今回は3種類の「タグを使ったラッピング」をご紹介します。
1つ目はよく見かけるショップのタグや商品タグなどをかわいくつける方法、
2つ目はおしゃべリボンで期間限定販売中の「イニシャルチャーム」を使ったラッピング、
3つ目はこれもおしゃべリボンで販売中の「マスクチャーム&ピアス」をラッピングに使ってみました。
みなさまの参考になれば嬉しいです。

ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど
今回は3種類の「タグを使ったラッピング」をご紹介します。
1つ目はよく見かけるショップのタグや商品タグなどをかわいくつける方法、
2つ目はおしゃべリボンで期間限定販売中の「イニシャルチャーム」を使ったラッピング、
3つ目はこれもおしゃべリボンで販売中の「マスクチャーム&ピアス」をラッピングに使ってみました。
みなさまの参考になれば嬉しいです。
今年は年明け早々、残念なことに再度のコロナ緊急事態宣言の発出という事態になってしまいました。
ウイルスはまるで私たちの心のゆるみにつけ入る様に、知らないところで増殖していて気が付いたときには感染者が桁違いの数で増加していました。今は、1000人超えたと聞いても感覚がマヒしてしまい驚きもしないのが実情です。
それでも無関心になることはできないので、毎日の感染者の数の増減に心を砕いているのは皆同じだと思います。
マスクは今や外出するとき、人と会う時の、必需品です。
これが無かったら、市民権(?)を頂けないという状況ですが、共通交通機関に乗るといろいろなマスクに出会います。
鼻がすっかり出ているマスク、あごにのみ鎮座しているマスク、効果が低いウレタン、布製などを目にすると車両を変えたいとさえ思います。ところが過度に気にしすぎる人もいて注意すれば争いになり「マスク警察」という名前まで付き、いったいどうしたらいいんだよーと、叫んでしまいたい、本当に住みづらい世の中になってしまいました。
住みづらいと言えば、マスク事情で女性のメイクもいやおうなしに激変しました。マスクに隠れてしまうし、汚れてしまうなどの理由で、女性はリップとチークを使わなくなりました。でもお化粧終わりにはたまにはリップを濃い目に塗り、チークをピンクピンクにして、可愛くしたいなーと思います。
どんなにお化粧しても鏡の中の顔は、色の無い、精気の無い残念な私しか写っていません。皆そのような顔に本当に飽き飽きしているのです。
華やかな色が溢れる春も近いのに、このままでいいの?と鏡の前で出るのは深いため息ばかりです。
一方、テレビを付ければコロナ関連ばかりですが、マイクの前で政治家が話しをする時に、外したマスクのしまい方にそれぞれの特長を見つけました。ある女性の政治家はマスクをジャケットの前ポケットの中にグシャッと突っ込んでいました。「マスクしわしわになっちゃうよ、その後捨てるのかなぁー」と、一言ぽつり。
演題の上に無造作にあおむけに寝かされたマスク、一生懸命話している持ち主の横で天を仰いでいる紐が時々写るのを見て、「なんだかな~、この人しっかり仕事してくれているの?」と見当違いの心配をして。
大臣クラスの男性、きちんと丁寧に胸ポケットにしまったのを見て、うむ、これは気持ちいい‼と小さな心の拍手。
マスクを外したら手作りのマスクケースにきちんと入れてから、おもむろに話し出すような政治家さんがいたら、ちょっと嬉しい感じがします。
このようなヒマな視聴者がいろいろなことを言っているのですもの、政治家さんたちも大変だね。
そうそう、先日、電車の中でマスク美人にお目に掛かりました。勿論彼女のお顔の全容は見えていないのですが、どう拝見しても美しい、特に斜め横顔が素敵でした。
