Author Archives: nakagawa

Uさんにエールを!

Uさんにエールを!


古いお話でとても恐縮しながら、30年前のお話から始めてまいります。
30年前のある日、札幌にいる従姉妹から一本の電話がかかってきました。「知り合いの知り合いのその友達(?)がラッピングの先生を探していて、あなたからその人に連絡をしてくれない?」
そして同日、お世話になっているクライアント様から「ラッピングの先生をさがしている人がいるのですが、お引き受けしていただけますか?」という電話がありました。なんだか似たようなお話だなーと不思議に思いました。その不思議な先にいらしたのが今日のお話のUさんです。

Uさんは札幌在住3人の子のお母様そして歯科医の奥様で、ラッピングコーディネーター志望。ようやく子供が手を離れたのを機に願いを叶えるべく、ラッピングの先生を探そうと二人の知り合いに依頼したというのが事の始まりでした

全く違う二方向からのコンタクトで、複数の人を介しているにもかかわらず最後に行き付いたのが、不思議なことに両方とも私の所でした。
そのような運命ともいえるご縁に引かれて、ご連絡をしてみました。
そのころの私は3日に空けず出張続きで日本中を東奔西走、札幌への往復はさして苦にならない状況でした。むしろ私自身のスケジュールの方が気がかりでしたが「先生のお時間通りに合わせます、お時間が空いたら札幌にいらして下さい」という言葉に心が動きました。
ただし指導料はもとより交通費、宿泊代、などたいへんなお金が掛かってしまうので心配をしましたが、ご本人の意志がとても固いのと、何よりもその情熱にほだされてお引き受けしました。
授業は彼女の負担額が少しでも少なくなるようにご友人を何人か集めて皆で学習するスタイルに致しました。ご友人方と楽しく和気あいあいあいとラッピングをして、最後のティータイムには北海道の美味しいお菓子が出てきて、何回か足を運ぶうちにUさんのお人柄も相まって、私にとっては札幌にお伺いすることが待ち遠しくなるような、楽しみな時間となりました。

ところがこのUさん、とにかくすごい人だったのです。
2回目にお伺いした時、平たい大きな引き出しがたくさん付いた、出来立てほやほやの感じの大きな白木の棚が置いてあるので、これはなんでしょう?と見ていましたら「あっ先生!それ、きのう来たばかりなんですよ。デパートに注文してペーパー専用の引き出しを造らせました。」「えぇっ?!」と彼女を見たら、ニコニコ笑って「前からこのような紙入れがほしかったのです、いかがでしょうか?」
いやはや・・如何でしょうか?と聞かれても、私もこのような棚は持っていなかったので「はぁー・・・、紙の問屋さんにはこのような棚ありますよね‥」などと言いながら「なんという行動力!?これほどの量の紙をお買いになるのかなーー?」と、ただただ棚を眺めておりました。

私のお誕生日に毎年贈ってくださるお花

その後、授業も順調に進み回を重ね10回近くになった頃でしょうか、お庭の方から建築の音が聞こえてくるので、「おうちを増築なさっているのですか?」とお聞きしたところ、少し言いにくい表情で「先生に申し上げるとご心配なさると思って黙っていたんですが…、ラッピングスクールの教室を建てています!」「?はぁ?」と素っ頓狂な声を出して私はただ口をあんぐりと開けてしまいました。
やっとの思いで「いや、Uさんちょっと待ってください!まだ時期尚早ではないですか?」と言葉を絞り出すように申し上げても、すでに建築の音がカンコンしているのですから、後の祭り・・このように慌てたことは後にも先にも見当たりません。
「先生がそうおっしゃることは想定内です。とにかく一歩を踏み出すことに決めました、黙っていても事は始まらないので・・」と、決意も固く‼と、言うよりは涼しいお顔でこともなげにおっしゃっています。その後、仕事として成り立たせるには相当な覚悟がいること、彼女の前にあるラッピングのマーケットがどれほどなのか調査したか、何も教室まで立てなくとも・・教室など建ててしまってペイするのか?などをお話しましたが、「暖簾に腕押し」と思わざるを得ない無駄な説得時間でした。
決めたら一途! 前しか見ない! 彼女の真骨頂がまさに現れた事柄でした。

