Author Archives: nakagawa

日本語検定

日本語検定


2018年の夏は猛暑が続き「過酷!!」の一語に尽きる毎日でした。
私にとりましては、暑さのダメージの上に夏風邪も長引き、調子が上がらない日々が多かったので、先日我が家のベランダから、天の高さの極みに刷毛を掃いたような秋の絹雲を見た時、やっと夏が終わったのか・・とフーっと安堵のため息が漏れました。

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私の仕事の一つに「美しい日本語を話す」というフィールドがあります。少し前のお話になりますが、日本語を指導する側ばかりではなく、受ける側の体験もしてみようと思いたち、今年6月に日本語検定の受験を試みました。

受験などウン十年ぶりのことで、まずは受験するには、受験勉強をしてみなければと、参考書を書店で探してみました。ところが、とても種類が少なく、外国人向けのものばかりでなかなか良いものが見つかりませんでした。日本語を改めて勉強してみようなどと考える人は、案外少ないのかもしれません。写真の物はネットで探したものです。1

他に資料はないのかと探しあぐねて「日本語検定 勉強」としてネットで検索しましたら、それに応じた通信教育がいくつかありましたので、試しに受講してみました。
早速、段ボール箱にいっぱいに詰った参考書、問題集などが送られてきました。2勉強の分野は敬語、文法、漢字表記、語彙、敬語と4つに分かれております。3
面白かったのは語彙の分野でしょうか?

うたた・・意味は 一段と思いが強まる時に使う     転たと書きます
使用例「かつての寒村の近代化を見るたびに、うたた、今昔の念に堪えない。」

けだし・・意味は確信をもって推量すること       蓋しと書きます
使用例「その時の彼の言葉は、蓋し、名言と言えるだろう。」

など、あまり使わないような言葉も多数出てきて、これは受験生も手を焼くに違いないと少し気の毒な感じがいたしました。。

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慣用句の分野では、中国の古典に由来している言葉は、その深い歴史の裏打ちがあり、再度紐解けば私自身にもとても勉強になるかもしれないと、多いに興味をひかれました。そういえば、学生時代に、古典(漢文?)の授業で習いました、「人生すべて塞翁が馬」、「五十歩百歩」、「矛盾」、「杞憂」などの言葉は先生がお話してくださった歴史と合わさって決して忘れませんよね。

「石に漱ぎ流れに枕す」という慣用句、聞いたことがあると思います。これは夏目漱石のペンネームの由来なのですが「枕石漱流」(ちんせきそうりゅう)➡「石を枕にして川で口を漱ぐ俗世から離れた生活」を言い間違って逆さに「枕流漱石」と言ったのを笑われた人が流れに枕するのは耳を洗うため、石に漱ぐのは歯を磨くためと強引にこじつけた故事から、負け惜しみの強いこと、ひどいこじつけのことを言う。のですが・・、明治の偉大な文化人の偏屈ぶりが、いかにもという感じで笑えますね。

さて、受験の話に戻りますが・・試験日は6月8日でした。受験人数は全国で4万人を超えるほどで、私の受験日にも会場となる大学の校舎にはたくさんの若い方がいらしてました。
試験開始のときに、配布されたビニール袋に入った問題と解答用紙を見た時は、アドレナリン全開で久しぶりの緊張感に「ああ心臓に悪い・・。」と少々の後悔とともに、「よーい始め」の声でビニールの袋を開けました。

結果は合格を頂きました。
残念なことに手元にあった問題集からは、ほとんど問題は出ませんでした。答案用紙にペンを走らせながら、受験勉強なるものが全く役に立たない現実に、これは自分が普段使っている日本語のレベル検定だなと思いました。現実としては、試しに生徒の立場になろうとしただけなのに、プロ意識ゆえにむしろその結果が恐ろしくて無事合格の通知を頂いて、今はほっと胸をなでおろしております。

