Author Archives: nakagawa

コロナウイルス

コロナウイルス


いま、地球という大きなくくりの中で生きている私たちは、顕微鏡の世界に生きている極小のコロナウィルスに席巻されて、とことん痛めつけられております。
死者が15万人、感染者が200万人というその感染力の強さは、想像をはるかに超え中国の小さな市場のなかで発生してから、またたくまに地球を征服してしまいました。コロナにとって地球は、思いのほか小さい星だったのでしょう。

コロナという名に違和感があり調べてみると、顕微鏡で見た姿が球状に大きな表面突起があり、太陽のコロナを連想したので名付けたとのことですが、コロナとは太陽の周りの光、又は王冠、花冠という美しい意味なのに何と不釣り合いなことだと、腹立たしくさえ感じました。
もう少しおどろおどろしい名前でもよかったのに・・。
ギザギザウィルス、ジグザグウィルス、とげとげウィルス、とか。

日常の社会活動の殆どが停止してしまった結果その影響が末端にまで、もれなく及ぶのを目の当たりにすると、今にして思うのですが・・・

私たちの生活のディテールはいじらしいほどに、社会の隅々まで手と手をつなぐようにつながっていたことが、しっかりとわかりました。
私達は一人では生きていけない、社会的な生物であったと今更ながら納得しました。
だから、営々と築いてきた秩序がウィルスという生物なのか無生物なのか、その間に位置するという(?)わけのわからない、そして意志を持たない物に、ものの見事にやられちゃったのだと考えると、なんだか悔しい気持ちでいっぱいになります。
予想だにしないことが突然起こるとつなぎあっていた手と手は簡単に解かれてしまう、この現実を見ていると悲しいけれど私達の立ち位置の脆弱さに、今やっと気付かされた気がいたします。

飲食、小売り、生産、イベント、流通などのお金を生み出す経済活動が機能しなくなり悲鳴を上げている一方で(私も同等です)、コロナと戦う医療の崩壊なども叫ばれていて、今やあちこちで大火事が起こっている事が判っているのに、消火がうまく進んでいないようなもどかしい緊急事態です。
我が家の「にわか評論家」たちはテレビを見ながら、PCR検査を増やせとか、外国のようにロックダウンにしろとか、店舗の家賃を肩代わりしろとか好きなことを言っておりますが、言うのは簡単、その重責を担う当事者の方たちの夜も眠れないほどのご苦労をお察しいたします。

とにかく、この難局を乗り越えなければ何も始まりません。
私達にできることは、ウィルスを拡散させないこと、これだけです。
コロナの影響のない基本的なルーティーンがいまはなつかしい。

私は朝起きると、まず検温です。
高齢の母と一緒なので、試験の結果を見るような気持ちで、体温計を見ます。
ちょっと高いなと思うと不安でいっぱいになります。心なしか頭痛もしてきて・・困ったことに相当の神経過敏になっているようですね。朝食も栄養価を考えて、いつもよりもバランスのいいものを一応用意しているつもりです。

普段ならば、そのあとからは仕事がらみの忙しいスケジュールで、バタバタと時間が過ぎていきますが、仕事の殆どがキャンセル状態なのでゆっくりと時間をつぶしていきます。こういう時こそ、普段気になっている棚の掃除とか、書類の片付けなどをすればよろしいのですが、なかなか気持ちが奮い立たず、だらだらと掃除機と埃取りの刷毛を持って気の無い掃除を始めますが、ともするとボーっと外の景色を見ていたり、ベランダのお花を見ている状態で、体は休めていますが、心は死んでいます・・。
勉強もやらなければいけないものがあります。
今日こそ参考書を開こうと毎朝起きた時に思うのですが、一向に参考書を開く気持ちになりません。結局本を読んだり、テレビを見たりと無為な時間が過ぎていき夕飯の支度の時間が来てしまう。この繰り返しです。
コロナ以前は、時間を持て余すなんてもったいない、贅沢な人のいう事だと思っていましたが、完全に私は今その贅沢な人になっております。