このラッピング講座を卒業して彼女の夢の実現への扉がいよいよ開いたころ、完成した2階建てのお教室を拝見しました。そこは薄い紫と明るい若葉のグリーンの配色の教室で、フェミニンな明るいイメージの素敵な空間に仕上がっていました。目をキラキラさせながら案内してくださる彼女の横で私はちょっと羨ましささえ感じました。くだんの紙入れの棚もちゃんと鎮座しておりました。
独立して日もまだ浅いころ、彼女からお電話がありました。
「テレビの番組でラッピングチャンピオンに出演することに決まりました」とのこと。大いに賛成しましたが、もし敗退した場合はそのダメージは大きくないですか?と心配して尋ねると、「先生!私は失うものなんて何もないです。それより名前を売りたいので頑張ります!」

この言葉を私は忘れません。
彼女の全てがこの言葉に凝縮されていると感じました。新鮮な野心をむき出しにしたこの素直な言葉を、その時の同業の私に言えたかどうか・・その気迫に何も言う言葉がありませんでした。もちろん彼女は見事に優勝してラッピングチャンピオンとなりました。
その後の驚嘆すべき彼女の躍進は枚挙にいとまがありません。
色彩検定、ディスプレイ、パーソナルカラー、心理学などたくさんの勉強を重ねて資格も取得して、あるセミナー団体では理事まで上り詰め、又会社を設立してギフト店を経営しながら、後進の育成にも力を注ぎ、最後にはご自分のラッピング団体も作り上げました。
何か事を起こすたびに、彼女は私に報告をしてくれます。
あくまでも私を師匠として立てていくのが、彼女の生き方の美学だと事あるごとにその律義さに、胸を打たれて頭が下がりました。

パーティーの招待状

そのような彼女からこの3月にきらびやかな招待状が私のもとに届きました。
長く歩いてきたラッピングの道の集大成の個展を5月に開き、又最終日にはパーティーを開くという内容でした。事前にぼんやりとはお聞きしていましたが、その文面を拝見してこのイベントは仕事のけじめをつけるためのものだと理解しました。
「長きにわたり私を支えてくれた仲間たちのお披露目の場として、皆様との再会を願いつつ最後の機会を楽しみたいと思います」
この一節は育成した彼女の弟子たちへのエールを含めた招待状の文面です。
登場もいきなりの舞台でしたが、引き際も鮮やかにパッと幕を下ろしてやめていくという、考えればいかにも彼女らしい引き際で、これしかないという演出だと思いました。

思えば彼女からの御電話はいつも驚かされることばかりでしたが、「決めたら進む」「新しいことに常に挑戦」「些末な事にとらわれない」というようにすべての事柄に心の軸が定まっていました。
師匠とは名ばかりで、むしろ彼女から習う事の方が多かった私でしたが、あの30年前の2本の電話が引き寄せたこのご縁は生涯を通しての宝物のようなご縁だったと、私が今、彼女に贈る言葉はそれだけだと思います。
心身共に休む暇のない濃密な30年を過ごした彼女、舞台を下りた後、平和なゆったりとした時間の中で新しい幸せを見つけることが出来ますことを心より願うばかりです。

タグを使ったラッピング

タグを使ったラッピング


今回は3種類の「タグを使ったラッピング」をご紹介します。
1つ目はよく見かけるショップのタグや商品タグなどをかわいくつける方法、
2つ目はおしゃべリボンで期間限定販売中の「イニシャルチャーム」を使ったラッピング、
3つ目はこれもおしゃべリボンで販売中の「マスクチャーム&ピアス」をラッピングに使ってみました。
みなさまの参考になれば嬉しいです。

マスク雑感

マスク雑感


今年は年明け早々、残念なことに再度のコロナ緊急事態宣言の発出という事態になってしまいました。
ウイルスはまるで私たちの心のゆるみにつけ入る様に、知らないところで増殖していて気が付いたときには感染者が桁違いの数で増加していました。今は、1000人超えたと聞いても感覚がマヒしてしまい驚きもしないのが実情です。
それでも無関心になることはできないので、毎日の感染者の数の増減に心を砕いているのは皆同じだと思います。

