ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

夏の思い出


梅雨の終わりに襲ってきた台風がようやく収まった翌朝、真っ青な空を見上げれば遠くに入道雲が湧いていて、そこにはまぎれもなく輝くような夏が待っていました。
私が小学生のころの夏は「今日は暑かった!32度もあった。」などと夏休みの絵日記には書いた記憶がありますので、その頃の気候では猛暑や熱中症などという不穏な言葉は存在しませんでした。だから外に遊びに出るときは綿のワンピースをふわりと着て、つば広の帽子をかぶるだけで充分でした。

外で遊ぶのが大好きでお転婆な私は真っ黒に日焼けしているのが自慢で、友達と袖口をめくっては肌の白い部分との違いを競い合ったものでした。遊び疲れた午後には、庭からの風がよく通る八畳間でごろごろしながら漫画や本を読んでいると、いつの間にか風鈴のやさしい音と共に眠りに落ちていき、ギラギラした陽の強さも少し翳りを帯びた午後、ひぐらしの声で起きた時の冷えた西瓜が何よりのごちそうでした。

夏休みの週末には、家族そろって三保の海水浴場(世界遺産に指定を受けて、天女の羽衣伝説で有名です)へ小さな寄合のポンポン蒸気船に乗って出かけました。船が出る時の、ポンポンというエンジンを吹かせた景気のいい音と、ガソリンくさい臭いはワクワクした思いと共に今でも鮮明に思い出すことができます。
私たち子どもへの父の水泳教育はスパルタで、岸からちょっと遠くの足が届かない海の中に子供たちをポッチャンと落として、必死にバタバタしているのを笑いながら見ていました。私たちも苦しいながらも近くに父がいる安心感で、楽しい気分は変わらず、そのうちに犬かきのような格好で必死でバタバタと前に進むと嬉しそうに大きな声で『うまい!うまい!』と喜んで抱き留めてくれました。時としてブクブクと沈んでいく私の水着の背中のひもを持って、引き上げてくれた父の大きな手を今は懐かしく思い出します。
両親が『夏に海の水を飲んでいると冬になっても風邪をひかないよ。』という、訳のわからない話をすっかり信じていて、溺れて大量の海水を飲んでしまっても得をしたみたいに考えていましたが、結構いい加減な話ですよね。
ひとしきり溺れて(?)泳いだ後は、海の家でかき氷を皆で食べました。イチゴか、メロンか、レモンか迷うことがまた楽しくて、頭がキーンと冷えて食した後には赤や黄色、緑に染まった口が可笑しくてお互いに大笑い!あのにぎやかな団らんが、本当に楽しい夏休みの週末でした。

最後に少し大人になった大学時代の夏休みのお話をいたしましょう。
私はその年の前の夏に失恋をしました。お昼前に七夕飾りが林立する商店通りを二人で歩いているとその人が突然自慢げに『バイト先で知り合った高校生とも、今日の夜デートだよ。昼間は栄里だろう?だから俺今日忙しいんだよ。』と、いう何ともデリカシーのない言葉に仰天して、私の気持ちは決まりました。彼が私を引き止める言葉にも耳を貸さず、その手も振り払い、走って家に帰りました。

傷心の夏が過ぎて、その秋に私は新しい人と出会いました。私の気持ちは彼の知的な大人の引力にぐいぐいと引き寄せられていきました。そして新しい夏。帰省していた私の家に彼からの一本の電話、「近くに来たからこれから訪ねてもよろしいですか?」
お察しください、家じゅう大騒ぎになりました。大騒動の昼間が過ぎて、たまたまその夜は夏祭りでした。私は紺地に白い菖蒲の柄の浴衣を着て彼と共にお祭りに出かけました。
そこにハプニングです!失恋の顛末を知っていた私の友が、去年の夏の彼女がお祭りに来ていることを、知らせてくれました。私はもちろん初めて彼女を目にしました。去年の失恋のことを知っている彼もじっと彼女を見ておりました。
やがて短い楽しい時が過ぎ去って、その日の夜行で故郷に帰る彼を駅まで送っていく時間になりました。お祭り広場から道路に出るまでの20段くらいの階段の前で、彼が立ち止り『どうして、そいつが栄里を振ったのか俺にはよく理解できない。俺なら栄里を選ぶ』とぼそっと言って、私をいきなり横抱きにして階段を上がっていきました。息も乱さず道路に上がりきって静かに私を下して、彼は何もなかったようにさっさと前を歩いていきます。そのあと駅まで言葉は無く、電車に乗った彼のやさしい目を見ながら、私は自分の運命が知らない間に一本道になって続いているのを予感しました。

夏になると決まって思い出す、大事な思い出の数々。
今日はとっておきのお話でした!