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ちなみにその通知が届いたのは、夏バテ真っ最中の最悪の体調の時でした。封筒が目の前に来ているのに,開けたくなくてそのままにしておりましたら家人が早く開けたら?と申します。その時は自分の健康をはじめ、仕事のことやプライベートなことまで絶不調だったので嫌な予感とともに、封筒を開けました。合格証を見た時は、それは天から届いた恩恵の一筋の光にも似て、私の絶不調のすべての因縁を、柔らかい、温かい優しい光で照らして洗い流してくれているような感じを受けました。試しの受験などと不遜な考えで受けたにもかかわらず、神様の啓示と思ってよろしいのでしょうか?体調の回復の兆しとともに、私たちが普段使っている日本語に対して改めていろいろな新しい思いを持つことが出来ました。

美しい日本語は現代では若者言葉に押されて、存在が危うい文化となっております。でも若い女性が目上の人に対する敬語を上手に使い、お聞きしていても品格のある言葉を使うことができたならば、それがどれほど素敵で魅力的な事なのか・・この受験を通して、私はそれを伝えるためにもっと努力をしなければいけないと感じました。
そのような夏の経験でしたが、今は体調もすっかりと回復いたしまして「虚心坦懐」元気に楽しくお仕事も頑張っております!本当に「人生塞翁が馬」ですね。4

引っ越し

引っ越し


学生時代の友人から、筑波にお引っ越しをしたと連絡を受けて、先日そのご新居をおたずねしてみました。
彼女はそれまでは、百合ヶ丘に近い広いマンションにご主人様と住んでいらっしゃいました。いわば人も羨む悠々自適というライフスタイルです。内心、遠い筑波にお引っ越しなんて、何かのっぴきならない重大な事情があったのかと心配でいっぱいでした。

さて、その理由は、現在筑波に住んでいる3人のお嬢様の近くに移り、お小さいお孫さんたちの面倒を見て,家事などお嬢様の助けになりたいという事でした。ご新居は、駅の隣のマンションで11階のお部屋でした。お部屋はコンパクトにまとまり余分な物がなく、インテリアも白木の家具にリネンのテーブルクロス『ネイチャー&シンプル』で彼女そのもののテイストでした。
見晴らしの良いベランダに出ると、さえぎる建物などは一切無く眼前にはどこまでも広がる緑の田んぼ、遠くに霞むスカイツリー、風景の3分の2を占める空のスケールは素晴らしく雄大で。関東平野の広さを初めて実感できる、痛快なほど何とも言えない清々しい景色が広がっていました。
思わず、私「いいねー!」
彼女「うん。・・・晴れた日は向こうに富士山が見えるよ。」
景色を見ながらの会話はそれだけでしたが、その痛快な景色を見ながら、「ああ、これが彼女の終の棲家なんだな。」と心の中でつぶやきました。

お引っ越しには私の知らない深い事情もあるのかもしれませんが、このご夫婦は自分の人生の最終エンドに娘の傍を選びました。
高校時代から成績も良く優秀な大学を卒業した彼女は、仕事ではなく学生時代からの恋人だった、今のご主人様を選んであっさりと家庭に入ってしまいました。
その後の人生はまさに良妻賢母を地で行き、つつましくも強い意志で子育てに励み、3人のお嬢様を育て上げてきました。若いころからの彼女の願いはただ一つ、大切な人のために生きる、それが自分にとって最善の幸せなのだと信じて生きてきたのでしょう。まっすぐなその生き方は、まさにこの引っ越しの決断の時もぶれなかったのだと、心の中でさすが!と感心いたしました。
自分の信念を貫く彼女が、ここに引っ越してきてよかったなと、満足感いっぱいの気持ちでこの清々しい景色をこれからもずーっと見続けることが出来ますようにと、小さく胸の中でお祈りをいたしました。