いろいろ反省しているうちに、私はにっくきコロナに知らない間に負けてしまっている気がしてきました。
これではいけません!
有り余った時間を利用して、掃除もちゃんとして、勉強もして、お夕飯はすごーく美味しいものを作りましょう!そして夜寝るときに「今日はたくさんのことが出来て、充実していたな、疲れたからよーく眠れるよ!!」と、ニコニコしてお布団の中にもぐりこむことが出来たら最高です。

そうですネ、前を向いていきましょう、普段の生活が戻ってきたらあの時に整理したのでこんなに使いやすくなったとか、あの時勉強しておいたからこんなに仕事が進んだとか・・・何より、あの時ちゃんと外に出ないで、身を守ることが出来たからこの幸せとこの笑顔!!と、しみじみ思えるように、逆境を逆手にとってがんばりましょう。
「良かったね‼やっと収束したね。」と皆で肩をたたきあえるように、私たち前向きにがんばりましょう!
コロナに勝つには、今が 今が 大切です。

新入学の季節

新入学の季節


四月は新入学、新社会人などの旅立ちの季節です。
この時期には、大きな荷物を抱えた親子がちょっと不安そうに空港乗り継ぎの浜松町や新幹線最寄りの品川から電車に乗ってくるのを見かけますが、そのような親子連れを見ると私も母と大きな荷物を抱えて静岡から上京した、十八歳の時を思い出します

母の心配をよそに、娘の私は憧れの東京に足を踏みいれて、小鹿のような警戒心を持ちながらも見るもの聞くもの全てが新鮮で、これから始まる新生活に思いをはせ、車窓に流れる大都会の景色をワクワクして眺めておりました。
二人が電車を乗り継いでたどり着いた先は、学校の紹介で母が決めてきた、女子学生専用で一軒家の下宿でした。一階が大家さんの住居で二階の下宿は和室の八畳ほどのお部屋が三室横に並んでいました。共同の洗面台とお手洗いも二階にあり、私のお部屋は角部屋で同じ学校の先輩と同室とのことでした。どのお部屋も一室に二人ずつでしたが、今考えればその先輩がどのような方かもわからないのに、いきなり同室というのも随分な冒険だと思いますが、娘を手放す母からすれば、先輩がそばにいれば安心という気持ちが強かったのでしょう。

通学が始まり学校でお友達もできたころには、下宿のお仲間とも家族のように打ち解けて、お部屋同士を自由に行き来をして、まるで二階全体が一つの合宿所のような感じでした。
お風呂は近くの銭湯へ皆と洗面器を抱えて通い、また食事は大家さんが美味しい朝夕の2食を作ってくれるので、何の心配もなく自由で気ままな楽しい毎日でした。夕食が終わればどちらかのお部屋に集合しておしゃべりをするのも楽しい日課でした。
高校生の時は時間通りの枠の中で、窮屈を感じながらもこれが当たり前と思ってきましたが、東京の生活は自由でそして青春の真っただ中、鳥かごから出た小鳥のような私はピィチクと楽しげに囀りながらきらきらとして、まだ薄化粧でしたが、自分を飾ることも流行の服を身に付けることも、ボーイフレンドを作ることも覚えました。

つらつらと思い出すままウン十年前の小鳥と小鹿の私の話を書いておりますが・・・
今になり気が付くのはこの時期は、社会の一員として生きていく最初の関門の学びの時期だったと感じます。
育った環境が違う人との接点、専門性の高い学習、可能性への挑戦、社会の仕組み、経済観念、自己責任、自己啓発、時間のセルフコントロールなど高校生の時には学べなかったものがちゃんと用意されていたのです。「可愛い子には旅をさせろ」という言葉がありますが、十代で親元を離れることは人間の成長の段階では重要なステップだと今更ながら、感じます。

