Author Archives: nakagawa

ガーネーシャ様

ガーネーシャ様


見上げる空に鰯雲を見つけて「ああ秋だなー。」と感じている間に、時は瞬く間に過ぎて急な朝晩の冷え込みにそろそろ毛布を出そうかしらと考えている、今日この頃です。
寒さの始まりと供に聞こえてくるのは、ジングルベルのメロディー・・・・ちょっと早すぎると感じる方もいらっしゃると思いますが、すでにビジネスの世界では年間最大のクリスマス商戦の幕は切って落とされています。

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例年この時期は、詰まったスケジュールから聞きこえてくる忙しそうなサンタさんの足音に追われるように、私はラッピングの新しいノウハウを考えることに多くの時間を費やします。
お見せするのもお恥ずかしいのですが。この時期には、私のアトリエ兼事務所は足の踏み場ではなく手の置き所がないくらいの状態となります1。作品の製作途中のものや、捨てられない失敗作や、これから試そうと材料だけの紙袋(机の向こうにあります)が机の上に雑然と山のように積み重なっております。一つ片付けてから次の仕事にかかればいいのですが、すべてが途中なので片付けるわけにいかないのが、私の言い訳です。

こういう状態の中で頻繁に起こるトラブルは「紛失」です。
「あの書類・・確か先程までここにファイルに入れてあったのに?!無い!無い!」と、処かまわず物をひっくり返して、袋の中身を全部出し、触ってもいない引き出しまで開けて探し始めると、もうドツボにはまって、あれが無かったら・・と悲劇的なことまで想像すると心拍数が上がり(体に良くないよ)半泣き状態です。
結局どこにあったかといえば、すぐ近くにあるのに目に入らなかったり、何度も同じところを探しているのに見つけられなかったり、なくしてはいけないと後生大事にしまい込んでいたりということで、結末は壮大な無駄な時間への悔恨と、見つかった事への途方もない幸せ感がゆらめいて、ただただ徒労の極致の中で「なにこれ?」と無用な一人言を繰り返すのみとなるわけです。探し物は本当に疲れるものですね。

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ソウソウ!この厄介な探し物の時に、最近、得したこともありました。
それは長年にわたり探していたものを見つけてしまったことです!
相当昔に息子がインド旅行の時に求めたガネーシャ様の写真です。いつの間にかなくなってしまい、「探しておいてよ。」と頼まれていたのですが皆目見当もつかない状態でした。
それがどうしたことか、探し物の真っ最中に引き出しの奥底から現れて驚きました。このようなところにいらしたのですね!さすがにわかりませんでしたとお祈りをいたしました。2ガネーシャ様はヒンドゥー教の神様で、現生の夢をかなえ学問も司り、お商売繁盛の人気の神様です。ガネーシャ様は牙の1本が折れているのをご存知ですか?欠けた牙の逸話があります。

ガネーシャはある日、月に招かれました。月の御殿で好物のお菓子をいっぱい食べてお腹をパンパンにしてご機嫌になり、ネズミに乗って家路に付いたときのことです。突然蛇が現れたので、ネズミが驚いてガネーシャを振り落としてしまい、ガネーシャは落ちた衝撃で牙を折ってしまいました。腹も割れてお菓子が一気に飛び出していまいました。菓子を拾い集めて腹にしまいなおしたガネーシャは怒って蛇で腹を縛り、再び菓子が出ないようにしました。月が一部始終を見ていて大笑いしているので、機嫌の悪いガネーシャは月に向かって折れた牙を投げつけたそうです。牙が当たった月は欠けてしまいました。
月が満ち欠けするのはそれからだそうです。とてもユーモラスなほのぼのしたそして雄大な逸話ですが、現生は常に陰と陽、善と悪、の二面性が無ければ存在しないルールから、一本の牙になってその束縛を超越していることを表すそうです。