引っ越しつながりで、同じ年代の違うカップルのお話をもう一つ。
知人からお聞きしたお話です。その知人と同じマンションに外資系で働く、年収2000万の(すごい!)独身のアラフィー女性が、ご高齢のお母さまと一緒に住んでいたそうです。犬のお散歩のときに知人は、お母様とお話をするようになり、それがきっかけでその女性ともお親しくなったそうです。
その女性は流行の最先端を身にまとい、プチ美容整形にも余念がなく注射、金の糸、レーザーあらゆる方法で美を追求していらっしゃったそうです。その方には彼がいるのですが、この彼がちょっとややこしい経歴で、2回離婚して3回目の奥様とは別居状態そのうえ子供もいるとのこと。また相当の資産家で1年に2回はパリとハワイに彼女を連れて行ってくれるそうです。ここからはちょっと笑ってしまいましたが、「彼女はきれいな方なの?」とお聞きましたら、「中の上」とのこと、よくわかりませんが、そういう事のようです。

ある日そんな彼女が突然今のマンションを売り払い、彼のマンションに引っ越ししてしまったそうです。
その仔細は、原宿に大きな高級タワーマンションの建設計画があり、遠くない未来に彼と原宿のそこに住むまでの間、今の彼のマンションで同棲ということだそうです。そしてご一緒に住んでいたお母様は、老人ホームにお引っ越しとのこと・・・勿論高級なサービス付きのホームとは思いますが、何んともやりきれなくお気の毒なお母様に対して惻隠の情を催します。彼女はちゃんとその原宿の高級マンションを手に入れることが出来ればいいけれど、男の心なんてわかりません。捨てられたらどうするのかしらと・・他人事ながら心配になりました。
たった一人のお母様を捨ててマンションも売ってしまう決断のすごさ・・・とその危うさに、同じ年代で、私も母と一緒に住む身なので、はらはらといたしました。

住む場所を変えるという事は新しい空気、環境、出会いなど、たくさんの期待と希望の扉を開ける人生の大きな転機です。
でも、私たちのような年齢を重ねた身には、大きな覚悟が必要です。それは人生の終着ゴールへ続く最終コーナーに手綱を切ったいう事にほかなりません。これで本当によろしいのか?向こうに見えているゴールまで無事に平和に行きつけるのか?とドローンのような機械を飛ばして、俯瞰して見極める術があったならば、よろしいのですが。なかなかうまくはいきません・・とぶちぶちと言っております私めも、いつもお酒を呑みながら楽しくお話しているお仲間のお1人から、「今度ご一緒に夕食はいかがですか?」などとプライベートなお誘いを受け、予期せぬハプニングにくらくらと悩むことしきり。
このような調子ではまだまだですね。よたよたと道の迷いそうな嫌な予感がいっぱいです。アブナイアブナイなかなか最終コーナーは曲がれないようです。

長傘のラッピング

長傘のラッピング


梅雨の季節が近づいて参りました。
今回は長傘のラッピング方法をご紹介します。
なかなか長傘をラッピングする機会は多くないかもしれませんが、いざ必要な時には参考にしてみてください。傘でなくても長い物を包む時にも使えると思いますよ。

平家物語

平家物語


桜の季節は春の嵐の向こうに吹き飛ばされ、今は落ちた花びらにかすかな春をしのぶばかりとなってしまいましたが、昨日堺の空に鯉のぼりが風に吹かれて泳ぐのを見て、季節はすっかり初夏に変わっていると気が付きました。

初夏、幼いころの実家では五月の節句になれば、紫の花菖蒲のもとに五月人形がいつも飾られていました。それは朱色の房飾りが付いた白馬に、颯爽とまたがった義経だったと記憶しています。
その義経の兜は前方中央に獅子(?)の面飾り、その両脇にU字型のカニのはさみのような突き出た形の飾りがついていて、朱の糸が美しいものでした。今まで私が見てきたビジュアルの義経は、ほとんどこの兜と同じものをかぶり、赤い鎧を着ていて「義経スタイル」というのがあるのだなーというくらいの理解でしたが、去年義経ゆかりの平家物語と出会った今は、現存するという国宝の義経の鎧を大山祇神社に見に行きたいとさえ思うようになりました。