チラチラと観察すると、もちろんマスクはきちんとしているのですが、黒目がちの目、額、眉、こめかみ、鼻筋がちゃんと見えている事が美しい条件だと気が付きました。
アースタイルも大切で、前髪は降ろしているのですが顔のパーツの邪魔をしていないのです。そして長めの髪を後ろでくくっているので、首筋もすっきりと見えて肌の肌理、色白も際立っていました。
但し先日お会いした、中学生のお子様のお母様からこのようなお話も伺いました。
PТAの初めての会合でお母様方が一斉にマスクを外す機会があったそうです。
曰く「びっくりよ、マスク外すと殆どの人の顔のバランスがねぇ・・だめなのよー。
えーっ!?こんな顔?という人ばかり、なかなか美人っていないものなのね」
「マスク付けていると2倍は美人に見えてしまうものなのね」と・・・
なるほど、マスクの思わぬ効用もあるものですね。
マスク雑感、
マスクにまつわることを思いつくまま書いてみました。
つい1年前まで想像だにしなかったパンデミック、この恐ろしい言葉の意味さえ知らなかった私たち、今後どのように収束していけるのか?いまだ道の先は見えておりません。今私たちが持っている武器は消毒とマスクのみです。見えない敵に向かうには脆弱過ぎると感じる方もいらっしゃるでしょうが、アナログではあるが実は最強なのでは・・と私は感じております。簡単に手に入り、持ち運び簡単、取り換え可能、装着簡単、利点はいっぱいあります。この武器をしっかりと手に持ち戦うしかないのです。
マスクのルールに沿って皆で力を合わせて、この道の先に光を求めて頑張りましょう。
今回はバレンタインデーラッピングのワンポイントアドバイスです。
ポイント1:バレンタインデーにぴったりの「トライアングルリボン」のかけ方
ポイント2:ロゴが入ったリボンを使う時に便利な「面裏上下のあるリボンの結び方」
ポイント3:モールとリボンを使った「アクセサリーの作り方」
バレンタインデーに限らず、お店などではいつでも使えるノウハウです。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!
今回から「ディスプレイ&ビジネスラッピング」のカテゴリーが追加になりました。
このコーナーでは、店舗のディスプレイやラッピングについて五味栄里先生にアドバイスしていただきます。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!
第1弾は「クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス」
材料を揃える前に確認しておきたい事など、チェックしてください!
今年は残暑が厳しく、いつになったら涼しくなるのかしら?などと思っていたら、ある日突然「はい!季節変わります」とばかりに、秋がいきなりの態で登場しました。
秋と言えば「彼岸花」、今は「鬼滅の刃のお花」と言った方が通りがいいかも?夏の終わりの花なので、今はすでに枯れてしまいましたが私の好きな花です。この季節に地方の出張がある時は、汽車の窓から一生懸命に彼岸花の燃えるような赤を探します。
ところが今年、田んぼのあぜ道などを好むこの花が、東京の真ん中でもちゃんと咲いているのを見つけて驚きました。
最初は近くのマンションのお庭で見つけました。()一つ見つけると、次々に公園の中(
)川のほとり(
)など彼岸花を発見しました。見つけるたびに嬉しくて、がんばっているね‼と声を掛けたくなります。