しかし手放す親の方も大きな試練のようで、母は私を置いて東京を去る時に涙ぐんでいたのを忘れません、その時の両親の心配はいかばかりであったろうと、これは親になって初めてその淋しさや不安な気持ちが分かりました。
私の友人は愛する息子が独立するために家を出て行った日は、一日中、息子のベッドに突っ伏して泣いたとか・・ かくいう私も息子の「母ちゃん、別にこれが別れではないよ、将来、僕は母ちゃんと一緒に住むつもりだからね。」という言葉に思わずポロリ・・

新入学つながりでお話を進めると、私は、大手のインフラの会社の新人研修を十年以上続けた経験がありますが、高校を卒業したばかりの50人の元気でやんちゃな男子たちとの研修は今でも忘れられない素晴らしい時間でした。まるで格闘でもしているようなアクティブな二日間のその最後の時間に、いつもエールを送る気持ちで、故郷にいるお世話になった人たちの事「友人、先生、親戚、家族」を忘れないでくださいと、必ず大切な人たちのことに言及しました。
ここまで来るのに故郷の人たちとのたくさんの「さよなら」があったね。
別れるときに、「頑張れよ」「元気でやれよ」「体に気を付けてね」という声を皆が掛けてくれたでしょう、たぶん今もあの人たちは君たちのことを心配していますよ。
この人たちを安心させるには君たちが早く一人前になって、社会にお役に立つことですね、日本のために頑張ることですねと、語りかけました。

皆、静かに私の話に聞き入ります、その時彼らは故郷を、そして懐かしい人達を一様に思い出しているのでしょう。自分を温かく包んでくれた愛おしい故郷とそこで育った十八年が突然オーバーラップして、その人たちが掛けてくれた愛情に思い至り、その期待に気が付き、彼らの想いが熱い凝縮した時間に徐々に変わっていくのが、お話している私にもよく伝わってきました。
そしてすべてのお話が終わった後、皆涙を浮かべながら,純な初々しい情熱を体中に漲らせて、「先生、ありがとうございました!頑張ります」と言って、しなやかな背中を見せて研修場を後に巣立っていきました。
昔の私がそうだったように、彼らも前を向いて未来への希望に満ちてなお、背後に残してきた懐かしい人たちへの思いを忘れずにそれぞれのスタートを切っていきました。
今年はコロナウィルスもあり前途多難な船出ですが、新しい世界にその一歩を踏み出した新人君たちに今まで見守ってくれた人への感謝を忘れないで歩いていってほしいなと、思わずにいられません。

思い出すのは・・新人研修の全てが終わった帰り道に、私は決まって途中の公園に寄り、そこのベンチに呆けたように座ったものでした。今別れてきた新人君たちの新しい旅立ちに幸多かれと祈りながら、静かに目をつぶれば、心地よい疲労感と達成感が心をいっぱいに満たしていきます。
ふっと初夏の香りがするそよ風が顔に当たり、目を開けて見上げればボタン桜の花が音もなく散っています。
春はにぎやかだけど、なんだか淋しい季節だなぁと、ひとりごと。
送り出す方の淋しさを・・懐かしく思い出します。
春はまさに花満ちて、出会いと別れの季節です。

本のギフト

本のギフト〜オリジナルブックカバーを作ろう!


本をプレゼントする時に、オリジナルのブックカバーを作ってそれでラッピングしたら素敵ですよね。
あなたが可愛いと思うもの、または、贈り先の方が好きそうなものを集めて、それらをコラージュしたブックカバーを作ってみましょう!