昨年のちょうど今頃です。
友人から「平家のセミナーはいかが?」とお誘い頂き、ちょっとだけ聞いてみようと軽い気持ちで御一緒させていただきました。講師の先生はお着物姿のお美しい方で(金子あい先生とおっしゃいます)、ざっくりと平家の物語の由来などを語り、鹿の谷(ししの谷)の段を詳細に原文をもとに読み解いてくださった後、受講生一人一人の文章の範囲を決めて、なんと!「それではご自分の範囲を順に朗読してください。」とおっしゃる・・・
驚天動地の私は隣の友人に「聞いてないよ。」彼女涼しい顔で「あらそうだった?平家を読む会よ、ここは。」というではありませんか。
冷汗が出てくるわ、自分の番が回ってくるまでの緊張たるや、自分で自分が気の毒になるほどガチンコチンになって。人の前で古文を読むなんてムリムリと思いながら何とか凌ぎました、が…読み終った後はなんだか爽快感?みたいな・・不思議な気持ちになりました。恥ずかしいどころか、むしろ先生のおっしゃるご指示の「山に囲まれた山荘で謀議をするのですから、その雰囲気を出してください。」などというとてつもなく難解な注文に対して、真剣にどうしたら山の雰囲気?謀議?と…すっかりとその気になってしまいました。

30人ばかりの受講生の2回目の朗読が終わった後、いよいよ最後に先生の朗読が始まりました。これは本当に驚きました、山荘も謀議も俊寛も酒の宴も目の前でその情景が出てくるような声音と迫力なのです。凛とした先生の後ろには鹿ケ谷の人々がその無念さをにじませてたたずんでいるとさえ感じさせるほどです。
そこから、平家物語にすっかりとはまりました!
琵琶法師が庶民に語った文学のためか、原文は意外に簡単に理解できるのと、それぞれの段が現実にあった事だという実感が圧倒的な迫力で私の胸を打ってきました。清盛も頼朝も義経も物語の中では、会話して、泣いて、憂えて、いきいきとした息使いまで感じるほどの現実感で迫ってくるのです。
源氏物語も大好きでしたが、実際の史実に合った内容が綿々とつづられている重みには、源氏でさえ太刀打ちできないと思いました。

1年に数回しかない授業ですが、とても楽しみでどの段も心に残っております。
中でも「先帝身投」の時のくだりは忘れがたいものがあります。
いよいよ平家の最期が近づいてきた主上(安徳天皇)がおわします船の中の出来事です、主上の船に乗り移って来た知盛は、見苦しい品を海中に捨てさせて船の前後を走り回り、掃いたり、拭いたり、塵を払って自ら船を清めるのです。女房たちが戦況を聞いても「そのうちに見たこともない東男が現れますよ。」とからからと笑った。とありますが、なんと魅力的な人でしょう。最期と決めて身の回りを清めるそのダンディズム、潔さ、余裕、そしてユーモア。男の中の男とはこういう人のことを言うのだと感心することしきりでした。
そして、二位の尼(清盛の妻、時子)が8歳の主上を抱きかかえて「あなた様のご運はつきましたが、波の下には極楽浄土の都が待っていますよ。」と幼子に言い聞かせ、涙にくれる主上と一緒に入水してしまいます。
その時の表現は、「無常の春の嵐が花のような主上のお姿を吹き散らして、人間の悲しい運命の浪が幼い主上の身の上に覆いかぶさってきました。」と、どこまでも美しくまた悲壮感があふれていて、この段の先生の語りの時、私は涙を禁じることが出来ず不覚にも机には涙の小さな海ができてしまいました。ちなみにくだんの知盛は乳母子の家長とともに鎧を二領着て手を取り合って入水したとのこと。
その時の言葉が「見るべきほどのことは見つ、今は何をか、期すべき。」
男らしい、このかっこいい言いよう,
齢三十三と言います。この若さでこの悟り、このような男が現代にいますか?
昔のことなのに今そこで実際に起こっているような錯覚に陥り、登場人物に共感しながら泣いたり、笑ったり、多分琵琶法師の語りを聞いた庶民たちは私と同じような立ち位置で聴き入ったのでしょうね。

