Author Archives: nakagawa

バレンタインラッピングのワンポイントアドバイス

バレンタインラッピングのワンポイントアドバイス


今回はバレンタインデーラッピングのワンポイントアドバイスです。
ポイント1:バレンタインデーにぴったりの「トライアングルリボン」のかけ方
ポイント2:ロゴが入ったリボンを使う時に便利な「面裏上下のあるリボンの結び方」
ポイント3:モールとリボンを使った「アクセサリーの作り方」

バレンタインデーに限らず、お店などではいつでも使えるノウハウです。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!

クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス

クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス


今回から「ディスプレイ&ビジネスラッピング」のカテゴリーが追加になりました。
このコーナーでは、店舗のディスプレイやラッピングについて五味栄里先生にアドバイスしていただきます。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!

第1弾は「クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス」
材料を揃える前に確認しておきたい事など、チェックしてください!

彼岸花のランウエイ

彼岸花のランウエイ


今年は残暑が厳しく、いつになったら涼しくなるのかしら?などと思っていたら、ある日突然「はい!季節変わります」とばかりに、秋がいきなりの態で登場しました。
秋と言えば「彼岸花」、今は「鬼滅の刃のお花」と言った方が通りがいいかも?夏の終わりの花なので、今はすでに枯れてしまいましたが私の好きな花です。この季節に地方の出張がある時は、汽車の窓から一生懸命に彼岸花の燃えるような赤を探します。
ところが今年、田んぼのあぜ道などを好むこの花が、東京の真ん中でもちゃんと咲いているのを見つけて驚きました。

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最初は近くのマンションのお庭で見つけました。(12)一つ見つけると、次々に公園の中(3)川のほとり(4)など彼岸花を発見しました。見つけるたびに嬉しくて、がんばっているね‼と声を掛けたくなります。
でも次の日には(567)このような調子でぽきんと折られていたり、踏まれていたりして無残な形になっていることもしばしばあり、悲しい思いをいたしました。彼岸という名前のイメージが悪いのか、根には毒を持つという由来が嫌われるのか、子供のいたずらか、残念なことです。

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私がこの花を好む理由は、懐かしい思い出があるからです・・・
故郷の私の家の裏には、向こうの際がわからないほどの広大な水田が広がっていて、そののどかな風景には季節ごとの色がありました。冬枯れの茶色の稲株が残っている、でこぼこした土地は子供たちの遊び場となり、春はレンゲの花が一面に赤紫の絨毯を敷き詰めたように咲き、初夏には青々とした稲が風になびき、夏の終わりには稲穂の金色の豊かな実りが青空の下でさわさわと音を立てます。その鮮やかな色の思い出の中でもひときわ心に残っている風景があります。

その広大な田んぼの真ん中に、1.5mほど高さがある為に、一本だけ目立つあぜ道がありました。それはSの字型に大きく湾曲して遠い向こうの際まで続いていました。上は踏み固めて白くなった道が付いていてその道幅は人が一人通るのがやっと、という細さでした。家から歩いて人家の角を曲がると、突然目の前に田んぼが大きく開けて、道は急に細くなり、そのあぜ道につながります。
私が10歳くらいの頃でしょうか、秋の始めのことでした。
外遊びにも飽きて田んぼにふらふらと迷い出た時、目の前に広がった風景を見て子供ながらに、まさに言葉を失いました。
最初はそのあぜ道が燃えている!と思いました。真っ赤な一本の道が炎のように燃え上がり遠くまでS字の形を描いて伸びているように見えました。それは、あぜ道の両側の、のり面の下から上まで彼岸花が隙間の無いほどびっしりと咲いて、あぜ道の全てを覆い尽くしていたのです。周りの田んぼの暗い色とのコントラストが見事で、その真っ赤なS字の一本道の風景は今でもはっきりとその映像が心に残っております。あまりの美しさにお姫様の道だ!と、膝まであるたわわに咲いた無数の彼岸花をかき分けるように、お姫様気分で何度もその道をうっとりとして行ったり来たりしました。