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前出の息子ですが、外国で違うガネーシャの像を求めたそうです。(ガネーシャ様が相当好きなんですね)その写真を送ってくれました。3小さいけれどとてもしっかりとお守りくださる頼りがいのありそうなガネーシャ様ですね。ちゃんと蛇もいるし、牙もしっかりと折れていますね。
アラ忘れておりました。私も持っておりました!
10年くらい前でしょうか、バリ島で現地の若い青年が自分で彫った石の作品を道端で並べて売っていた一つが気に入り、重ーい石の像を抱えて日本に帰ってきましたが、それがガネーシャ様でした。4このガネーシャ様は毎日、ヴェランダで外から来る魔物を防いで我が家をしっかと守ってくださっています。よく見ますと外に置いてあるので結構傷んでいますね…(申し訳ございません。魔物と戦った跡でしょうか・・合掌)

宗教への関わり方は人によっても大きな違いがあります。皆幸せになりたいために神様を信じているのになぁ、宗教の考え方の違いで戦争が起こっている「人間の頑なさ」の現実には不思議な気持ちになります、その一方で日本人は独特な都合のよい宗教観を持っています。
かくいう私も毎日仏壇に手を合わせ、クリスマスのお仕事をして、年が明ければ初詣ですもの、この節操の無さにガルーシャさまも呆れ顔だと思います。でも探し物をしてくたびれ果ててもガルーシャさまと偶然出会ったり、又は片付けないことへの戒めだったりと、私たちは神様からの啓示に囲まれているのかもしれません。その大きな慈愛に包まれていることに感謝しながら、たくさんの神様とその時々にお世話になりながら、やがて来る新しい年も元気に楽しく過ごしていきたいものですね。

ハロウィンリボンとオーナメントを使って(2018)

ハロウィンリボンとオーナメントを使って(2018)


今年も期間限定でハロウィンリボンとハロウィンオーナメントを販売しています。これらの使い方をご紹介します。
ボックスのラッピングはエイトラインボーを使ったラッピング方法。
OPP袋と紙袋にはオーナメントを使ってみました。

日本語検定

日本語検定


2018年の夏は猛暑が続き「過酷!!」の一語に尽きる毎日でした。
私にとりましては、暑さのダメージの上に夏風邪も長引き、調子が上がらない日々が多かったので、先日我が家のベランダから、天の高さの極みに刷毛を掃いたような秋の絹雲を見た時、やっと夏が終わったのか・・とフーっと安堵のため息が漏れました。

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私の仕事の一つに「美しい日本語を話す」というフィールドがあります。少し前のお話になりますが、日本語を指導する側ばかりではなく、受ける側の体験もしてみようと思いたち、今年6月に日本語検定の受験を試みました。

受験などウン十年ぶりのことで、まずは受験するには、受験勉強をしてみなければと、参考書を書店で探してみました。ところが、とても種類が少なく、外国人向けのものばかりでなかなか良いものが見つかりませんでした。日本語を改めて勉強してみようなどと考える人は、案外少ないのかもしれません。写真の物はネットで探したものです。1

他に資料はないのかと探しあぐねて「日本語検定 勉強」としてネットで検索しましたら、それに応じた通信教育がいくつかありましたので、試しに受講してみました。
早速、段ボール箱にいっぱいに詰った参考書、問題集などが送られてきました。2勉強の分野は敬語、文法、漢字表記、語彙、敬語と4つに分かれております。3
面白かったのは語彙の分野でしょうか?

うたた・・意味は 一段と思いが強まる時に使う     転たと書きます
使用例「かつての寒村の近代化を見るたびに、うたた、今昔の念に堪えない。」

けだし・・意味は確信をもって推量すること       蓋しと書きます
使用例「その時の彼の言葉は、蓋し、名言と言えるだろう。」

など、あまり使わないような言葉も多数出てきて、これは受験生も手を焼くに違いないと少し気の毒な感じがいたしました。。

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慣用句の分野では、中国の古典に由来している言葉は、その深い歴史の裏打ちがあり、再度紐解けば私自身にもとても勉強になるかもしれないと、多いに興味をひかれました。そういえば、学生時代に、古典(漢文?)の授業で習いました、「人生すべて塞翁が馬」、「五十歩百歩」、「矛盾」、「杞憂」などの言葉は先生がお話してくださった歴史と合わさって決して忘れませんよね。