時差を越えて

時差を越えて


朝食後のんびり新聞を読んでおりましたら、面白い記事を見つけました。それは、今春卒業の女子大生の失恋のお話でした。
失恋したばかりの彼女は振られた元カレの誕生日がだんだんと近づくにつれ、楽しい思い出がいっぱいの辛いその日を今年はどのように過ごすのかを考えただけで、憂鬱になり悩んだ挙句、友達の助言でロサンゼルスに飛ぶことにしたというのです。その意味は、2週間ほどその地で遊んで、モンダイの誕生日の前日の夜にロサンゼルスを発ち帰国の途に就く。そして、17時間の時差を利用してカレの誕生日を空の上ですっ飛ばして、誕生日の次の日の朝に日本に到着という計画なのだそうです。飛行機の中ならインスタを見ないし、心も平和のままイヤな思いをしないで、時間が過ぎていくという話でした。

私の率直な感想はスゴーーーイ!?でした。
私達が学生のころ、「海外」という言葉には本当に特別な響きがありました。海の向こうの遠い国、言葉も文化も知らない未知の世界、何より憧れが凄すぎて海外という言葉を聞いただけでワクワクドキドキしたものでした。
例えば、留学なんて言葉は、夢のまた夢、手の届かない崇高なステイタス。まさに「エリート」と「リッチ」を表す象徴の言葉でした。(なんだか不動産の広告みたいになっちゃった!)
ところが今の若い世代はロサンゼルスもパリもイスタンブールもいつでも飛行機に乗れば簡単に行けるという感覚で、ある意味「東京」も「札幌」も「ニューヨーク」も同じなのかもと感じました。
古い(?)私達世代には、失恋ごときで(失礼!)わざわざ遠い海外に出かけて時差を作るなんて、全く意識外のお話です。若い世代が持っている意識との見事な違いに驚きました。地球を小さくしてしまった、若い世代のゴージャス感あふれる感覚に、驚きとともに羨ましさまでもひしひしと感じました。

失恋と言えば、以前2015年の7月に「夏の思い出」というタイトルで18歳の私が経験した失恋をエッセイに書いたことがありました。
内容は、東京の学校に入学して故郷とも「彼」とも離れていた私は、夏休みに故郷に帰ることを楽しみにしておりました。ところが、久しぶりに会った「彼」は、なんと!すでにバイト先にいた高校生の女子に心が揺れていて臆面もなく『今日はダブルヘッターだよ。栄里ちゃんとのデートの後○○ちゃんに会うんだ!』言い放ったのです。
ずいぶん正直な言葉ですよね、今さらながら彼もまだ子供で、称賛に値するくらいうぶな男子だったんだと気が付くのですが・・・。
その時の私はあまりの彼のデリカシーの無さに、驚きとともに、相手が女子高校生という事にもイタク傷つきました。怒りのままに即断で心を決めた私は、彼へ別れの言葉を投げつけるとともに彼の制止の言葉にも耳を貸さず、つないでいた手を振りほどきその場から走って家に逃げ帰りました。・・・というような青春の思い出を語ったエッセイでした。
あの失恋した夏は、人の気持ちの危うさや、裏切りに対するどうしようもない悲しさ、周りの人たちの温かい思いやりであるとか、みずみずしい感性を持っていた若さゆえの経験でした。一つ大人の階段を上ったのだと、今でもほろ苦い気持ちとともにしみじみとした感慨を持ってあの夏の出来事を思い出します。

失恋をすると、ほとんどの人が「世界で一番不幸な私・・」と思い込んでしまいます。本人は悲劇のヒロインを演じていて、そして切ない甘美な自己陶酔の中で溺れているために全く周囲が見えなくなり、取り乱して哀れな自分の姿にはなかなかに気が付かないものです。
「この人じゃなければだめ!たった一人の人だ。」と、一番の落とし穴はこの思いこみです。
狭い落とし穴の中で身動きが取れない状態に自分を追い込んで嘆き、悔しさと情けなさに身をよじり、また落ち込む。
よく考えると、こんなに自分の心と向き合い、感情の爆発に流されてどうしようもないほど傷つくなんてことは、実は他で経験ではできない貴重な体験なのですが・・。でもこんなに傷ついているのに、ちゃんと立ち直ることが出来るのも、大切なところです。それも意外なほどの短時間で、あっさりと今まで通りの自分に復帰が出来るという事も本当です。
だから、失恋なんて大人になるためのちょっと高い塀だと思えば、ひらりと飛び越えて着地してピース‼とやってしまえばそれで、オッケイなんです!これは青春をとっくに卒業しちゃった大人の意見です、アシカラズ・・。

