ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

直島紀行


夕方、久しぶりにウオーキングに出かけました。その時間は、いつもならば陽がまぶしいはずなのに、すでに陽は翳り空にはうっすらと夕焼けが見えていました。秋の日はつるべ落としといいますが、知らない間に秋が深まっているんだなと、落ち葉を踏むかさかさいう音を聞きながら時の移ろいの寂しさを味わいました。

今回は 夏の終わりに参りました、直島紀行を綴ってみたいと思います。
瀬戸内海にある直島は、海の自然と人々の生活の中にベネッセハウス、地中美術館などアートな世界を展開して独特な雰囲気でのアートエリアを構築しているスポットです。島中そこここに今を時めく観光スポットがたくさんありましたが、島の中の建築を巡る「家プロジェクト」をご紹介します。

安藤忠雄設計のトイレと南寺 写真1

丸い円筒形のトイレです。形は奇抜ですが、木でできているので周りのひなびた雰囲気にも際立つことなく、しかし存在感は保ちつつ、そこにありました。
そのすぐ横に「南寺」なるものがあり、丸いトイレと同類、すべて木で囲った四角い家のような建物で開口部が皆無のお寺?です。中に入るとそのコンテンツはジェームスタレルの作品です。これがまことに不思議。中は漆黒の闇…手探りで歩くのも怖いほどです。一緒に入った方たちも思わず悲鳴が出るほどの闇です、まったく何も見えません!壁を手でつたいながら恐怖の中、冷たい椅子にたどり着き座りました。その芸術は、光を実態でとらえると表現していいのでしょうか?最後にどんでん返しのような出来事が起こります。〈ネタ晴らしはしません、どうぞ実際に体験してみてください〉

役場 写真2・3

安土桃山時代の建物をモチーフにした作品で、屋根の上には戦国の武将が「カ!カ!カ!」と笑っていそうな、とても役場とは思えないユニークな形です。
中で働いている方たちもきっとニコニコと歌でも歌いながらお仕事しているのかなーなんて勘違い?してしまう、明るい自由な感じがいっぱいの建物でした。
写真3が正面、写真2が裏です。

歯医者 写真4・5

昔は歯医者さんだったとのことです。小さな木枠の窓が付いた受付だけが、歯医者さんの名残を残していました。あとは!!自由奔放やりたい放題の中身と外観でした。写真5をよーくご覧ください!自由の女神が隠れています。

護王神社 写真7・8・9

こちらはガラスの階段でちょっと有名な神社です。山の斜面に沿った階段を美しい海を垣間見ながら写真8上っていくと、頂上に小さなお社が建っています。そこの神殿に上がる階段がガラスでできています。お社の真中にある白い階段です、写真が小さくて見えづらいですね!〈ゴメンナサイ〉暑い日差しの中で見ると、氷のようにも見えて溶けてしまうのではないかと、いらぬ心配をしてしまいます。木の質感とは真逆の氷が現生の矛盾を表現しているのか。現生の危うさを氷の階段で表現しているのか、氷の階段を上った後の木のぬくもりの幸せと温かみを神聖なお社とオーバーラップしているのか。たくさんの感受性がそこには存在していると思いました。実はこの氷の階段はそのまま地中に埋もれていて写真7細い入り口から人ひとりの肩幅しかない極細の通路を通って、その地中の階段を見ることができます。地中の中での階段は氷には全く見えず、神のような暖かい光に包まれて美しく輝いていました。神聖な神様の見てはいけないお姿を見てしまったような、不思議な罪悪感を感じるほどの気持ちになりました。

小道 写真10・11・12

家プロジェクトはすなわち、「直島ウオーキング」なんですね。道から道へ民家を通り抜けて歩くのですが、この民家のお玄関周りが素晴らしい!さすがアートの島の住民ですね。美意識の高さを感じました。島民のおもてなしの心意気みたいのものが随所に出ておりました。

島には外人の観光客も多く、国際的にも注目されている場所なんですね。ベネッセの前身である福武書店が最初は社員保養所として直島に進出してきたとのこと。この企業進出により島の運命が180度転換してしまったということです。家プロジェクトの他にも島の自然を生かしつつ、外からは見えない地中に美術館があったり(安藤忠雄)、その地中美術館にもまたベネッセ美術館にも自由な発想の作品を、芸術家が勝手気ままに繰り広げている感じがして面白いエリアだなと、思いました。ただし、多くの作品は意味が分からず、フーンと横目で見ながら通り過ぎてきたというのが正直なところです。〈芸儒家の皆さまお許しアレ〉
芸術を理解するには、作る人とそれを体感する人のたくさんのギャップが大きな障害にもなるし、またそれが面白みを生み出すこともあると思います。たくさんの芸術に触れなければ自分がそれを体感した時に「ああこれだ!」と心が震えるほどの共感を得る作品にはなかなか出会えないのでしょうね。まだまだ私の修行は足りないのだと思いました。
実は帰りに大原美術館に寄りました。

見たことがある、知っている絵画の前では、なんだかほっとして、心の緊張が解けていくような気持になったのは・・・やっぱり修行が足りないと大いに恥入った私でした。