それにもう一つおまけの思い出が付いております。調子に乗って歌を歌ってお姫さまごっこをしていましたら、小さな茶色の「蛇ちゃん」がくねくねと彼岸花の中から眼前の足元に出てきて道を横断して彼岸花の中に消えていきました。その瞬間、調子に乗っていたお姫様は一瞬固まった後「ぎゃーあーー」と悲鳴を上げて一目散に彼岸花を蹴散らすように、逃げ帰りました。その後「蛇ちゃん」が怖くてすぐには行けませんでしたが、しばらくしてこわごわと、お友達を誘って行ってみると、あの鮮やかな花の道はすっかりと茶色の土手道に変わり。寒々とした稲を刈り取った後の風景が広がるばかりでした。お友達にその彼岸花の道がどんなに素敵なのか散々語って連れてきたら、この変わりよう・・・
お友達に合わす顔もなく呆然自失の私でした。
最後の結末はどうであれ、今ではあれは彼岸花のランウエイだったと思い出すたびに、その美しさに心の中で密かな拍手を送ります。時が移り、時間が私自身を変えても、幼い時の色を伴う鮮烈な思い出は、色あせることない赤の思い出として残っています。

ちなみに数年前、久しぶりに故郷を訪ねた折、またあの田圃とあのあぜ道に会いたくて、故郷の家の近くまで参りました。知ってはいましたが、故郷の家は壊されて枝が門の上にかぶさるようにあった大きな槇の木も無く、思い出の中の懐かしい小さなかけらさえ見つけることが出来ませんでした。落胆と空しさを心の中で鉛のように抱きながらも、「田んぼを見てから帰ろう‼」と、気を取り直して角を曲がりましたところ、何と、本当に驚きました。あの広大な田んぼがすっかり跡形もなくなり、民家がびっしりと建ち並び、太い道路が通り、車が行きかう、ただの埃臭い街並みに変わっていました。
心の中の鉛は取り出せないほどのもっと深い深い底に沈んでいきました。
だから秋になると、決まって彼岸花が心の底の鉛の陰から、スーッと茎をのばし鮮やかな赤の花を咲かせます。『あの風景は死んでしまったけれど、でもちゃんと思い出してあの美しいランウエイを・・』と。
故郷は遠きにありて思ふもの・・彼岸花を見ればこの言葉を決まりのように思い出します。

A4用紙でマスクトレイをつくろう

A4用紙でマスクトレイをつくろう


今回はA4のコピー用紙でもつくれるマスクトレイをご紹介します。
ショップや接客のお仕事の場合、簡単に作れて使い捨てできるマスクトレイはお客様にも喜ばれると思います。
また、このトレイはギフトラッピングにも使えるので、ハロウィンギフトに応用してみました。
ぜひ参考にしてみてください。

ホッとすること

ホッとすること


今年はコロナ禍の上に長雨、そして豪雨に洪水、その後は猛暑が続き、マスク必携の外出は、熱中症との闘いとなり、とにかくたいへんな夏となってしまいました。
私も炎天下にたくさんの量の洗濯物を干していたところ、首筋にねっとりとした脂汗が出てきて、そのうちに胸がむかむかとして、軽い頭痛?いつもとちがう・・と思い、慌てて涼しい室内に戻ったことがありました。冷たい水を含み、しばらくじっとしておりましたので、事なきを得たのですが、、、熱中症は突然に、やってくることを実感しました。
もっとも、その時の私のいで立ちは首まであるフェイスカバー、長そでナイロンのレインパーカー、つば広帽子と、日焼け防止のために寸分スキのないスタイルでしたので、それは当然の結果だと、心配した家人からたしなめられたのはいうまでもありません。

そのような大変な夏もやっと終わり、誰も想像だにしなかった、この災いの一年は半分以上が過ぎようとしています。今や感染者はビックリするほどの数字となっていますが、その数字にも慣れてしまい、聞いても「フーン」と殆ど無反応になって来ています。当たり前ではないこの異常な日常が、今は普通になっていることが恐ろしい事だと、日々自分を戒めながらも、コロナの時代に遭遇してしまった不運を、つい嘆いてしまう毎日です。

このような事を考えていると気分がクサクサとしてきますので、「何か晴れ晴れとするような良いことないかなぁ」と、考えを巡らしてみました。
晴れ晴れとはいかないまでも、とても小っちゃいことですが、思わず心がほっとする日常の幸せをいくつか見つけてみましたので、お付き合いください。

