさい、さっきからずーとスリがつけているわよ』とそっと忠告してくれたとのこと。
その話を聞いて思い当たるのは中村さんの横を通り過ぎた時に、やけに私の横にぴたりとくっついてくる顔色の悪い若い女子がいたことです。水色のポンチョみたいのを羽織って同色のニット帽をかぶっていたのも明確に覚えておりましたのは、ぴたりと横についている挙動が不審だったからかもしれません。私もバッグをしっかりと抑え直した記憶がありました。その後大騒ぎでバッグの中を調べましたがお陰で被害は何もなくほっと胸を撫で下ろしました。
パリは素敵な街ですが、やっぱり異国の街です。私たち異邦人にとっては知らない間に危険がいっぱい牙をむいて襲い掛かっている町なのだと、はっきりとその怖さを悟りました。それにしても、あの中村さんがわざわざ私たちを呼びとめて忠告をして下さったとは!よほど目に余る無防備な状態だったのでしょう。きっと同郷のよしみで教えて下さったのだと感謝の気持ちでいっぱいです。
そのご忠告のお陰で私たちはパリにいる間は声を掛け合って、前後左右を警戒するようになり、パリでのセキュリティーレベルは著しく向上しました。感謝 感謝
海外に出ることは異文化に触れる素晴らしいチャンスなのですが、その異文化も有り難くないものもたくさんあるわけです。平和ボケの私にとってはテロといい、スリの女子といい、まさに異文化の洗礼をしっかりと受けた経験でした。どうして人間は平和に生きていけないのかなぁ?と悲しい気持ちになりますが・・・よくよく考えると東アジアにある私達のこの国にも、国と国を隔てる幕の隙間から不穏な空気が、知らない間に流れてきているのかもしれませんね。「平和ボケ」なんて悠長なことを言っていられなくなるのかも・・・
日本がいつまでも安全で、そして人々の気持ちに善意が満ちている国であってほしいと、願うばかりです。
キッチンに常備されている、ペーパーナフキンやワックスペーパーを使って、ちょっとしたギフトパッケージを作ってみましょう。
バレンタインのチョコや、手づくりクッキーなどを包んでみてはいかが?
明けましておめでとうございます!
本年も「五味栄里のラッピング講座」をよろしくお願いいたします。
さて昨年、パリのクリスマスに行ってまいりました。テロ騒ぎ勃発後のため、万が一外地で命を落とすことになったとしてもこれも運命と、悲壮感をそこはかとなく漂わせ、周りにも心配をかけながら機上の人となりましたが…エアーはガラガラで(みーんなヤッパリ、キャンセルしたのね)いつも満杯なのに1人で5シートぐらいのゆったり感、ビジネスクラス?みたいな気分の上に、乗客が少ないためか何度も赤白ワインを紙コップなみなみ注いでいただき、すっかりご機嫌さんになって12時間後にシャルルドゴール空港に到着しました。空港内の警備はさすがに厳しく迷彩服の兵隊が機関銃を重そうに抱えてあちこちに立っていましたが、本物の機関銃なるものを初めて目にしたので、その物珍しさから怪しまれないように横目でそーっと見てしまいました。
ホテルはそのアクセスの便利さからオペラ座の傍と決めています。荷物を預けて、近くのラファイエットとプランタンのイルミネーションを見るために出かけました。隣同士の2つのデパートは毎年競ってファサード全体をイルミネーションで埋め尽くすほどの規模で飾るのですが、ラファイエットの今年は寂しい限り…線のみのイルミネーションでした。
しかしプランタンは通常通りの華やかさでした。これは軒下のプランタンの飾りです。
違う日に出かけた老舗のデパートのボンマルシェの内装は、黒い木がトータルコンセプトで、各売り場のセレクトショップにも同じディスプレイがしてありました。
ラッピングはディスプレイと同じコンセプトの黒いリボンと包装紙とキャリー
、開いてみるとラッピングとお揃いのこのバッグです!