件の時差の彼女、時差なんか使って逃げないで、彼の今年の誕生日の時間の中で思いっきり泣いてつらい思いをしながら、この恋を卒業したほうがいい思い出となって、ずーっと心に残るような気がするんだけどなー。よけいなお世話ですね。

最後に素敵なお話を一筆添えます。
2015年の「夏の思い出」のエッセイを書いてから2か月くらい経った頃でしょうか?
1通のメールが私に届きました。
『メールを出すことにとても迷いましたが、送信します。私はエッセイに書かれていた無粋な男です・・・。』と。何十年という時の流れを越えてやはり彼も、私のことを覚えていてくれたのです。
「無粋な」とは・・小さじ少々ほどの罪悪感とユーモアをにじませた、何とお洒落な書き出しでしょう!あのまっすぐに正直でうぶな若者も、たくさんの経験をして素敵な大人の男になっていました。私もすぐお返事のメールを送りましたが、やり取りはその1通のみ、彼からのその後のお返事はありませんでした。
そこも、なんだかこの青春の手痛い思い出のフィナーレとしては、素敵な形に収まったような気がいたします。いま、窓からの冬空の曇天を眺めながら、私の想いは青春の若さ溢れるあの夏空の下の一瞬に帰っていきます。
無粋さんはこのエッセイもご覧いただいているのでしょうか・・・・?

仕事での出来事

仕事での出来事


朝ベランダの結露した戸を開けると、冷気がさっと入り込み思わず身震いする季節になりました。ジングルベルの音さえ気ぜわしく、いよいよ師も走るという忙しい師走となり年末まで超多忙な日が続きます。今回は忙しい出張のさ中に出会ったいくつかの事柄をお話してみようと思います。

先日、品川駅のホームで電車を待っていた時のお話です。
向こうから電車が入ってまいりました、目的の羽田行きではないので、のんびりとやり過ごしておりましたところ、その電車の先頭車両が私の立っている前で止まりました。
すると運転手さんが運転台のカギをしっかりと抜いて、要するにオフの状態にしてからホームに降りてきました。オフにしたのでこのままどこかに行くのかしらと見ておりましたら、車両の前面にある行き先の表示を確かめ、もう一つの何かを指差しで確認した後、すぐにまた運転席に戻りました。
運転席に入ると、運転手さんは鍵を再び入れ戻し席に座ってから制帽、制服、ズボンの居ずまいを正してから、おもむろに大切そうな感じでハンドルを握り、背中をすくっと伸ばした美しい姿勢で、前方をきちっとにらむように見て、発車の合図を待っていました。
その一連の行動を見ていて、「この人運転が好きなんだなー、心を込めて運転しているんだな」と感じました。
運転手さんにとっては、いつもの普通の作業なのでしょうが、決してイヤイヤではなく、慣れている様子でもなく一つ一つの動きがぴしっと決まっていて見事な物でした。
どうせ乗るならこのような運転手さんの電車に乗りたいものだと見とれてしまいました。お客様の命を預かっているんだという気迫みたいなものが感じられ、すがすがしく凛としたものが彼の姿からオーラのように立ち上がっておりました。これこそプロだなぁと一つ一つの動作に、見惚れて感心することしきりでした。