*友人

コロナで久しくお会いしていない、学生時代の友人から突然小包みが届きました。開けてみましたら中身は高知の芋ケンピ,ゴディバのコーヒー、名古屋の焼きそば用のタレ、そして『栄里ちゃん元気かい?』というお手紙でした。バラエティーの富んだ、てんこ盛りの美味しさ溢れるギフトとお手紙がうれしくてすぐお電話をしました。
「なかなか会えないねー」の第一声から約30分次から次へと話題が山盛り!
「やっぱりお友達はいいなあ」と、しみじみと幸せを感じながら「早く会いたいね」の終わりの言葉まで休みなく楽しい時間を過ごせました。この友人はパリにもご一緒した旅友達で、ウン十年来のお付き合いです。ありがたや・・・

*ベランダのお花

我が家のベランダは細長く広いので、壁伝いに植木を置いていくうちに数が増えてしまいました。(1)中には花を咲かせるもの、意外なほど大きく育ち木陰を作ってくれるもの(2)など私の大好きな植木がたくさんあります。夕方涼しくなってから水やりをしながら、植木の雑草を取ったり、枯れたお花や葉を切ったり、虫を取ったりしているといろいろな憂さも晴れて、植木との語らいのような時間は私の楽しみの一つになっております。(3)お花はさほど豪華に咲いてはおりませんが、蕾を持つと本当に花開くのが楽しみです。(456

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ハイビスカス(7)は、20年ほど前に親戚から頂いたのが大きくなり一日だけの短命の花ですが黄色、オレンジ、赤、白など毎日、日替わりで色とりどりに咲いてくれます。
特筆すべきはこちら!(8)今年、お仕事先から頂いた葡萄の鉢です。よく見る葡萄の葉っぱがちゃんと付いて、蔓になっています。かわいい!頂いたときにはまだ実は緑で小さかったのですが、このように期待通りに立派な一人前の葡萄に生ったので先程収穫しました。(9
今日のランチは特別で、あのお友達から送っていただいた名古屋のタレを使って焼きそばにしました。そのデザートに・・はい!我が家で収穫した葡萄です。(10)粒がピンと張っていて、甘くて,ジュ―シーまさに地産地消の醍醐味でした。ご馳走様でした。
来年も収穫できますように!(合掌)

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*ランチ

ランチと言えば、私の定番のランチをご紹介します。
11)ランチは麺類や、パンなど糖質の多い食事になってしまいがちなので、フルーツとヨーグルトだけでしかも満腹感があるレシピをと考えてナッツをいれてみました。ダイエット食としてはいいのでないかと、信じて半年くらい続けています。
レシピは超簡単です。材料はヨーグルト小さいパック1個、無塩の素焼きのナッツを30粒ほど、オレンジ1個、葡萄10粒で、フルーツ類は皮をむいて細かく刻んであとは混ぜ合わせるだけです。劇的にダイエットできたとは申しませんが、意外に美味しくて、季節のフルーツも楽しみの一つとなりました。お昼時になるとそそくさとキッチンに入り作り始めます。
横に置いてあります麦茶のようなドリンクは、36茶とレモングラスを一緒に煎じたお茶です(12)阿蘇山の傍のハーブやさんで見つけた36茶は、大麦、ハト麦、はぶ草、エキナセア、柿、桑の実、どくだみ、など36種類の山野に自生している野草などをブレンドしたお茶で、冷たく冷やしていつも我が家の冷蔵庫には用意してあるドリンクです。

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私達はいま、コロナにいつ感染するか分からない、まるで見えない敵に常時さらされているような禍の中でがんばっています。
たった数か月前の、外出も、人と会うのも、仕事も、旅行も何の不安もなく、普通に行動できたあの日常が懐かしいですね。今から考えると「平穏な日々」というのはあの時のことを言うのだと、失ってから初めてわかりました。