「石に漱ぎ流れに枕す」という慣用句、聞いたことがあると思います。これは夏目漱石のペンネームの由来なのですが「枕石漱流」(ちんせきそうりゅう)➡「石を枕にして川で口を漱ぐ俗世から離れた生活」を言い間違って逆さに「枕流漱石」と言ったのを笑われた人が流れに枕するのは耳を洗うため、石に漱ぐのは歯を磨くためと強引にこじつけた故事から、負け惜しみの強いこと、ひどいこじつけのことを言う。のですが・・、明治の偉大な文化人の偏屈ぶりが、いかにもという感じで笑えますね。

さて、受験の話に戻りますが・・試験日は6月8日でした。受験人数は全国で4万人を超えるほどで、私の受験日にも会場となる大学の校舎にはたくさんの若い方がいらしてました。
試験開始のときに、配布されたビニール袋に入った問題と解答用紙を見た時は、アドレナリン全開で久しぶりの緊張感に「ああ心臓に悪い・・。」と少々の後悔とともに、「よーい始め」の声でビニールの袋を開けました。

結果は合格を頂きました。
残念なことに手元にあった問題集からは、ほとんど問題は出ませんでした。答案用紙にペンを走らせながら、受験勉強なるものが全く役に立たない現実に、これは自分が普段使っている日本語のレベル検定だなと思いました。現実としては、試しに生徒の立場になろうとしただけなのに、プロ意識ゆえにむしろその結果が恐ろしくて無事合格の通知を頂いて、今はほっと胸をなでおろしております。

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ちなみにその通知が届いたのは、夏バテ真っ最中の最悪の体調の時でした。封筒が目の前に来ているのに,開けたくなくてそのままにしておりましたら家人が早く開けたら?と申します。その時は自分の健康をはじめ、仕事のことやプライベートなことまで絶不調だったので嫌な予感とともに、封筒を開けました。合格証を見た時は、それは天から届いた恩恵の一筋の光にも似て、私の絶不調のすべての因縁を、柔らかい、温かい優しい光で照らして洗い流してくれているような感じを受けました。試しの受験などと不遜な考えで受けたにもかかわらず、神様の啓示と思ってよろしいのでしょうか?体調の回復の兆しとともに、私たちが普段使っている日本語に対して改めていろいろな新しい思いを持つことが出来ました。

美しい日本語は現代では若者言葉に押されて、存在が危うい文化となっております。でも若い女性が目上の人に対する敬語を上手に使い、お聞きしていても品格のある言葉を使うことができたならば、それがどれほど素敵で魅力的な事なのか・・この受験を通して、私はそれを伝えるためにもっと努力をしなければいけないと感じました。
そのような夏の経験でしたが、今は体調もすっかりと回復いたしまして「虚心坦懐」元気に楽しくお仕事も頑張っております!本当に「人生塞翁が馬」ですね。4

引っ越し

引っ越し


学生時代の友人から、筑波にお引っ越しをしたと連絡を受けて、先日そのご新居をおたずねしてみました。
彼女はそれまでは、百合ヶ丘に近い広いマンションにご主人様と住んでいらっしゃいました。いわば人も羨む悠々自適というライフスタイルです。内心、遠い筑波にお引っ越しなんて、何かのっぴきならない重大な事情があったのかと心配でいっぱいでした。

さて、その理由は、現在筑波に住んでいる3人のお嬢様の近くに移り、お小さいお孫さんたちの面倒を見て,家事などお嬢様の助けになりたいという事でした。ご新居は、駅の隣のマンションで11階のお部屋でした。お部屋はコンパクトにまとまり余分な物がなく、インテリアも白木の家具にリネンのテーブルクロス『ネイチャー&シンプル』で彼女そのもののテイストでした。
見晴らしの良いベランダに出ると、さえぎる建物などは一切無く眼前にはどこまでも広がる緑の田んぼ、遠くに霞むスカイツリー、風景の3分の2を占める空のスケールは素晴らしく雄大で。関東平野の広さを初めて実感できる、痛快なほど何とも言えない清々しい景色が広がっていました。
思わず、私「いいねー!」
彼女「うん。・・・晴れた日は向こうに富士山が見えるよ。」
景色を見ながらの会話はそれだけでしたが、その痛快な景色を見ながら、「ああ、これが彼女の終の棲家なんだな。」と心の中でつぶやきました。