マスクは今や外出するとき、人と会う時の、必需品です。
これが無かったら、市民権(?)を頂けないという状況ですが、共通交通機関に乗るといろいろなマスクに出会います。
鼻がすっかり出ているマスク、あごにのみ鎮座しているマスク、効果が低いウレタン、布製などを目にすると車両を変えたいとさえ思います。ところが過度に気にしすぎる人もいて注意すれば争いになり「マスク警察」という名前まで付き、いったいどうしたらいいんだよーと、叫んでしまいたい、本当に住みづらい世の中になってしまいました。

住みづらいと言えば、マスク事情で女性のメイクもいやおうなしに激変しました。マスクに隠れてしまうし、汚れてしまうなどの理由で、女性はリップとチークを使わなくなりました。でもお化粧終わりにはたまにはリップを濃い目に塗り、チークをピンクピンクにして、可愛くしたいなーと思います。
どんなにお化粧しても鏡の中の顔は、色の無い、精気の無い残念な私しか写っていません。皆そのような顔に本当に飽き飽きしているのです。
華やかな色が溢れる春も近いのに、このままでいいの?と鏡の前で出るのは深いため息ばかりです。

一方、テレビを付ければコロナ関連ばかりですが、マイクの前で政治家が話しをする時に、外したマスクのしまい方にそれぞれの特長を見つけました。ある女性の政治家はマスクをジャケットの前ポケットの中にグシャッと突っ込んでいました。「マスクしわしわになっちゃうよ、その後捨てるのかなぁー」と、一言ぽつり。
演題の上に無造作にあおむけに寝かされたマスク、一生懸命話している持ち主の横で天を仰いでいる紐が時々写るのを見て、「なんだかな~、この人しっかり仕事してくれているの?」と見当違いの心配をして。
大臣クラスの男性、きちんと丁寧に胸ポケットにしまったのを見て、うむ、これは気持ちいい‼と小さな心の拍手。
マスクを外したら手作りのマスクケースにきちんと入れてから、おもむろに話し出すような政治家さんがいたら、ちょっと嬉しい感じがします。
このようなヒマな視聴者がいろいろなことを言っているのですもの、政治家さんたちも大変だね。

そうそう、先日、電車の中でマスク美人にお目に掛かりました。勿論彼女のお顔の全容は見えていないのですが、どう拝見しても美しい、特に斜め横顔が素敵でした。
チラチラと観察すると、もちろんマスクはきちんとしているのですが、黒目がちの目、額、眉、こめかみ、鼻筋がちゃんと見えている事が美しい条件だと気が付きました。
アースタイルも大切で、前髪は降ろしているのですが顔のパーツの邪魔をしていないのです。そして長めの髪を後ろでくくっているので、首筋もすっきりと見えて肌の肌理、色白も際立っていました。
但し先日お会いした、中学生のお子様のお母様からこのようなお話も伺いました。
PТAの初めての会合でお母様方が一斉にマスクを外す機会があったそうです。
曰く「びっくりよ、マスク外すと殆どの人の顔のバランスがねぇ・・だめなのよー。
えーっ!?こんな顔?という人ばかり、なかなか美人っていないものなのね」
「マスク付けていると2倍は美人に見えてしまうものなのね」と・・・
なるほど、マスクの思わぬ効用もあるものですね。

マスク雑感、
マスクにまつわることを思いつくまま書いてみました。

つい1年前まで想像だにしなかったパンデミック、この恐ろしい言葉の意味さえ知らなかった私たち、今後どのように収束していけるのか?いまだ道の先は見えておりません。今私たちが持っている武器は消毒とマスクのみです。見えない敵に向かうには脆弱過ぎると感じる方もいらっしゃるでしょうが、アナログではあるが実は最強なのでは・・と私は感じております。簡単に手に入り、持ち運び簡単、取り換え可能、装着簡単、利点はいっぱいあります。この武器をしっかりと手に持ち戦うしかないのです。
マスクのルールに沿って皆で力を合わせて、この道の先に光を求めて頑張りましょう。

バレンタインラッピングのワンポイントアドバイス

バレンタインラッピングのワンポイントアドバイス


今回はバレンタインデーラッピングのワンポイントアドバイスです。
ポイント1:バレンタインデーにぴったりの「トライアングルリボン」のかけ方
ポイント2:ロゴが入ったリボンを使う時に便利な「面裏上下のあるリボンの結び方」
ポイント3:モールとリボンを使った「アクセサリーの作り方」

バレンタインデーに限らず、お店などではいつでも使えるノウハウです。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!

クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス

クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス


今回から「ディスプレイ&ビジネスラッピング」のカテゴリーが追加になりました。
このコーナーでは、店舗のディスプレイやラッピングについて五味栄里先生にアドバイスしていただきます。
ショップ店員さんやオーナー様は必見ですよ!

第1弾は「クリスマスディスプレイのワンポイントアドバイス」
材料を揃える前に確認しておきたい事など、チェックしてください!

彼岸花のランウエイ

彼岸花のランウエイ


今年は残暑が厳しく、いつになったら涼しくなるのかしら?などと思っていたら、ある日突然「はい!季節変わります」とばかりに、秋がいきなりの態で登場しました。
秋と言えば「彼岸花」、今は「鬼滅の刃のお花」と言った方が通りがいいかも?夏の終わりの花なので、今はすでに枯れてしまいましたが私の好きな花です。この季節に地方の出張がある時は、汽車の窓から一生懸命に彼岸花の燃えるような赤を探します。
ところが今年、田んぼのあぜ道などを好むこの花が、東京の真ん中でもちゃんと咲いているのを見つけて驚きました。

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最初は近くのマンションのお庭で見つけました。(12)一つ見つけると、次々に公園の中(3)川のほとり(4)など彼岸花を発見しました。見つけるたびに嬉しくて、がんばっているね‼と声を掛けたくなります。
でも次の日には(567)このような調子でぽきんと折られていたり、踏まれていたりして無残な形になっていることもしばしばあり、悲しい思いをいたしました。彼岸という名前のイメージが悪いのか、根には毒を持つという由来が嫌われるのか、子供のいたずらか、残念なことです。

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私がこの花を好む理由は、懐かしい思い出があるからです・・・
故郷の私の家の裏には、向こうの際がわからないほどの広大な水田が広がっていて、そののどかな風景には季節ごとの色がありました。冬枯れの茶色の稲株が残っている、でこぼこした土地は子供たちの遊び場となり、春はレンゲの花が一面に赤紫の絨毯を敷き詰めたように咲き、初夏には青々とした稲が風になびき、夏の終わりには稲穂の金色の豊かな実りが青空の下でさわさわと音を立てます。その鮮やかな色の思い出の中でもひときわ心に残っている風景があります。

その広大な田んぼの真ん中に、1.5mほど高さがある為に、一本だけ目立つあぜ道がありました。それはSの字型に大きく湾曲して遠い向こうの際まで続いていました。上は踏み固めて白くなった道が付いていてその道幅は人が一人通るのがやっと、という細さでした。家から歩いて人家の角を曲がると、突然目の前に田んぼが大きく開けて、道は急に細くなり、そのあぜ道につながります。
私が10歳くらいの頃でしょうか、秋の始めのことでした。
外遊びにも飽きて田んぼにふらふらと迷い出た時、目の前に広がった風景を見て子供ながらに、まさに言葉を失いました。
最初はそのあぜ道が燃えている!と思いました。真っ赤な一本の道が炎のように燃え上がり遠くまでS字の形を描いて伸びているように見えました。それは、あぜ道の両側の、のり面の下から上まで彼岸花が隙間の無いほどびっしりと咲いて、あぜ道の全てを覆い尽くしていたのです。周りの田んぼの暗い色とのコントラストが見事で、その真っ赤なS字の一本道の風景は今でもはっきりとその映像が心に残っております。あまりの美しさにお姫様の道だ!と、膝まであるたわわに咲いた無数の彼岸花をかき分けるように、お姫様気分で何度もその道をうっとりとして行ったり来たりしました。

それにもう一つおまけの思い出が付いております。調子に乗って歌を歌ってお姫さまごっこをしていましたら、小さな茶色の「蛇ちゃん」がくねくねと彼岸花の中から眼前の足元に出てきて道を横断して彼岸花の中に消えていきました。その瞬間、調子に乗っていたお姫様は一瞬固まった後「ぎゃーあーー」と悲鳴を上げて一目散に彼岸花を蹴散らすように、逃げ帰りました。その後「蛇ちゃん」が怖くてすぐには行けませんでしたが、しばらくしてこわごわと、お友達を誘って行ってみると、あの鮮やかな花の道はすっかりと茶色の土手道に変わり。寒々とした稲を刈り取った後の風景が広がるばかりでした。お友達にその彼岸花の道がどんなに素敵なのか散々語って連れてきたら、この変わりよう・・・
お友達に合わす顔もなく呆然自失の私でした。
最後の結末はどうであれ、今ではあれは彼岸花のランウエイだったと思い出すたびに、その美しさに心の中で密かな拍手を送ります。時が移り、時間が私自身を変えても、幼い時の色を伴う鮮烈な思い出は、色あせることない赤の思い出として残っています。