今も昔も人の思いは変わりません、浅はかな欲に惑わされて道を外したり、見捨てられて零落してもどこかで助けられたり、たくさんの人の人生が絡まりもつれ合って、人の生きる道は平家の時代から現代まで続いています。
平家物語を読んでいて中から聞こえてくる声は「人の命はいつか尽きるもの、だからこそ、たった一度の人生、悔いの無いよう、生きなくてはね・・・。」こんなでしょうか。
「見るべきほどのことは見つ・・」知盛は生まれた時から彼の周りにあった人も富も地位も自分の命もすべてを失う時に、それらの物のはかなさを悟って、「何だ、こんなものだったのか。」という、心底絶望の境地に達したのかもしれません。その絶望がむしろ死ぬことへの期待に最期の一瞬を輝かせたのかもしれません。
忙しい時間の中で、たまに平家物語を手に取って人生の無常観の中に、自分を置くことも大切なことではないかと、最近しきりに思います。

ハンカチを使ったラッピング

ハンカチを使ったラッピング<母の日編>


ハンカチを使ったラッピングをご紹介します。
ちょっとレースがついたハンカチとか、大きめの刺繍があるハンカチを使うと、紙とはまたちがったエレガントなラッピングになりますよ!
今回はカーネーションをあしらって<母の日編>にしてみました。

パーソナルカラー

パーソナルカラー


今年の冬は大雪で、特に日本海側では想像を越えるような量が降っているようです。私も出張中に飛行機が欠航になったり、高速道路の閉鎖で飛行機に乗り遅れたり、新幹線が遅れたりで、あちこちで大変な思いをしました。東京にいても、都会は少しの雪でも交通トラブルが勃発しますので、雪の予報の時には前日から気を使います。

そのような厳冬の中で今日は珍しく春のような陽気になりました。
日差しも温かくうらうらとした気分で、久しぶりにパーソナルカラーの練習のために銀座に足を運びました。
パーソナルカラーとは、人の肌の色をブルーとイエローに大きく2つに分けて、
イエロー」をスプリングオータム
ブルー」をサマーウインター
にそれぞれ分類して、肌の色を4種類のいずれかに区分するハウツーです。
自分の肌の色区分を知っておくと、似合う洋服、ヘアーカラー、アクセサリー、メイクなど迷うことなく、ぴったりの色をチョイスできます。例えばピンクがお好きな方、似合うのと苦手なのがありませんか?ピンクにもいろいろな色があります。

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1下の黄みがかったピンクはピタッとくるけれど、上の藤色がかったピンクは難しいと感じる方はイエローベースのお肌です。反対に上の藤色がかったピンクがお似合いだと、ブルーベースのお肌になります。ベースを間違うとイエローベースの方は青白く元気のないお顔色になってしまいます。反対にブルーベースの方は赤黒い、黄色っぽい色にお顔色が見えてしまいます。

ファンデーションもベージュ系、ピンク系に分かれていますね。
ベージュ系(オークル系)はイエローベース、ピンク系はブルーベースに該当します。
時間がたつとお顔のファンデーションの色が首の色よりくすんで変色したり、色が白く浮くような感じがする場合は、ご自分のファンデーションの色の系統を再確認してください。
自分に合ったベースにすると、見違えたようにお肌のメイクがナチュラルになります。

アクセサリーや眼鏡もゴールドとシルバーがありますが、両方使い分けているよなんておっしゃらずにイエローベースはゴールド、ブルーベースの方はシルバーがぴったりなんだと覚えておいてください。でもこれはほとんどの方が、ご自分のお似合いの色を無意識に選んで身に付けていらっしゃることが多いので、私たちはなさっている時計や眼鏡の色がどちらなのかを参考にして判断したりということもあります。

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区分分けの判断をプロはこのドレープという4種類の色で構成された120色の布で判断します。2

4種類の色をイメージで説明しますと、
イエローベース
3スプリングは華やかな明るい色が集まっていて、春の日差しの中で花が咲いているような温かい色合いが多くあります。
4オータムはリッチな重厚な感じの色が多く、秋の実りの熟した実が夕日に照り映えたようなイメージです。