お引っ越しには私の知らない深い事情もあるのかもしれませんが、このご夫婦は自分の人生の最終エンドに娘の傍を選びました。
高校時代から成績も良く優秀な大学を卒業した彼女は、仕事ではなく学生時代からの恋人だった、今のご主人様を選んであっさりと家庭に入ってしまいました。
その後の人生はまさに良妻賢母を地で行き、つつましくも強い意志で子育てに励み、3人のお嬢様を育て上げてきました。若いころからの彼女の願いはただ一つ、大切な人のために生きる、それが自分にとって最善の幸せなのだと信じて生きてきたのでしょう。まっすぐなその生き方は、まさにこの引っ越しの決断の時もぶれなかったのだと、心の中でさすが!と感心いたしました。
自分の信念を貫く彼女が、ここに引っ越してきてよかったなと、満足感いっぱいの気持ちでこの清々しい景色をこれからもずーっと見続けることが出来ますようにと、小さく胸の中でお祈りをいたしました。

引っ越しつながりで、同じ年代の違うカップルのお話をもう一つ。
知人からお聞きしたお話です。その知人と同じマンションに外資系で働く、年収2000万の(すごい!)独身のアラフィー女性が、ご高齢のお母さまと一緒に住んでいたそうです。犬のお散歩のときに知人は、お母様とお話をするようになり、それがきっかけでその女性ともお親しくなったそうです。
その女性は流行の最先端を身にまとい、プチ美容整形にも余念がなく注射、金の糸、レーザーあらゆる方法で美を追求していらっしゃったそうです。その方には彼がいるのですが、この彼がちょっとややこしい経歴で、2回離婚して3回目の奥様とは別居状態そのうえ子供もいるとのこと。また相当の資産家で1年に2回はパリとハワイに彼女を連れて行ってくれるそうです。ここからはちょっと笑ってしまいましたが、「彼女はきれいな方なの?」とお聞きましたら、「中の上」とのこと、よくわかりませんが、そういう事のようです。

ある日そんな彼女が突然今のマンションを売り払い、彼のマンションに引っ越ししてしまったそうです。
その仔細は、原宿に大きな高級タワーマンションの建設計画があり、遠くない未来に彼と原宿のそこに住むまでの間、今の彼のマンションで同棲ということだそうです。そしてご一緒に住んでいたお母様は、老人ホームにお引っ越しとのこと・・・勿論高級なサービス付きのホームとは思いますが、何んともやりきれなくお気の毒なお母様に対して惻隠の情を催します。彼女はちゃんとその原宿の高級マンションを手に入れることが出来ればいいけれど、男の心なんてわかりません。捨てられたらどうするのかしらと・・他人事ながら心配になりました。
たった一人のお母様を捨ててマンションも売ってしまう決断のすごさ・・・とその危うさに、同じ年代で、私も母と一緒に住む身なので、はらはらといたしました。

住む場所を変えるという事は新しい空気、環境、出会いなど、たくさんの期待と希望の扉を開ける人生の大きな転機です。
でも、私たちのような年齢を重ねた身には、大きな覚悟が必要です。それは人生の終着ゴールへ続く最終コーナーに手綱を切ったいう事にほかなりません。これで本当によろしいのか?向こうに見えているゴールまで無事に平和に行きつけるのか?とドローンのような機械を飛ばして、俯瞰して見極める術があったならば、よろしいのですが。なかなかうまくはいきません・・とぶちぶちと言っております私めも、いつもお酒を呑みながら楽しくお話しているお仲間のお1人から、「今度ご一緒に夕食はいかがですか?」などとプライベートなお誘いを受け、予期せぬハプニングにくらくらと悩むことしきり。
このような調子ではまだまだですね。よたよたと道の迷いそうな嫌な予感がいっぱいです。アブナイアブナイなかなか最終コーナーは曲がれないようです。