仕事つながりでもう一つ、
福岡の帰りの飛行機の中のことです、羽田にそろそろ着陸する頃合いのことです。キャビンアテンダントも着席する時間で,CAさんたちはお互いにサインを送ってから着席するルールなのでしょうが、そのモンダイのⅭAさんはサインを待っているべきところ・・
先に、そう・・音に例えるならば「どっかん!!」と言う感じで自分の席に大儀そうに斜めに座ってしまいました。
まるで「あーあ疲れちゃった!」という声が聞こえてきそうな按配の座り方でした。
座った恰好は足を開いて、両方の肘を伸ばしたまま、丸めた背中でつっかえ棒のようにして手の平を自分の膝の所で突き、まるでおじいさんが縁側かどこかでビールでも飲んでいるような格好で、お仲間からのサインを待っていました。サインが届いてシートベルトをした後がまたいけません。小鼻の横を盛んにすりすりとこすって、指の先についたものを床に落としているのです。その間、足は広がり、おまけに靴が片方脱げたままでした。でもしばらくはそのままで履き直そうともしないで小鼻のお掃除に没頭していました。
座り方が雑なので、スカートの端もめくれて裏地が出ていることもしばらくは気が付かない有様でした。
いやぁ驚きました!苦笑しながらもこんなⅭAさんもいるんだと、わが目を疑いました。

仕事に対する気持ちはやはり態度に出るものですね、仕事に慣れてしまうのが実は一番怖いことです。少々楽な仕事の仕方を覚えてしまうと、精神も体も楽な方に流されて行ってしまいます。仕事は自分で品質チェックしないと、気が付かない間にどんどんレベルが落ちてしまうものですね。人の心のうちは隠しても出てしまうものだとつくづく感じました。
嫌なものを見てしまったので、そのあとではあの凛とした運転手さんのことをなんだか慕わしく思い出してしまいました。

最後は長崎県の小浜のお話です。
先週、小浜(おばま)という雲仙岳の麓にある海岸沿いの小さな町に行ってまいりました。ホテルは海の前に建つ小さなホテルでベランダに温泉が付いていて、海を見ながら温泉に入ることが出来るちょっと素敵なホテルでした。仕事終わりの夕方の空は曇天で、晴れていれば海の色ももっと美しかっただろうなと、眺めていると見る見るうちに対岸の山の端に太陽が沈んでいきその荘厳なオレンジの美しさに圧倒されました。

却って雲が出ていたことが功を奏したようで、雄大なオレンジ色の模様が空いっぱいに広がり、夢中でスマホのシャッターを切っておりました。
時間にしたら15分くらいのエンターティメントでしたが、仕事先で、たまーにこんな幸せに遭遇します。
このような時にはいつも、まるで神様からの贈り物を頂いた気分になります。きっと私の仕事の神様がご苦労様!頑張っているねと、声をかけてくれているんだ。などと考えて幸せな気分を満喫します。神様は「えーっ!?知らないよ」なんておっしゃっているかもしれませが・・。

今、私はこの仕事が長く続いていることも、いつも周りの方たちに恵まれていることも、何よりも仕事が大好きだということなど、本当にありがたいことだと感謝の気持ちでいっぱいです。このような特殊な分野なのに、縁があって、偶然も重なり、私のような者でも私の仕事の神様は一生の仕事を与えてくださった、そのことに深い感謝を忘れないようにしなければいけないと、いつも自分に言い聞かせております。
また来年も素晴らしい夕日や、真っ青な空を見上げて、心からその邂逅に感謝できる時がきっとあることを信じて、今の気持ちを忘れないで頑張ります。
今年もエッセイをお読み頂きましてありがとうございました。

ネアンデルタール人

ネアンデルタール人


澄んで高く上がった空も少し冷気を含んだ風もすべてが秋の気配に満ちてきました。
夏もいよいよ終わりなんだなーと、若干の感傷が心に影を落としちょっと淋しくなります。
でも、考えてみると「冬の終わり」「春の終わり」は全くこのような気持ちにはならないのに、秋が来ると何故か淋しい・・・不思議ですよね。
やがて来る冬は生物にとって試練の季節という、遠い昔の私たちのⅮNAが密やかに情緒面で反応するのかしら?とどうでもいいことをつらつらと考えながら・・・
今回のエッセイは何を書こうかなーと・・・
!あっそうだ!ⅮNAと言えば!