お話いたしました「ほっとすること」はどちらも日常の延長の一コマですが、今の私にはかろうじて残った、小さな「平穏」の象徴なような感じがいたします。
だから、
コロナにかからないで友達も、周りの人も皆が元気でありがとう。
お花を愛でることが出来て、ありがとう。
葡萄が収穫出来てありがとう。
季節のフルーツもヨーグルトも36茶も手に入り、美味しくいただけてありがとう・・・です。
平穏の日々は脆く、壊れやすいことにやっと気が付くことができ、以前では当たり前になっていた何気ない日常が、本当にありがたいことだと、痛いほど思い知りました。
だからこそ、この当たり前を手の中にたいせつに、たいせつに、包んで心からありがとうと言えるような気持で毎日を過ごせたらいいな、と思います。

元気な体で朝を迎えることが出来て、今日も幸せ!
明日の朝も元気にニコニコと「お早うございます!!」といつもよりちょっと大きな声で言ってみましょうね。

ピース!!

マスクにリボンを付けて(蝶リボンの結び方)

マスクにリボンを付けて(蝶リボンの結び方)


マスクに小さな蝶リボンを付けて目印にしてみてはどうでしょう?
ちょっとしたオシャレにもなるし、マスクの上下もすぐわかるし、便利ですよ。
また、この機会に正しい蝶リボンの結び方も覚えましょう!
リボンに裏表のあるもの、ないもの、それぞれの結び方をご紹介しています。

with corona

with corona


この数か月、テレビや新聞で新型コロナの名前を聞かない日は無く、最近は「with corona」「 after corona」などというお洒落な言葉さえ登場してまいりました。
事の重大さはさておき、とりあえず世の中の流れにぴたりとくる言葉を考えようという方たちの、造語(?)なのでしょうか。
このしつこいコロナとはお別れできそうもないから、うまく付き合っていかなければネ!とコロナに迎合したようで、私はあまり聞き心地の良い言葉とは感じません。
とは言いつつ・・・、私の「with corona」のお話をしてみたいと思います。

私は一昨年から非常勤講師として専門学校の授業を担当しております。
本年の授業は5月早々からスタートのはずでした。
ところがご存知のようにコロナの影響で学校は授業も開始できずに、4月がそのまま過ぎて5月に突入と言う予期せぬ出来事となってしまいました。
この事態に私は「いやはや、どうなるのか」と気を揉んでおりましたら、5月最初の2回の授業は生徒たちに課題を出してレポート提出となりましたが、5月中旬からはいよいよオンライン授業が始まるとのお達しが学校から参りました。
オンライン?…と言われても、動画を撮るのか?実際にオンタイムで流すのか?などと不安になるばかりであれこれと慮っておりましたところ、突然学校からそのオンラインについてのテレビ会議をするというまさかのお達しが来ました。
テレビ会議?!なんやそれ!ですわ。

少し前に友人から女子会をしようという「ズーム」のメールが来たのですが、画像が横になってしまうわ、音声が途切れるわ、私の画像が映らないわ、で結局1時間あれやこれやと友人と苦心惨憺しましたが結局疲れ果ててあきらめてしまった嫌な思い出が、まざまざと蘇ってきて私は完全な拒否反応。
でもお仕事だから何とかしなければと、おろおろしておりましたら、助っ人登場!「先生、大丈夫です。傍にいてお話しできるように操作いたします」と、力強いメールを頂き、もうもう地獄に仏とはこのことだと、その方のメールがキラキラと輝いて神々しく見えたのは決して見間違いではないと思います。

いよいよテレビ会議の当日、助っ人さんのお蔭で無事に学校と映像も音声もつながり、連絡事項なども滞りなくお伝えできました。複数の先生が参加されていましたが、皆さま慣れたご様子でした。やはりお電話やメールと違い映像が伴う事は相手に内容が伝わりやすいものなんだと、改めてその効果に感心いたしました。まさにこれこそ「after corona」だと思いました。自宅で手軽にお打ち合わせができるのですから、これから仕事の仕方は確実に変わっていくだろうと感じました。そう言えば、どちらかの大企業が今後50%の出社率にする方針を打ち立てたと、何気ない調子ですごいことを今朝のニュースでやっておりました。