ブルーベース
5サマーはアジサイの花が集まったようなさわやかな寒色系のイメージです。
6ウインターは鮮やかな目立つ色が集まって、白い雪をバックにしてこの色をまとうならば女王様のような風格が出てくるイメージです。
この120色の布を肩にかけてお顔色を見ながら判断をしていきます。

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判断の順序はまずベースの見極めからです、それぞれのベースの特長が際立つ色を対比させて、例えば鮮やかなオレンジと鮮やかな濃いピンク72色のどちらが肌を美しく見せるかモデルの肩に掛けて判断します。オレンジがしっくりと行くならベースはイエロー、ピンクならブルーとなります。(判断はこの配色だけではありません。その他にもたくさんの配色を掛けて診断します)ベースが決まったらそのベースのドレープを中心に掛けていき、お肌の色の微妙な変化を見落とさないように細心の注意を払って最終の区分に分けます。

自分の似合う色を知っておくことはとても大切なことだと思います。赤は似合わないから着ないとあきらめている方、本当はとても惜しいことをしていると思います。同じ赤でもブルーベースの赤とイエローベースの赤は違います。8お似合いの赤があることに気が付くと、今までにない新しい自分の魅力を発見できるかもしれません。

先月、友人に診断を依頼されてブルーベースのサマーと判断しました。その日彼女はラクダ色のコートを着ていたので「これは違うな。」と思っておりました。1か月ぶりの昨日、彼女が現れたとき「どなた…?」と、目を疑いたくなりました。私のアドバイス通りに薄いブルーのたっぷりとしたマフラーに澄んだ湖のようなブルーのコートを着て登場なさって、お肌が透き通るように明るくなり、瞳が黒眼がちにはっきりと映えて、フェイスラインも上がって見えたので一段と美しさが際立ち私自身驚いてしまいました。
女性が大きなイメージチェンジできるとしたら、自分の似合う色を知って自在に操ることができる「パーソナルカラーのハウツー」これしかないなと感じることしきりです。
そろそろストック、アネモネ、菜の花、スイトピー、優しい色の花が咲き乱れる季節がやってきます。長い冬のうっとしさから脱皮して、私たちも花の色に負けないように自在に色を操って、自分らしい春の色をまとってみませんか?

昭和のお正月

昭和のお正月


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2018年のお正月も三ケ日が過ぎていよいよ新しい年が動き始めようとしています。
都会で過ごすお正月の中で、ヒマに任せて、幼い頃の昭和のお正月を思い出してみれば昭和は遠く・・隔世の感ありだなーとしみじみ考えました。

むかしむかしの話です・・・
元旦の朝は父も母も和服に身を包み、きちんと家族で新年のあいさつをして子供たちは一家の長となる父親から、押し頂くようにお年玉をもらいました。甲斐甲斐しくおせちの用意をする母の和服姿は、子供心にも嬉しくまた何となくまぶしくて、割烹着…カッポウギは知らない方が多いでしょうね、和服用のエプロンのことです。そのおろしたての、真新しいカッポウギが年の始まりをいかにも感じさせて、その鮮やかな白さが目に残ります。

我が家はお屠蘇代わりに父のハイカラ好みのため、赤玉ポートワインで新年の乾杯をしました。見慣れない形のワイングラスに真っ赤な液体をとくとくと注いでもらい、一口飲めば、そのあまーいワインにすっかりいい気分。「もう1杯!」というと、「子供は1杯だけ」といつものお決まりの返事です。

お正月には、もちろん新品の下着とともに女の子たちは、晴れ着を着せてもらいます。大みそかの夜は枕元に置いてある晴れ着が気になり、眠れないほどの嬉しさです。私の晴れ着は、薄桃色の地に紫、赤、白の菊の花が散らしてある古典的な柄模様で今でも懐かしく思いだします。それに赤い繻子の帯を締めてもらい頭には花のかんざしを付けました。もうそれだけで有頂天のお姫様気分です。
早速近所のお友達のおうちに遊びに行って、お互いの晴れ着を確認したら、しゃなりしゃなりと二人そろって用もないのにご近所を歩き、すれ違った大人たちに「可愛いいネ、きれいだね。」と声をかけてもらうのがうれしくて,いつものお転婆もこの日ばかりはおしとやかな女の子に変身していました。