でも次の日には()このような調子でぽきんと折られていたり、踏まれていたりして無残な形になっていることもしばしばあり、悲しい思いをいたしました。彼岸という名前のイメージが悪いのか、根には毒を持つという由来が嫌われるのか、子供のいたずらか、残念なことです。
私がこの花を好む理由は、懐かしい思い出があるからです・・・
故郷の私の家の裏には、向こうの際がわからないほどの広大な水田が広がっていて、そののどかな風景には季節ごとの色がありました。冬枯れの茶色の稲株が残っている、でこぼこした土地は子供たちの遊び場となり、春はレンゲの花が一面に赤紫の絨毯を敷き詰めたように咲き、初夏には青々とした稲が風になびき、夏の終わりには稲穂の金色の豊かな実りが青空の下でさわさわと音を立てます。その鮮やかな色の思い出の中でもひときわ心に残っている風景があります。
その広大な田んぼの真ん中に、1.5mほど高さがある為に、一本だけ目立つあぜ道がありました。それはSの字型に大きく湾曲して遠い向こうの際まで続いていました。上は踏み固めて白くなった道が付いていてその道幅は人が一人通るのがやっと、という細さでした。家から歩いて人家の角を曲がると、突然目の前に田んぼが大きく開けて、道は急に細くなり、そのあぜ道につながります。
私が10歳くらいの頃でしょうか、秋の始めのことでした。
外遊びにも飽きて田んぼにふらふらと迷い出た時、目の前に広がった風景を見て子供ながらに、まさに言葉を失いました。
最初はそのあぜ道が燃えている!と思いました。真っ赤な一本の道が炎のように燃え上がり遠くまでS字の形を描いて伸びているように見えました。それは、あぜ道の両側の、のり面の下から上まで彼岸花が隙間の無いほどびっしりと咲いて、あぜ道の全てを覆い尽くしていたのです。周りの田んぼの暗い色とのコントラストが見事で、その真っ赤なS字の一本道の風景は今でもはっきりとその映像が心に残っております。あまりの美しさにお姫様の道だ!と、膝まであるたわわに咲いた無数の彼岸花をかき分けるように、お姫様気分で何度もその道をうっとりとして行ったり来たりしました。
それにもう一つおまけの思い出が付いております。調子に乗って歌を歌ってお姫さまごっこをしていましたら、小さな茶色の「蛇ちゃん」がくねくねと彼岸花の中から眼前の足元に出てきて道を横断して彼岸花の中に消えていきました。その瞬間、調子に乗っていたお姫様は一瞬固まった後「ぎゃーあーー」と悲鳴を上げて一目散に彼岸花を蹴散らすように、逃げ帰りました。その後「蛇ちゃん」が怖くてすぐには行けませんでしたが、しばらくしてこわごわと、お友達を誘って行ってみると、あの鮮やかな花の道はすっかりと茶色の土手道に変わり。寒々とした稲を刈り取った後の風景が広がるばかりでした。お友達にその彼岸花の道がどんなに素敵なのか散々語って連れてきたら、この変わりよう・・・
お友達に合わす顔もなく呆然自失の私でした。
最後の結末はどうであれ、今ではあれは彼岸花のランウエイだったと思い出すたびに、その美しさに心の中で密かな拍手を送ります。時が移り、時間が私自身を変えても、幼い時の色を伴う鮮烈な思い出は、色あせることない赤の思い出として残っています。
ちなみに数年前、久しぶりに故郷を訪ねた折、またあの田圃とあのあぜ道に会いたくて、故郷の家の近くまで参りました。知ってはいましたが、故郷の家は壊されて枝が門の上にかぶさるようにあった大きな槇の木も無く、思い出の中の懐かしい小さなかけらさえ見つけることが出来ませんでした。落胆と空しさを心の中で鉛のように抱きながらも、「田んぼを見てから帰ろう‼」と、気を取り直して角を曲がりましたところ、何と、本当に驚きました。あの広大な田んぼがすっかり跡形もなくなり、民家がびっしりと建ち並び、太い道路が通り、車が行きかう、ただの埃臭い街並みに変わっていました。