そのような経緯があり、いよいよオンライン授業のその日を迎えました。
テレビ会議の中でのお話では、私はいつものように授業をするだけでPCの操作は学校がなさるという事でしたので、いざという時は助けて頂けると安心しておりました。
授業は学校からオンタイムで発信して、生徒が自宅で受信する形でスタートです。
私の周りにはPCが4台、操作していただく方が3人いらっしゃいました。
授業中の様子は、正直言うと資料の画像がすぐに出なかったり、生徒の受信がうまくいかなかったり、私の映像の後ろを操作の方が慌てて通ったりと、てんやわんやの時間でした。途中で操作の方と私のやり取りも生徒に筒抜けで「イヤー出ないですね」「ちょっと待ってこれ違う」などとこちらの慌てぶりも伝わっていたのでしょう。チャットで生徒から「ごゆっくりどうぞ」などというメールも届き、いやはや終了した時には操作の方も含め、全員、深いため息とともに終了したことへの安堵感に、ただただ無言になりました。
これに慣れるまでには、学校にもご迷惑をおかけすることも予想されて、私が独り立ちして、家から配信できるようになるには、なかなか棘の道が待っているようです。
本当にできるのかなぁー。

たった数か月の間に、新型コロナウイルスの影響で世の中の在り様が一変してしまいました。歴史に残るほどの大変なことが周りでじわじわと起こっているのだと感じるときには、恐怖心さえ湧いてくる日々です。
見えない敵にワクチンという力技が出来ない限り、私たちは「with corona」「after corona」という言葉に象徴される生き方の変革を模索していくのですね。
この困難な時代にたまたま遭遇してしまい、その成り行きを見届けることになってしまった私たちですが、「with corona」「after corona」などという言葉を捨て去り、「graduation corona」と高らかに胸を張ることが出来るように頑張って、勝利の声を上げたいものです。
せっかくですから、最後は元気にまとめてみました。
・・・とりあえず「with corona」がんばります。

コロナウイルス

コロナウイルス


いま、地球という大きなくくりの中で生きている私たちは、顕微鏡の世界に生きている極小のコロナウィルスに席巻されて、とことん痛めつけられております。
死者が15万人、感染者が200万人というその感染力の強さは、想像をはるかに超え中国の小さな市場のなかで発生してから、またたくまに地球を征服してしまいました。コロナにとって地球は、思いのほか小さい星だったのでしょう。

コロナという名に違和感があり調べてみると、顕微鏡で見た姿が球状に大きな表面突起があり、太陽のコロナを連想したので名付けたとのことですが、コロナとは太陽の周りの光、又は王冠、花冠という美しい意味なのに何と不釣り合いなことだと、腹立たしくさえ感じました。
もう少しおどろおどろしい名前でもよかったのに・・。
ギザギザウィルス、ジグザグウィルス、とげとげウィルス、とか。

日常の社会活動の殆どが停止してしまった結果その影響が末端にまで、もれなく及ぶのを目の当たりにすると、今にして思うのですが・・・

私たちの生活のディテールはいじらしいほどに、社会の隅々まで手と手をつなぐようにつながっていたことが、しっかりとわかりました。
私達は一人では生きていけない、社会的な生物であったと今更ながら納得しました。
だから、営々と築いてきた秩序がウィルスという生物なのか無生物なのか、その間に位置するという(?)わけのわからない、そして意志を持たない物に、ものの見事にやられちゃったのだと考えると、なんだか悔しい気持ちでいっぱいになります。
予想だにしないことが突然起こるとつなぎあっていた手と手は簡単に解かれてしまう、この現実を見ていると悲しいけれど私達の立ち位置の脆弱さに、今やっと気付かされた気がいたします。

飲食、小売り、生産、イベント、流通などのお金を生み出す経済活動が機能しなくなり悲鳴を上げている一方で(私も同等です)、コロナと戦う医療の崩壊なども叫ばれていて、今やあちこちで大火事が起こっている事が判っているのに、消火がうまく進んでいないようなもどかしい緊急事態です。
我が家の「にわか評論家」たちはテレビを見ながら、PCR検査を増やせとか、外国のようにロックダウンにしろとか、店舗の家賃を肩代わりしろとか好きなことを言っておりますが、言うのは簡単、その重責を担う当事者の方たちの夜も眠れないほどのご苦労をお察しいたします。

とにかく、この難局を乗り越えなければ何も始まりません。
私達にできることは、ウィルスを拡散させないこと、これだけです。
コロナの影響のない基本的なルーティーンがいまはなつかしい。