長傘のラッピング

長傘のラッピング


梅雨の季節が近づいて参りました。
今回は長傘のラッピング方法をご紹介します。
なかなか長傘をラッピングする機会は多くないかもしれませんが、いざ必要な時には参考にしてみてください。傘でなくても長い物を包む時にも使えると思いますよ。

平家物語

平家物語


桜の季節は春の嵐の向こうに吹き飛ばされ、今は落ちた花びらにかすかな春をしのぶばかりとなってしまいましたが、昨日堺の空に鯉のぼりが風に吹かれて泳ぐのを見て、季節はすっかり初夏に変わっていると気が付きました。

初夏、幼いころの実家では五月の節句になれば、紫の花菖蒲のもとに五月人形がいつも飾られていました。それは朱色の房飾りが付いた白馬に、颯爽とまたがった義経だったと記憶しています。
その義経の兜は前方中央に獅子(?)の面飾り、その両脇にU字型のカニのはさみのような突き出た形の飾りがついていて、朱の糸が美しいものでした。今まで私が見てきたビジュアルの義経は、ほとんどこの兜と同じものをかぶり、赤い鎧を着ていて「義経スタイル」というのがあるのだなーというくらいの理解でしたが、去年義経ゆかりの平家物語と出会った今は、現存するという国宝の義経の鎧を大山祇神社に見に行きたいとさえ思うようになりました。

昨年のちょうど今頃です。
友人から「平家のセミナーはいかが?」とお誘い頂き、ちょっとだけ聞いてみようと軽い気持ちで御一緒させていただきました。講師の先生はお着物姿のお美しい方で(金子あい先生とおっしゃいます)、ざっくりと平家の物語の由来などを語り、鹿の谷(ししの谷)の段を詳細に原文をもとに読み解いてくださった後、受講生一人一人の文章の範囲を決めて、なんと!「それではご自分の範囲を順に朗読してください。」とおっしゃる・・・
驚天動地の私は隣の友人に「聞いてないよ。」彼女涼しい顔で「あらそうだった?平家を読む会よ、ここは。」というではありませんか。
冷汗が出てくるわ、自分の番が回ってくるまでの緊張たるや、自分で自分が気の毒になるほどガチンコチンになって。人の前で古文を読むなんてムリムリと思いながら何とか凌ぎました、が…読み終った後はなんだか爽快感?みたいな・・不思議な気持ちになりました。恥ずかしいどころか、むしろ先生のおっしゃるご指示の「山に囲まれた山荘で謀議をするのですから、その雰囲気を出してください。」などというとてつもなく難解な注文に対して、真剣にどうしたら山の雰囲気?謀議?と…すっかりとその気になってしまいました。

30人ばかりの受講生の2回目の朗読が終わった後、いよいよ最後に先生の朗読が始まりました。これは本当に驚きました、山荘も謀議も俊寛も酒の宴も目の前でその情景が出てくるような声音と迫力なのです。凛とした先生の後ろには鹿ケ谷の人々がその無念さをにじませてたたずんでいるとさえ感じさせるほどです。
そこから、平家物語にすっかりとはまりました!
琵琶法師が庶民に語った文学のためか、原文は意外に簡単に理解できるのと、それぞれの段が現実にあった事だという実感が圧倒的な迫力で私の胸を打ってきました。清盛も頼朝も義経も物語の中では、会話して、泣いて、憂えて、いきいきとした息使いまで感じるほどの現実感で迫ってくるのです。
源氏物語も大好きでしたが、実際の史実に合った内容が綿々とつづられている重みには、源氏でさえ太刀打ちできないと思いました。