心の中の鉛は取り出せないほどのもっと深い深い底に沈んでいきました。
だから秋になると、決まって彼岸花が心の底の鉛の陰から、スーッと茎をのばし鮮やかな赤の花を咲かせます。『あの風景は死んでしまったけれど、でもちゃんと思い出してあの美しいランウエイを・・』と。
故郷は遠きにありて思ふもの・・彼岸花を見ればこの言葉を決まりのように思い出します。
今回はA4のコピー用紙でもつくれるマスクトレイをご紹介します。
ショップや接客のお仕事の場合、簡単に作れて使い捨てできるマスクトレイはお客様にも喜ばれると思います。
また、このトレイはギフトラッピングにも使えるので、ハロウィンギフトに応用してみました。
ぜひ参考にしてみてください。
今年はコロナ禍の上に長雨、そして豪雨に洪水、その後は猛暑が続き、マスク必携の外出は、熱中症との闘いとなり、とにかくたいへんな夏となってしまいました。
私も炎天下にたくさんの量の洗濯物を干していたところ、首筋にねっとりとした脂汗が出てきて、そのうちに胸がむかむかとして、軽い頭痛?いつもとちがう・・と思い、慌てて涼しい室内に戻ったことがありました。冷たい水を含み、しばらくじっとしておりましたので、事なきを得たのですが、、、熱中症は突然に、やってくることを実感しました。
もっとも、その時の私のいで立ちは首まであるフェイスカバー、長そでナイロンのレインパーカー、つば広帽子と、日焼け防止のために寸分スキのないスタイルでしたので、それは当然の結果だと、心配した家人からたしなめられたのはいうまでもありません。
そのような大変な夏もやっと終わり、誰も想像だにしなかった、この災いの一年は半分以上が過ぎようとしています。今や感染者はビックリするほどの数字となっていますが、その数字にも慣れてしまい、聞いても「フーン」と殆ど無反応になって来ています。当たり前ではないこの異常な日常が、今は普通になっていることが恐ろしい事だと、日々自分を戒めながらも、コロナの時代に遭遇してしまった不運を、つい嘆いてしまう毎日です。
このような事を考えていると気分がクサクサとしてきますので、「何か晴れ晴れとするような良いことないかなぁ」と、考えを巡らしてみました。
晴れ晴れとはいかないまでも、とても小っちゃいことですが、思わず心がほっとする日常の幸せをいくつか見つけてみましたので、お付き合いください。
*友人
コロナで久しくお会いしていない、学生時代の友人から突然小包みが届きました。開けてみましたら中身は高知の芋ケンピ,ゴディバのコーヒー、名古屋の焼きそば用のタレ、そして『栄里ちゃん元気かい?』というお手紙でした。バラエティーの富んだ、てんこ盛りの美味しさ溢れるギフトとお手紙がうれしくてすぐお電話をしました。
「なかなか会えないねー」の第一声から約30分次から次へと話題が山盛り!
「やっぱりお友達はいいなあ」と、しみじみと幸せを感じながら「早く会いたいね」の終わりの言葉まで休みなく楽しい時間を過ごせました。この友人はパリにもご一緒した旅友達で、ウン十年来のお付き合いです。ありがたや・・・
*ベランダのお花
我が家のベランダは細長く広いので、壁伝いに植木を置いていくうちに数が増えてしまいました。()中には花を咲かせるもの、意外なほど大きく育ち木陰を作ってくれるもの(
)など私の大好きな植木がたくさんあります。夕方涼しくなってから水やりをしながら、植木の雑草を取ったり、枯れたお花や葉を切ったり、虫を取ったりしているといろいろな憂さも晴れて、植木との語らいのような時間は私の楽しみの一つになっております。(