ちなみに数年前、久しぶりに故郷を訪ねた折、またあの田圃とあのあぜ道に会いたくて、故郷の家の近くまで参りました。知ってはいましたが、故郷の家は壊されて枝が門の上にかぶさるようにあった大きな槇の木も無く、思い出の中の懐かしい小さなかけらさえ見つけることが出来ませんでした。落胆と空しさを心の中で鉛のように抱きながらも、「田んぼを見てから帰ろう‼」と、気を取り直して角を曲がりましたところ、何と、本当に驚きました。あの広大な田んぼがすっかり跡形もなくなり、民家がびっしりと建ち並び、太い道路が通り、車が行きかう、ただの埃臭い街並みに変わっていました。
心の中の鉛は取り出せないほどのもっと深い深い底に沈んでいきました。
だから秋になると、決まって彼岸花が心の底の鉛の陰から、スーッと茎をのばし鮮やかな赤の花を咲かせます。『あの風景は死んでしまったけれど、でもちゃんと思い出してあの美しいランウエイを・・』と。
故郷は遠きにありて思ふもの・・彼岸花を見ればこの言葉を決まりのように思い出します。

A4用紙でマスクトレイをつくろう

A4用紙でマスクトレイをつくろう


今回はA4のコピー用紙でもつくれるマスクトレイをご紹介します。
ショップや接客のお仕事の場合、簡単に作れて使い捨てできるマスクトレイはお客様にも喜ばれると思います。
また、このトレイはギフトラッピングにも使えるので、ハロウィンギフトに応用してみました。
ぜひ参考にしてみてください。

ホッとすること

ホッとすること


今年はコロナ禍の上に長雨、そして豪雨に洪水、その後は猛暑が続き、マスク必携の外出は、熱中症との闘いとなり、とにかくたいへんな夏となってしまいました。
私も炎天下にたくさんの量の洗濯物を干していたところ、首筋にねっとりとした脂汗が出てきて、そのうちに胸がむかむかとして、軽い頭痛?いつもとちがう・・と思い、慌てて涼しい室内に戻ったことがありました。冷たい水を含み、しばらくじっとしておりましたので、事なきを得たのですが、、、熱中症は突然に、やってくることを実感しました。
もっとも、その時の私のいで立ちは首まであるフェイスカバー、長そでナイロンのレインパーカー、つば広帽子と、日焼け防止のために寸分スキのないスタイルでしたので、それは当然の結果だと、心配した家人からたしなめられたのはいうまでもありません。

そのような大変な夏もやっと終わり、誰も想像だにしなかった、この災いの一年は半分以上が過ぎようとしています。今や感染者はビックリするほどの数字となっていますが、その数字にも慣れてしまい、聞いても「フーン」と殆ど無反応になって来ています。当たり前ではないこの異常な日常が、今は普通になっていることが恐ろしい事だと、日々自分を戒めながらも、コロナの時代に遭遇してしまった不運を、つい嘆いてしまう毎日です。

このような事を考えていると気分がクサクサとしてきますので、「何か晴れ晴れとするような良いことないかなぁ」と、考えを巡らしてみました。
晴れ晴れとはいかないまでも、とても小っちゃいことですが、思わず心がほっとする日常の幸せをいくつか見つけてみましたので、お付き合いください。

*友人

コロナで久しくお会いしていない、学生時代の友人から突然小包みが届きました。開けてみましたら中身は高知の芋ケンピ,ゴディバのコーヒー、名古屋の焼きそば用のタレ、そして『栄里ちゃん元気かい?』というお手紙でした。バラエティーの富んだ、てんこ盛りの美味しさ溢れるギフトとお手紙がうれしくてすぐお電話をしました。
「なかなか会えないねー」の第一声から約30分次から次へと話題が山盛り!
「やっぱりお友達はいいなあ」と、しみじみと幸せを感じながら「早く会いたいね」の終わりの言葉まで休みなく楽しい時間を過ごせました。この友人はパリにもご一緒した旅友達で、ウン十年来のお付き合いです。ありがたや・・・