このようなギフトを頂いたら嬉しいですね!その他にはマドレーヌのエルメスのファサードも素敵でした。
シャンゼリゼはクリスマスマーケットも両サイドに出て、機関銃の兵隊さんも混じって、たくさんの人が出ておりました。
オルセーの話を少し。
中をぶらぶらと絵画を見ながらしばらく歩いていると、特別展の囲いがあり、無料なので入ってみました。入り口近くには複数の絵画が掛けてあり、共通するのは「娼婦」の絵らしきこと、その中にはゴーギャンもゴッホもロートレックもありました。ドガの「踊り子」の絵もありました。以前聞いた話ですが、この絵のバレリーナはその時代には娼婦のような仕事だったようです。貧困の低層階級の女子にとっては足を出し肢体も露わに踊り、上流の紳士の目に留まると愛人に…その品定めがこの舞台なのです。袖にいる黒い紳士がこの踊り子の愛人だそうです。
その特別展を進んでいくうちにベルベットのカーテンがいかにも重く垂れている場所があり、おそるおそる中をのぞいてみると、本当にすごい代物がたくさんありました。覗きレンズのようになっていて、のぞいてみるとポルノまがいのその時代のフィルム、娼婦と男たちのあられもないフィルムです。びっくりして慌ててレンズから目を離しましたが、隣の人もそのまた隣のご婦人もみな熱心に見ているので気を取り直して私も決心してしっかりと見ました。写真も多数あり、ここはどこ?本当にオルセー?と言いたくなるものばかりです。普通ならば恥ずかしくて正視できないものを、皆、真面目にお勉強といった風情で見ています。たまに老婦人が横の夫らしき人にびっくりした顔をして見せますが、夫は優しく少し笑って見返す程度。中には若―い美人のパリジェンヌ風の先生?がパリのインテリおばちゃん風の一団を引き連れて熱心に案内しながら説明をしていました。おばちゃんたちは頷いたり、びっくりしたり、顔を見合わせてちょっと笑ったり。私がフランス語堪能ならば、きっと面白く聞けたのにと…残念に思いました。梅毒患者の写真などは怖くて見ることができませんでしたが、奥に豪華な衣装をまとった高級娼婦の肖像画があり、その美しいこと!肌は陶器のように白くて、気品があり、凛として胸を張りまるでお姫様のようです。そのそばにはイメージせよ!と言わんばかりに、アールヌーボー様式の特大豪華なベッドに白い清潔な豪奢な絹とレースの寝具までおいてありました。目を引いたのは堕胎用の手術台です。白いおしゃれな木製の家具のようで、ブルーグレイの花柄の絹布を貼ってあります。なぜそのように豪華なのか訳は分かりませんが、とても奇異な感じは否めませんでした。最後はポンチ絵です。御者の娼婦に鞭でシバかれていろいろの職業の男達が馬車馬になって曳いている絵、男たちの死骸の山の上に娼婦が座っている絵などが並んでいました。いつの世も男は欲望のはけ口を求め、堕落と認めながらも、どうしても踏み外してしまう、娼婦は甘い罠のような存在だったのでしょうね。でもその時代のパリはバビロン〈悪徳と堕落〉の街と言われながら、娼婦によって絵画もオペラも文学も文化の花が大輪の花を咲かせた時代でもあったようです。
最後にお口直し・・・。
ベルサイユのプチトリアノンにあるマリーアントワネットの小部屋をお見せします。私はパリ旅で時間があれば、このプチトリアノンまで足を伸ばします。それはこのお部屋が大好きだから。宮殿のように豪華ではなく、天井も低く暗いけれど落ち着いて品があって可愛いからです。もしこのようなお部屋があったらいいなーという思いと、このような簡素の部屋に逃げ込みたかったマリーアントワネットの気持ちがなんだか痛いほど伝わってくる、その切ない雰囲気が好きです。

まだまだお話したいものはいっぱいありますが…今日はこれまでにしておきます。
2016年もいよいよスタートを切りました。
皆様にとりまして良いお年でありますことを、心よりお祈りいたします。
五味栄里
クリスマス2015の第2弾は「クリスマスリースの作り方」です。簡単ですので、ぜひクリスマスには手づくりのリースを飾ってみたらいかがでしょうか?