)お花はさほど豪華に咲いてはおりませんが、蕾を持つと本当に花開くのが楽しみです。(
)
ハイビスカス()は、20年ほど前に親戚から頂いたのが大きくなり一日だけの短命の花ですが黄色、オレンジ、赤、白など毎日、日替わりで色とりどりに咲いてくれます。
特筆すべきはこちら!()今年、お仕事先から頂いた葡萄の鉢です。よく見る葡萄の葉っぱがちゃんと付いて、蔓になっています。かわいい!頂いたときにはまだ実は緑で小さかったのですが、このように期待通りに立派な一人前の葡萄に生ったので先程収穫しました。(
)
今日のランチは特別で、あのお友達から送っていただいた名古屋のタレを使って焼きそばにしました。そのデザートに・・はい!我が家で収穫した葡萄です。()粒がピンと張っていて、甘くて,ジュ―シーまさに地産地消の醍醐味でした。ご馳走様でした。
来年も収穫できますように!(合掌)
*ランチ
ランチと言えば、私の定番のランチをご紹介します。
()ランチは麺類や、パンなど糖質の多い食事になってしまいがちなので、フルーツとヨーグルトだけでしかも満腹感があるレシピをと考えてナッツをいれてみました。ダイエット食としてはいいのでないかと、信じて半年くらい続けています。
レシピは超簡単です。材料はヨーグルト小さいパック1個、無塩の素焼きのナッツを30粒ほど、オレンジ1個、葡萄10粒で、フルーツ類は皮をむいて細かく刻んであとは混ぜ合わせるだけです。劇的にダイエットできたとは申しませんが、意外に美味しくて、季節のフルーツも楽しみの一つとなりました。お昼時になるとそそくさとキッチンに入り作り始めます。
横に置いてあります麦茶のようなドリンクは、36茶とレモングラスを一緒に煎じたお茶です()阿蘇山の傍のハーブやさんで見つけた36茶は、大麦、ハト麦、はぶ草、エキナセア、柿、桑の実、どくだみ、など36種類の山野に自生している野草などをブレンドしたお茶で、冷たく冷やしていつも我が家の冷蔵庫には用意してあるドリンクです。
私達はいま、コロナにいつ感染するか分からない、まるで見えない敵に常時さらされているような禍の中でがんばっています。
たった数か月前の、外出も、人と会うのも、仕事も、旅行も何の不安もなく、普通に行動できたあの日常が懐かしいですね。今から考えると「平穏な日々」というのはあの時のことを言うのだと、失ってから初めてわかりました。
お話いたしました「ほっとすること」はどちらも日常の延長の一コマですが、今の私にはかろうじて残った、小さな「平穏」の象徴なような感じがいたします。
だから、
コロナにかからないで友達も、周りの人も皆が元気でありがとう。
お花を愛でることが出来て、ありがとう。
葡萄が収穫出来てありがとう。
季節のフルーツもヨーグルトも36茶も手に入り、美味しくいただけてありがとう・・・です。
平穏の日々は脆く、壊れやすいことにやっと気が付くことができ、以前では当たり前になっていた何気ない日常が、本当にありがたいことだと、痛いほど思い知りました。
だからこそ、この当たり前を手の中にたいせつに、たいせつに、包んで心からありがとうと言えるような気持で毎日を過ごせたらいいな、と思います。
元気な体で朝を迎えることが出来て、今日も幸せ!
明日の朝も元気にニコニコと「お早うございます!!」といつもよりちょっと大きな声で言ってみましょうね。
ピース!!
クリアケースを使って簡単にマスクケースを作ってみよう。
ちょっとした工夫でかわいくデコレーション!
マスクに小さな蝶リボンを付けて目印にしてみてはどうでしょう?
ちょっとしたオシャレにもなるし、マスクの上下もすぐわかるし、便利ですよ。
また、この機会に正しい蝶リボンの結び方も覚えましょう!