突然ですが、先日TⅤで、「ネアンデルタール人の絶滅」の理由をいくつか取り上げていましたので、お話させていただきます。

その最初の説は「共食い」カニバリズムでこれは、ネアンデルタール人の骨の化石の形状を見て分かったそうです。ところが哺乳類はほとんど共食いはしないそうです。なぜならば同じ種の蛋白質を食べてしまうと、体の蛋白質が変化して、特別な物質を出して病気を惹き起こしたり、又はその物質が脳をスカスカの状態にしてしまうそうです。

次の説はネアンデルタール人は移動しながらの狩猟生活なので、少数の家族でグループを作って生活をしていたようです。親族の中での繁殖のために、当然病弱な子孫を作り出しそれが連鎖していき、絶滅したという説です。

最後の説はホモサピエンスに駆逐されたという説でした。
もちろん、ホモサピエンスとは今の人類のことです。以前は、ネアンデルタール人の方がコミュニケーション能力が低いので駆逐されたという説が通説になっていたそうですが、言葉の発達状況が判るネアンデルタール人の舌骨の化石が出てきてこれを調べたら、私達とほぼ変わらないコミュニケーション能力を持っていたことが最近分かったそうです。
本当の理由はうやむやのままでしたが・・・
結局病弱な種が頑健な種に駆逐されたという結論でした。

ところが,ちょっとホッとするような話を最後に伝えていました。
ネアンデルタール人とホモサピエンスは交配が可能な生物で、実はネアンデルタール人のⅮNAが最近解析されて、驚くことに今の私達のⅮNAにネアンデルタール人のⅮNAが2パーセントも含まれていることが分かったそうです。
すべての今のホモサピエンスにです。
絶滅したのではなく、どういう歴史があったのかはわかりませんが、あらゆる困難を乗り越えて一部のネアンデルタール人はホモサピエンスと交わり、家族を作りお互いの理解のもとに子孫を残していたのです。なんだかとても感動してしまい、地球に育まれて生きとし生ける者のこれが本当の姿だと思いました。
神様がいらっしゃるならば、神様がきっと心から望んだ、あるべき姿がこれだ!と思いました。

この最後の一説を聞きながら現代のホモサピエンスたちに思いをはせ、その愚かさに悲しくなりました。同じ種で、同等のレベルの言葉を持ち、種が絶滅するか否かという絶望的な環境でもないのに、なぜ争うのか?なぜ歩み寄らないのでしょうか?
隣国との日々の諍いのニュースには心が痛みます。まるで男と女の痴話げんかみたいだと感じます。お互い気になって仕方がないのに、わざと知らんぷりしたり、いじわるしたり、悪口言ったり、そのうち絶対謝ってくるだろうと高をくくっていたら、どんどん思わぬ方向に行ってしまい、実は内心慌てているのにやせ我慢の平気な顔をして・・・
またややこしいことに三角関係、二人の隙間に入り込もうとする第三者がいたりして、全く複雑な恋模様と同じじゃないの‼と・・・正直なところ、笑えない話になっていますよね。

大昔の、「人の起源」の時代にたぶん(想像です)ヒト属が生きるために、本能的に芽生えたお互いに対する愛情を忘れたら・・・ホモサピエンスは結局共食いみたいになってしまうぞ!と、私ははらはらしながら時の流れを見ています。
この平和が続くことを、この恋話も元のさやに戻り、お互いを尊重して敬愛して豊かな人生を作っていけることを願うばかりです。

手作り髪飾り

手作り髪飾り


今回は「手作り髪飾り」をご紹介します。夏はお祭りなど浴衣を着る機会が多くなりますが、そんな時にかわいい手作り髪飾りをつけてみてはいかがでしょう?
胸前の浴衣の帯の間に挟み込んだり、襟合わせの間に挟み込んでも、可愛いと思います。

材 料

    • 櫛形の髪留め
    • リボン(白)12mm幅
      今回は当社のギンガムリボンを使用しました。
    • 造花の花の部分
    • グルーガン