私は朝起きると、まず検温です。
高齢の母と一緒なので、試験の結果を見るような気持ちで、体温計を見ます。
ちょっと高いなと思うと不安でいっぱいになります。心なしか頭痛もしてきて・・困ったことに相当の神経過敏になっているようですね。朝食も栄養価を考えて、いつもよりもバランスのいいものを一応用意しているつもりです。

普段ならば、そのあとからは仕事がらみの忙しいスケジュールで、バタバタと時間が過ぎていきますが、仕事の殆どがキャンセル状態なのでゆっくりと時間をつぶしていきます。こういう時こそ、普段気になっている棚の掃除とか、書類の片付けなどをすればよろしいのですが、なかなか気持ちが奮い立たず、だらだらと掃除機と埃取りの刷毛を持って気の無い掃除を始めますが、ともするとボーっと外の景色を見ていたり、ベランダのお花を見ている状態で、体は休めていますが、心は死んでいます・・。
勉強もやらなければいけないものがあります。
今日こそ参考書を開こうと毎朝起きた時に思うのですが、一向に参考書を開く気持ちになりません。結局本を読んだり、テレビを見たりと無為な時間が過ぎていき夕飯の支度の時間が来てしまう。この繰り返しです。
コロナ以前は、時間を持て余すなんてもったいない、贅沢な人のいう事だと思っていましたが、完全に私は今その贅沢な人になっております。

いろいろ反省しているうちに、私はにっくきコロナに知らない間に負けてしまっている気がしてきました。
これではいけません!
有り余った時間を利用して、掃除もちゃんとして、勉強もして、お夕飯はすごーく美味しいものを作りましょう!そして夜寝るときに「今日はたくさんのことが出来て、充実していたな、疲れたからよーく眠れるよ!!」と、ニコニコしてお布団の中にもぐりこむことが出来たら最高です。

そうですネ、前を向いていきましょう、普段の生活が戻ってきたらあの時に整理したのでこんなに使いやすくなったとか、あの時勉強しておいたからこんなに仕事が進んだとか・・・何より、あの時ちゃんと外に出ないで、身を守ることが出来たからこの幸せとこの笑顔!!と、しみじみ思えるように、逆境を逆手にとってがんばりましょう。
「良かったね‼やっと収束したね。」と皆で肩をたたきあえるように、私たち前向きにがんばりましょう!
コロナに勝つには、今が 今が 大切です。

新入学の季節

新入学の季節


四月は新入学、新社会人などの旅立ちの季節です。
この時期には、大きな荷物を抱えた親子がちょっと不安そうに空港乗り継ぎの浜松町や新幹線最寄りの品川から電車に乗ってくるのを見かけますが、そのような親子連れを見ると私も母と大きな荷物を抱えて静岡から上京した、十八歳の時を思い出します

母の心配をよそに、娘の私は憧れの東京に足を踏みいれて、小鹿のような警戒心を持ちながらも見るもの聞くもの全てが新鮮で、これから始まる新生活に思いをはせ、車窓に流れる大都会の景色をワクワクして眺めておりました。
二人が電車を乗り継いでたどり着いた先は、学校の紹介で母が決めてきた、女子学生専用で一軒家の下宿でした。一階が大家さんの住居で二階の下宿は和室の八畳ほどのお部屋が三室横に並んでいました。共同の洗面台とお手洗いも二階にあり、私のお部屋は角部屋で同じ学校の先輩と同室とのことでした。どのお部屋も一室に二人ずつでしたが、今考えればその先輩がどのような方かもわからないのに、いきなり同室というのも随分な冒険だと思いますが、娘を手放す母からすれば、先輩がそばにいれば安心という気持ちが強かったのでしょう。

通学が始まり学校でお友達もできたころには、下宿のお仲間とも家族のように打ち解けて、お部屋同士を自由に行き来をして、まるで二階全体が一つの合宿所のような感じでした。
お風呂は近くの銭湯へ皆と洗面器を抱えて通い、また食事は大家さんが美味しい朝夕の2食を作ってくれるので、何の心配もなく自由で気ままな楽しい毎日でした。夕食が終わればどちらかのお部屋に集合しておしゃべりをするのも楽しい日課でした。
高校生の時は時間通りの枠の中で、窮屈を感じながらもこれが当たり前と思ってきましたが、東京の生活は自由でそして青春の真っただ中、鳥かごから出た小鳥のような私はピィチクと楽しげに囀りながらきらきらとして、まだ薄化粧でしたが、自分を飾ることも流行の服を身に付けることも、ボーイフレンドを作ることも覚えました。