リボンに裏表のあるもの、ないもの、それぞれの結び方をご紹介しています。
この数か月、テレビや新聞で新型コロナの名前を聞かない日は無く、最近は「with corona」「 after corona」などというお洒落な言葉さえ登場してまいりました。
事の重大さはさておき、とりあえず世の中の流れにぴたりとくる言葉を考えようという方たちの、造語(?)なのでしょうか。
このしつこいコロナとはお別れできそうもないから、うまく付き合っていかなければネ!とコロナに迎合したようで、私はあまり聞き心地の良い言葉とは感じません。
とは言いつつ・・・、私の「with corona」のお話をしてみたいと思います。
私は一昨年から非常勤講師として専門学校の授業を担当しております。
本年の授業は5月早々からスタートのはずでした。
ところがご存知のようにコロナの影響で学校は授業も開始できずに、4月がそのまま過ぎて5月に突入と言う予期せぬ出来事となってしまいました。
この事態に私は「いやはや、どうなるのか」と気を揉んでおりましたら、5月最初の2回の授業は生徒たちに課題を出してレポート提出となりましたが、5月中旬からはいよいよオンライン授業が始まるとのお達しが学校から参りました。
オンライン?…と言われても、動画を撮るのか?実際にオンタイムで流すのか?などと不安になるばかりであれこれと慮っておりましたところ、突然学校からそのオンラインについてのテレビ会議をするというまさかのお達しが来ました。
テレビ会議?!なんやそれ!ですわ。
少し前に友人から女子会をしようという「ズーム」のメールが来たのですが、画像が横になってしまうわ、音声が途切れるわ、私の画像が映らないわ、で結局1時間あれやこれやと友人と苦心惨憺しましたが結局疲れ果ててあきらめてしまった嫌な思い出が、まざまざと蘇ってきて私は完全な拒否反応。
でもお仕事だから何とかしなければと、おろおろしておりましたら、助っ人登場!「先生、大丈夫です。傍にいてお話しできるように操作いたします」と、力強いメールを頂き、もうもう地獄に仏とはこのことだと、その方のメールがキラキラと輝いて神々しく見えたのは決して見間違いではないと思います。
いよいよテレビ会議の当日、助っ人さんのお蔭で無事に学校と映像も音声もつながり、連絡事項なども滞りなくお伝えできました。複数の先生が参加されていましたが、皆さま慣れたご様子でした。やはりお電話やメールと違い映像が伴う事は相手に内容が伝わりやすいものなんだと、改めてその効果に感心いたしました。まさにこれこそ「after corona」だと思いました。自宅で手軽にお打ち合わせができるのですから、これから仕事の仕方は確実に変わっていくだろうと感じました。そう言えば、どちらかの大企業が今後50%の出社率にする方針を打ち立てたと、何気ない調子ですごいことを今朝のニュースでやっておりました。
そのような経緯があり、いよいよオンライン授業のその日を迎えました。
テレビ会議の中でのお話では、私はいつものように授業をするだけでPCの操作は学校がなさるという事でしたので、いざという時は助けて頂けると安心しておりました。
授業は学校からオンタイムで発信して、生徒が自宅で受信する形でスタートです。
私の周りにはPCが4台、操作していただく方が3人いらっしゃいました。
授業中の様子は、正直言うと資料の画像がすぐに出なかったり、生徒の受信がうまくいかなかったり、私の映像の後ろを操作の方が慌てて通ったりと、てんやわんやの時間でした。途中で操作の方と私のやり取りも生徒に筒抜けで「イヤー出ないですね」「ちょっと待ってこれ違う」などとこちらの慌てぶりも伝わっていたのでしょう。チャットで生徒から「ごゆっくりどうぞ」などというメールも届き、いやはや終了した時には操作の方も含め、全員、深いため息とともに終了したことへの安堵感に、ただただ無言になりました。
これに慣れるまでには、学校にもご迷惑をおかけすることも予想されて、私が独り立ちして、家から配信できるようになるには、なかなか棘の道が待っているようです。
本当にできるのかなぁー。
たった数か月の間に、新型コロナウイルスの影響で世の中の在り様が一変してしまいました。歴史に残るほどの大変なことが周りでじわじわと起こっているのだと感じるときには、恐怖心さえ湧いてくる日々です。
見えない敵にワクチンという力技が出来ない限り、私たちは「with corona」「after corona」という言葉に象徴される生き方の変革を模索していくのですね。
この困難な時代にたまたま遭遇してしまい、その成り行きを見届けることになってしまった私たちですが、「with corona」「after corona」などという言葉を捨て去り、「graduation corona」と高らかに胸を張ることが出来るように頑張って、勝利の声を上げたいものです。
せっかくですから、最後は元気にまとめてみました。
・・・とりあえず「with corona」がんばります。