*ベランダのお花

我が家のベランダは細長く広いので、壁伝いに植木を置いていくうちに数が増えてしまいました。(1)中には花を咲かせるもの、意外なほど大きく育ち木陰を作ってくれるもの(2)など私の大好きな植木がたくさんあります。夕方涼しくなってから水やりをしながら、植木の雑草を取ったり、枯れたお花や葉を切ったり、虫を取ったりしているといろいろな憂さも晴れて、植木との語らいのような時間は私の楽しみの一つになっております。(3)お花はさほど豪華に咲いてはおりませんが、蕾を持つと本当に花開くのが楽しみです。(456

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ハイビスカス(7)は、20年ほど前に親戚から頂いたのが大きくなり一日だけの短命の花ですが黄色、オレンジ、赤、白など毎日、日替わりで色とりどりに咲いてくれます。
特筆すべきはこちら!(8)今年、お仕事先から頂いた葡萄の鉢です。よく見る葡萄の葉っぱがちゃんと付いて、蔓になっています。かわいい!頂いたときにはまだ実は緑で小さかったのですが、このように期待通りに立派な一人前の葡萄に生ったので先程収穫しました。(9
今日のランチは特別で、あのお友達から送っていただいた名古屋のタレを使って焼きそばにしました。そのデザートに・・はい!我が家で収穫した葡萄です。(10)粒がピンと張っていて、甘くて,ジュ―シーまさに地産地消の醍醐味でした。ご馳走様でした。
来年も収穫できますように!(合掌)

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*ランチ

ランチと言えば、私の定番のランチをご紹介します。
11)ランチは麺類や、パンなど糖質の多い食事になってしまいがちなので、フルーツとヨーグルトだけでしかも満腹感があるレシピをと考えてナッツをいれてみました。ダイエット食としてはいいのでないかと、信じて半年くらい続けています。
レシピは超簡単です。材料はヨーグルト小さいパック1個、無塩の素焼きのナッツを30粒ほど、オレンジ1個、葡萄10粒で、フルーツ類は皮をむいて細かく刻んであとは混ぜ合わせるだけです。劇的にダイエットできたとは申しませんが、意外に美味しくて、季節のフルーツも楽しみの一つとなりました。お昼時になるとそそくさとキッチンに入り作り始めます。
横に置いてあります麦茶のようなドリンクは、36茶とレモングラスを一緒に煎じたお茶です(12)阿蘇山の傍のハーブやさんで見つけた36茶は、大麦、ハト麦、はぶ草、エキナセア、柿、桑の実、どくだみ、など36種類の山野に自生している野草などをブレンドしたお茶で、冷たく冷やしていつも我が家の冷蔵庫には用意してあるドリンクです。

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私達はいま、コロナにいつ感染するか分からない、まるで見えない敵に常時さらされているような禍の中でがんばっています。
たった数か月前の、外出も、人と会うのも、仕事も、旅行も何の不安もなく、普通に行動できたあの日常が懐かしいですね。今から考えると「平穏な日々」というのはあの時のことを言うのだと、失ってから初めてわかりました。

お話いたしました「ほっとすること」はどちらも日常の延長の一コマですが、今の私にはかろうじて残った、小さな「平穏」の象徴なような感じがいたします。
だから、
コロナにかからないで友達も、周りの人も皆が元気でありがとう。
お花を愛でることが出来て、ありがとう。
葡萄が収穫出来てありがとう。
季節のフルーツもヨーグルトも36茶も手に入り、美味しくいただけてありがとう・・・です。
平穏の日々は脆く、壊れやすいことにやっと気が付くことができ、以前では当たり前になっていた何気ない日常が、本当にありがたいことだと、痛いほど思い知りました。
だからこそ、この当たり前を手の中にたいせつに、たいせつに、包んで心からありがとうと言えるような気持で毎日を過ごせたらいいな、と思います。

元気な体で朝を迎えることが出来て、今日も幸せ!
明日の朝も元気にニコニコと「お早うございます!!」といつもよりちょっと大きな声で言ってみましょうね。

ピース!!