つらつらと思い出すままウン十年前の小鳥と小鹿の私の話を書いておりますが・・・
今になり気が付くのはこの時期は、社会の一員として生きていく最初の関門の学びの時期だったと感じます。
育った環境が違う人との接点、専門性の高い学習、可能性への挑戦、社会の仕組み、経済観念、自己責任、自己啓発、時間のセルフコントロールなど高校生の時には学べなかったものがちゃんと用意されていたのです。「可愛い子には旅をさせろ」という言葉がありますが、十代で親元を離れることは人間の成長の段階では重要なステップだと今更ながら、感じます。

しかし手放す親の方も大きな試練のようで、母は私を置いて東京を去る時に涙ぐんでいたのを忘れません、その時の両親の心配はいかばかりであったろうと、これは親になって初めてその淋しさや不安な気持ちが分かりました。
私の友人は愛する息子が独立するために家を出て行った日は、一日中、息子のベッドに突っ伏して泣いたとか・・ かくいう私も息子の「母ちゃん、別にこれが別れではないよ、将来、僕は母ちゃんと一緒に住むつもりだからね。」という言葉に思わずポロリ・・

新入学つながりでお話を進めると、私は、大手のインフラの会社の新人研修を十年以上続けた経験がありますが、高校を卒業したばかりの50人の元気でやんちゃな男子たちとの研修は今でも忘れられない素晴らしい時間でした。まるで格闘でもしているようなアクティブな二日間のその最後の時間に、いつもエールを送る気持ちで、故郷にいるお世話になった人たちの事「友人、先生、親戚、家族」を忘れないでくださいと、必ず大切な人たちのことに言及しました。
ここまで来るのに故郷の人たちとのたくさんの「さよなら」があったね。
別れるときに、「頑張れよ」「元気でやれよ」「体に気を付けてね」という声を皆が掛けてくれたでしょう、たぶん今もあの人たちは君たちのことを心配していますよ。
この人たちを安心させるには君たちが早く一人前になって、社会にお役に立つことですね、日本のために頑張ることですねと、語りかけました。

皆、静かに私の話に聞き入ります、その時彼らは故郷を、そして懐かしい人達を一様に思い出しているのでしょう。自分を温かく包んでくれた愛おしい故郷とそこで育った十八年が突然オーバーラップして、その人たちが掛けてくれた愛情に思い至り、その期待に気が付き、彼らの想いが熱い凝縮した時間に徐々に変わっていくのが、お話している私にもよく伝わってきました。
そしてすべてのお話が終わった後、皆涙を浮かべながら,純な初々しい情熱を体中に漲らせて、「先生、ありがとうございました!頑張ります」と言って、しなやかな背中を見せて研修場を後に巣立っていきました。
昔の私がそうだったように、彼らも前を向いて未来への希望に満ちてなお、背後に残してきた懐かしい人たちへの思いを忘れずにそれぞれのスタートを切っていきました。
今年はコロナウィルスもあり前途多難な船出ですが、新しい世界にその一歩を踏み出した新人君たちに今まで見守ってくれた人への感謝を忘れないで歩いていってほしいなと、思わずにいられません。

思い出すのは・・新人研修の全てが終わった帰り道に、私は決まって途中の公園に寄り、そこのベンチに呆けたように座ったものでした。今別れてきた新人君たちの新しい旅立ちに幸多かれと祈りながら、静かに目をつぶれば、心地よい疲労感と達成感が心をいっぱいに満たしていきます。
ふっと初夏の香りがするそよ風が顔に当たり、目を開けて見上げればボタン桜の花が音もなく散っています。
春はにぎやかだけど、なんだか淋しい季節だなぁと、ひとりごと。
送り出す方の淋しさを・・懐かしく思い出します。
春はまさに花満ちて、出会いと別れの季節です。