1年に数回しかない授業ですが、とても楽しみでどの段も心に残っております。
中でも「先帝身投」の時のくだりは忘れがたいものがあります。
いよいよ平家の最期が近づいてきた主上(安徳天皇)がおわします船の中の出来事です、主上の船に乗り移って来た知盛は、見苦しい品を海中に捨てさせて船の前後を走り回り、掃いたり、拭いたり、塵を払って自ら船を清めるのです。女房たちが戦況を聞いても「そのうちに見たこともない東男が現れますよ。」とからからと笑った。とありますが、なんと魅力的な人でしょう。最期と決めて身の回りを清めるそのダンディズム、潔さ、余裕、そしてユーモア。男の中の男とはこういう人のことを言うのだと感心することしきりでした。
そして、二位の尼(清盛の妻、時子)が8歳の主上を抱きかかえて「あなた様のご運はつきましたが、波の下には極楽浄土の都が待っていますよ。」と幼子に言い聞かせ、涙にくれる主上と一緒に入水してしまいます。
その時の表現は、「無常の春の嵐が花のような主上のお姿を吹き散らして、人間の悲しい運命の浪が幼い主上の身の上に覆いかぶさってきました。」と、どこまでも美しくまた悲壮感があふれていて、この段の先生の語りの時、私は涙を禁じることが出来ず不覚にも机には涙の小さな海ができてしまいました。ちなみにくだんの知盛は乳母子の家長とともに鎧を二領着て手を取り合って入水したとのこと。
その時の言葉が「見るべきほどのことは見つ、今は何をか、期すべき。」
男らしい、このかっこいい言いよう,
齢三十三と言います。この若さでこの悟り、このような男が現代にいますか?
昔のことなのに今そこで実際に起こっているような錯覚に陥り、登場人物に共感しながら泣いたり、笑ったり、多分琵琶法師の語りを聞いた庶民たちは私と同じような立ち位置で聴き入ったのでしょうね。

今も昔も人の思いは変わりません、浅はかな欲に惑わされて道を外したり、見捨てられて零落してもどこかで助けられたり、たくさんの人の人生が絡まりもつれ合って、人の生きる道は平家の時代から現代まで続いています。
平家物語を読んでいて中から聞こえてくる声は「人の命はいつか尽きるもの、だからこそ、たった一度の人生、悔いの無いよう、生きなくてはね・・・。」こんなでしょうか。
「見るべきほどのことは見つ・・」知盛は生まれた時から彼の周りにあった人も富も地位も自分の命もすべてを失う時に、それらの物のはかなさを悟って、「何だ、こんなものだったのか。」という、心底絶望の境地に達したのかもしれません。その絶望がむしろ死ぬことへの期待に最期の一瞬を輝かせたのかもしれません。
忙しい時間の中で、たまに平家物語を手に取って人生の無常観の中に、自分を置くことも大切なことではないかと、最近しきりに思います。

ハンカチを使ったラッピング

ハンカチを使ったラッピング<母の日編>


ハンカチを使ったラッピングをご紹介します。
ちょっとレースがついたハンカチとか、大きめの刺繍があるハンカチを使うと、紙とはまたちがったエレガントなラッピングになりますよ!
今回はカーネーションをあしらって<母の日編>にしてみました。

パーソナルカラー

パーソナルカラー


今年の冬は大雪で、特に日本海側では想像を越えるような量が降っているようです。私も出張中に飛行機が欠航になったり、高速道路の閉鎖で飛行機に乗り遅れたり、新幹線が遅れたりで、あちこちで大変な思いをしました。東京にいても、都会は少しの雪でも交通トラブルが勃発しますので、雪の予報の時には前日から気を使います。

そのような厳冬の中で今日は珍しく春のような陽気になりました。
日差しも温かくうらうらとした気分で、久しぶりにパーソナルカラーの練習のために銀座に足を運びました。
パーソナルカラーとは、人の肌の色をブルーとイエローに大きく2つに分けて、
イエロー」をスプリングオータム
ブルー」をサマーウインター
にそれぞれ分類して、肌の色を4種類のいずれかに区分するハウツーです。
自分の肌の色区分を知っておくと、似合う洋服、ヘアーカラー、アクセサリー、メイクなど迷うことなく、ぴったりの色をチョイスできます。例えばピンクがお好きな方、似合うのと苦手なのがありませんか?ピンクにもいろいろな色があります。