またお昼過ぎになれば、ご近所が行ったり来たりの新年のご挨拶、私も父と母について一緒にご挨拶に参りました。どこのお宅も門松やしめ縄飾りがあり、お玄関にはお花が活けてありました。いつものおばちゃんたちが母と同じように和服に身を包み、家の中はピカピカに掃き清められて町中がぜーんぶお正月に染まっていたあの頃・・・空には必ずや凧が何本も舞い、道端では独楽を回し、女の子は羽子板をつきました。

あの時代の人々の意識の中では、ご近所同士の親しいお付き合いの中で、「今年もよろしくね」という挨拶とともに、新年の到来に対して、謙虚に神聖な気持ちで迎える清々しい覚悟があったのかな…と感じます。
今年も私のお正月は都会の孤独の中に置かれて、お隣の方にご挨拶をすることもなく、誰が何をしているのかもわからないマンションにいて、街に出ればスウエットのポケットに手を突っ込んで歩いている若者が、眠そうな顔でコンビニに入っていく、そのような普段と変わらない街の風景を「お正月なのに・・」とむなしく眺めて、淋しく感じるばかりでした。

でも田舎に行けば、まだまだあのゆかしいお正月は、残っているのでしょうね。だから人々はお正月には田舎に帰っていくのかもしれません。ゆく年に無事に過ごせたお礼を言い。来たる新しい年に幸多かれと祈り、家族が集まりお互いの心の絆を確認して、心を新たにして帰っていく。
お正月というのは日本人の心の奥にある、皆でスタートラインに立って小さな仕切り直しをして、再び頑張ろうね!という暗黙の約束があるのかもしれませんね。昭和の時代はそれがはっきりと見えていた、今の混沌とした複雑な時代と違ってわかりやすい時代だったのかもしれません。

などと徒然なるままにお正月とは何ぞやと考えてみましたが・・
今年もエッセイをお読みいただいている皆様とともに清々しい仕切り直しをして、スマートダッシュで2018年をスタートしていきたいと考えております。
皆さまにとりましてもよいお年になりますようお祈りいたします。
ありがとうございました。

旭川空港

旭川空港


いよいよ年の瀬も迫ってまいりました。私はこの気ぜわしい季節の中で出張も多く、相も変わらずお疲れのバラード(?)の今日この頃です。

先日、北海道の紋別に行ってまいりました。
お仕事で伺うのは本当に久しぶりで、ほぼ20年ぶりのことでした…いかに長くこのお仕事を続けてきたか、お分かりいただけるかと思います。当日、20年前に私のセミナーの担当で、テニスがお好きでハンサムでさわやかな若者でいらした方が、(ご一緒によくお酒も頂きました)セミナー終了後にわざわざ、会場までおいでいただき、お会いしました。今はご出世なさってその団体のトップとなり、ご立派な紳士になられていました。交わす言葉も少なく、ただお互いの変貌に時の流れを感じ、私は若かりし頃の思い出が胸に迫ってきて、再び招聘いただいたご縁に感謝感謝の気持ちでいっぱいでした。

実は本題はこれからなのです…
翌日が思いも掛けないハプニング!なんと東京へ帰る便が、天候は晴れているのですが強風のために欠航ということになってしまったのです。翌日には青森出張が控えているので、今日中にはゼッタイ東京に帰らなくてはいけません。
紋別は一日1便しか飛ばないので、もう万事休す!
航空会社に電話して旭川からの便に振り替えてもらいました。旭川まではバスで3時間かかります、本数が少なく、発車時間までは相当時間があり仕方がないので、元気を出そうと紋別を歩いてみました。