クリスマス2015の第1弾として「サンタクロースの折り紙」の作り方をご紹介します。
夕方、久しぶりにウオーキングに出かけました。その時間は、いつもならば陽がまぶしいはずなのに、すでに陽は翳り空にはうっすらと夕焼けが見えていました。秋の日はつるべ落としといいますが、知らない間に秋が深まっているんだなと、落ち葉を踏むかさかさいう音を聞きながら時の移ろいの寂しさを味わいました。
今回は 夏の終わりに参りました、直島紀行を綴ってみたいと思います。
瀬戸内海にある直島は、海の自然と人々の生活の中にベネッセハウス、地中美術館などアートな世界を展開して独特な雰囲気でのアートエリアを構築しているスポットです。島中そこここに今を時めく観光スポットがたくさんありましたが、島の中の建築を巡る「家プロジェクト」をご紹介します。
安藤忠雄設計のトイレと南寺 写真1
丸い円筒形のトイレです。形は奇抜ですが、木でできているので周りのひなびた雰囲気にも際立つことなく、しかし存在感は保ちつつ、そこにありました。
そのすぐ横に「南寺」なるものがあり、丸いトイレと同類、すべて木で囲った四角い家のような建物で開口部が皆無のお寺?です。中に入るとそのコンテンツはジェームスタレルの作品です。これがまことに不思議。中は漆黒の闇…手探りで歩くのも怖いほどです。一緒に入った方たちも思わず悲鳴が出るほどの闇です、まったく何も見えません!壁を手でつたいながら恐怖の中、冷たい椅子にたどり着き座りました。その芸術は、光を実態でとらえると表現していいのでしょうか?最後にどんでん返しのような出来事が起こります。〈ネタ晴らしはしません、どうぞ実際に体験してみてください〉
役場 写真2・3
安土桃山時代の建物をモチーフにした作品で、屋根の上には戦国の武将が「カ!カ!カ!」と笑っていそうな、とても役場とは思えないユニークな形です。
中で働いている方たちもきっとニコニコと歌でも歌いながらお仕事しているのかなーなんて勘違い?してしまう、明るい自由な感じがいっぱいの建物でした。
写真3が正面、写真2が裏です。
歯医者 写真4・5
昔は歯医者さんだったとのことです。小さな木枠の窓が付いた受付だけが、歯医者さんの名残を残していました。あとは!!自由奔放やりたい放題の中身と外観でした。写真5をよーくご覧ください!自由の女神が隠れています。
護王神社 写真7・8・9
こちらはガラスの階段でちょっと有名な神社です。山の斜面に沿った階段を美しい海を垣間見ながら写真8上っていくと、頂上に小さなお社が建っています。そこの神殿に上がる階段がガラスでできています。お社の真中にある白い階段です、写真が小さくて見えづらいですね!〈ゴメンナサイ〉暑い日差しの中で見ると、氷のようにも見えて溶けてしまうのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。木の質感とは真逆の氷が現生の矛盾を表現しているのか。現生の危うさを氷の階段で表現しているのか、氷の階段を上った後の木のぬくもりの幸せと温かみを神聖なお社とオーバーラップしているのか。たくさんの感受性がそこには存在していると思いました。実はこの氷の階段はそのまま地中に埋もれていて写真7細い入り口から人ひとりの肩幅しかない極細の通路を通って、その地中の階段を見ることができます。地中の中での階段は氷には全く見えず、神のような暖かい光に包まれて美しく輝いていました。神聖な神様の見てはいけないお姿を見てしまったような、不思議な罪悪感を感じるほどの気持ちになりました。
小道 写真10・11・12
家プロジェクトはすなわち、「直島ウオーキング」なんですね。道から道へ民家を通り抜けて歩くのですが、この民家のお玄関周りが素晴らしい!さすがアートの島の住民ですね。美意識の高さを感じました。島民のおもてなしの心意気みたいのものが随所に出ておりました。
島には外人の観光客も多く、国際的にも注目されている場所なんですね。ベネッセの前身である福武書店が最初は社員保養所として直島に進出してきたとのこと。この企業進出により島の運命が180度転換してしまったということです。家プロジェクトの他にも島の自然を生かしつつ、外からは見えない地中に美術館があったり(安藤忠雄)、その地中美術館にもまたベネッセ美術館にも自由な発想の作品を、芸術家が勝手気ままに繰り広げている感じがして面白いエリアだなと、思いました。ただし、多くの作品は意味が分からず、フーンと横目で見ながら通り過ぎてきたというのが正直なところです。〈芸儒家の皆さまお許しアレ〉
芸術を理解するには、作る人とそれを体感する人のたくさんのギャップが大きな障害にもなるし、またそれが面白みを生み出すこともあると思います。たくさんの芸術に触れなければ自分がそれを体感した時に「ああこれだ!」と心が震えるほどの共感を得る作品にはなかなか出会えないのでしょうね。まだまだ私の修行は足りないのだと思いました。
実は帰りに大原美術館に寄りました。
見たことがある、知っている絵画の前では、なんだかほっとして、心の緊張が解けていくような気持になったのは・・・やっぱり修行が足りないと大いに恥入った私でした。
今回はハロウィーンリースの作り方をご紹介します。
材料は雑貨屋さんで気軽に買えるものが多いので、手軽に作っていただけます。