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1下の黄みがかったピンクはピタッとくるけれど、上の藤色がかったピンクは難しいと感じる方はイエローベースのお肌です。反対に上の藤色がかったピンクがお似合いだと、ブルーベースのお肌になります。ベースを間違うとイエローベースの方は青白く元気のないお顔色になってしまいます。反対にブルーベースの方は赤黒い、黄色っぽい色にお顔色が見えてしまいます。

ファンデーションもベージュ系、ピンク系に分かれていますね。
ベージュ系(オークル系)はイエローベース、ピンク系はブルーベースに該当します。
時間がたつとお顔のファンデーションの色が首の色よりくすんで変色したり、色が白く浮くような感じがする場合は、ご自分のファンデーションの色の系統を再確認してください。
自分に合ったベースにすると、見違えたようにお肌のメイクがナチュラルになります。

アクセサリーや眼鏡もゴールドとシルバーがありますが、両方使い分けているよなんておっしゃらずにイエローベースはゴールド、ブルーベースの方はシルバーがぴったりなんだと覚えておいてください。でもこれはほとんどの方が、ご自分のお似合いの色を無意識に選んで身に付けていらっしゃることが多いので、私たちはなさっている時計や眼鏡の色がどちらなのかを参考にして判断したりということもあります。

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区分分けの判断をプロはこのドレープという4種類の色で構成された120色の布で判断します。2

4種類の色をイメージで説明しますと、
イエローベース
3スプリングは華やかな明るい色が集まっていて、春の日差しの中で花が咲いているような温かい色合いが多くあります。
4オータムはリッチな重厚な感じの色が多く、秋の実りの熟した実が夕日に照り映えたようなイメージです。

ブルーベース
5サマーはアジサイの花が集まったようなさわやかな寒色系のイメージです。
6ウインターは鮮やかな目立つ色が集まって、白い雪をバックにしてこの色をまとうならば女王様のような風格が出てくるイメージです。
この120色の布を肩にかけてお顔色を見ながら判断をしていきます。

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判断の順序はまずベースの見極めからです、それぞれのベースの特長が際立つ色を対比させて、例えば鮮やかなオレンジと鮮やかな濃いピンク72色のどちらが肌を美しく見せるかモデルの肩に掛けて判断します。オレンジがしっくりと行くならベースはイエロー、ピンクならブルーとなります。(判断はこの配色だけではありません。その他にもたくさんの配色を掛けて診断します)ベースが決まったらそのベースのドレープを中心に掛けていき、お肌の色の微妙な変化を見落とさないように細心の注意を払って最終の区分に分けます。

自分の似合う色を知っておくことはとても大切なことだと思います。赤は似合わないから着ないとあきらめている方、本当はとても惜しいことをしていると思います。同じ赤でもブルーベースの赤とイエローベースの赤は違います。8お似合いの赤があることに気が付くと、今までにない新しい自分の魅力を発見できるかもしれません。

先月、友人に診断を依頼されてブルーベースのサマーと判断しました。その日彼女はラクダ色のコートを着ていたので「これは違うな。」と思っておりました。1か月ぶりの昨日、彼女が現れたとき「どなた…?」と、目を疑いたくなりました。私のアドバイス通りに薄いブルーのたっぷりとしたマフラーに澄んだ湖のようなブルーのコートを着て登場なさって、お肌が透き通るように明るくなり、瞳が黒眼がちにはっきりと映えて、フェイスラインも上がって見えたので一段と美しさが際立ち私自身驚いてしまいました。
女性が大きなイメージチェンジできるとしたら、自分の似合う色を知って自在に操ることができる「パーソナルカラーのハウツー」これしかないなと感じることしきりです。
そろそろストック、アネモネ、菜の花、スイトピー、優しい色の花が咲き乱れる季節がやってきます。長い冬のうっとしさから脱皮して、私たちも花の色に負けないように自在に色を操って、自分らしい春の色をまとってみませんか?