空の抜けるような青さと海の深い青は昔と変わりませんが町並みは淋しい限りで、車は時折通りますが、歩いている人が見当たりません。強風吹きすさぶ中でなんだかこの身もふわーと遠くへ飛ばされてしまいそうに頼りなく、これから向かう旭川のエアーも果たして飛んでくれるのか?と悶々とした心配の果てに、遠いところにポツンと取り残された感じが強く、あまり楽しいお散歩とはなりませんでした。

バスの発車時間のそのころには「車窓の風景も楽しみだな。」と気分も回復してバスに乗り込みました。1時間ほど続いた小さな村落の平野部はまだ晩秋の風情が残っていましたが、山の中に入っていくと、山はすっかり真冬の様相を呈してきました。
そして!な、なんと一面の銀世界になってしまいました。私はこの雪景色を見て愕然、バスがあおられてよろけるような強風はいまだ止んでいないし、この雪ではこんなに頑張って旭川まで出ても(頑張っているのはバスなのに…)エアーが飛ばないかもしれない…と、心配は増すばかりでした。とうとう、東京へ帰ることをあきらめて、直接青森までの行き方をスマホで調べる始末です。これも調べると、実は絶望的な結果です。
旭川から函館まで8時間以上もかかり、函館泊まりにしてもバスの到着時間を計算すると旭川発の最終の特急電車にはぎりぎり間に合いません。

そして、腰の痛くなるほど乗ったバスは、八方ふさがりの気持ちのまま旭川駅の停車場に到着しました。まだ止まない強い風の中、急いで刺した傘からは容赦なくみぞれ混りの冷たい雨が音を立てて吹き込み、あまりの寒さに歯の根も合わない悪天候、いよいよ私の気持ちは絶望的に落ち込みます。

どうしよう、どうしよう。こんな天候ではきっとエアーは出ないだろうな…」とおろおろ空港行きのバスを待っている間、外は凍えてあまりに寒いので旭川JRの駅構内に入り、重い荷物をずりずり引きずりながら、うろうろしておりました。
と、そこに運命を変えるようなポスターを見つけたのです!

「旭川空港はどんな吹雪にも負けません!欠航率が日本で一番少ない空港です!就航率98%!!!」
そのポスターを見た途端、まるで妙なる音色が天から虹のきらめきとともに落ちてきたみたいな衝動!ご想像ください、地獄から天国とはこのことです。
その時、あまりに嬉しくて、漫画で描けば目の中にお星様がきらめき、ほっぺたがばら色になり、周りをバラの花で囲まれた少女主人公みたいな自分を思わず想像してしまいました。
ていうことは…100本のうち2本しか欠航しないということね?!
それならば大丈夫!!
すっかりポスターを信じ、先程までの死ぬような心配はどこに行っちゃったのか?旭川ラーメンを頂くやら、お土産を買うやら、そうそう!思い出しました、この寒いのにアイスクリームまで頂いちゃってご機嫌タイムとなりました。そして、さすが!就航率ナンバー1のおっしゃる通り、エアーは強風をものともせず雄々しく飛び立ち、無事私は仕事に穴を開けることもなく、次の日には元気に青森に飛ぶことが出来ました。

心配って体に良くないですね。食欲もなくなるし胃まで痛くなってきます。だからと言ってケセラセラと言えない事情もあって、人間は心配ばかりして生きているみたいですね。
結局は成るようにしかならないのですから、せめて目の前のことだけを小さく心配してたらいいのにねぇ、いろいろと面倒くさいことまで心配しちゃいます。
心配性の私はいつもこのような状況になると、あれやこれやと考えすぎて落胆したり悲しんだりして、結局自分にストレスをかけてしまいます。ことあるごとに、戒めているのですがなかなか思い通りにはいきません。おおらかに,泰然として、笑顔をどのような時でも忘れないウツクシイ生き方をしたいものだとつくづく感じます。

年の終わりなのに盛大な愚痴のエッセイになりました!!ア~ァ
来年のことを心配したら鬼が笑うらしい(?)ので、何も心配しないでおおらかに良いお年をお迎えください!来年もよろしくお願いいたします。