ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

新入学の季節


四月は新入学、新社会人などの旅立ちの季節です。 この時期には、大きな荷物を抱えた親子がちょっと不安そうに空港乗り継ぎの浜松町や新幹線最寄りの品川から電車に乗ってくるのを見かけますが、そのような親子連れを見ると私も母と大きな荷物を抱えて静岡から上京した、十八歳の時を思い出します

母の心配をよそに、娘の私は憧れの東京に足を踏みいれて、小鹿のような警戒心を持ちながらも見るもの聞くもの全てが新鮮で、これから始まる新生活に思いをはせ、車窓に流れる大都会の景色をワクワクして眺めておりました。 二人が電車を乗り継いでたどり着いた先は、学校の紹介で母が決めてきた、女子学生専用で一軒家の下宿でした。一階が大家さんの住居で二階の下宿は和室の八畳ほどのお部屋が三室横に並んでいました。共同の洗面台とお手洗いも二階にあり、私のお部屋は角部屋で同じ学校の先輩と同室とのことでした。どのお部屋も一室に二人ずつでしたが、今考えればその先輩がどのような方かもわからないのに、いきなり同室というのも随分な冒険だと思いますが、娘を手放す母からすれば、先輩がそばにいれば安心という気持ちが強かったのでしょう。

通学が始まり学校でお友達もできたころには、下宿のお仲間とも家族のように打ち解けて、お部屋同士を自由に行き来をして、まるで二階全体が一つの合宿所のような感じでした。 お風呂は近くの銭湯へ皆と洗面器を抱えて通い、また食事は大家さんが美味しい朝夕の2食を作ってくれるので、何の心配もなく自由で気ままな楽しい毎日でした。夕食が終わればどちらかのお部屋に集合しておしゃべりをするのも楽しい日課でした。 高校生の時は時間通りの枠の中で、窮屈を感じながらもこれが当たり前と思ってきましたが、東京の生活は自由でそして青春の真っただ中、鳥かごから出た小鳥のような私はピィチクと楽しげに囀りながらきらきらとして、まだ薄化粧でしたが、自分を飾ることも流行の服を身に付けることも、ボーイフレンドを作ることも覚えました。

つらつらと思い出すままウン十年前の小鳥と小鹿の私の話を書いておりますが・・・ 今になり気が付くのはこの時期は、社会の一員として生きていく最初の関門の学びの時期だったと感じます。 育った環境が違う人との接点、専門性の高い学習、可能性への挑戦、社会の仕組み、経済観念、自己責任、自己啓発、時間のセルフコントロールなど高校生の時には学べなかったものがちゃんと用意されていたのです。「可愛い子には旅をさせろ」という言葉がありますが、十代で親元を離れることは人間の成長の段階では重要なステップだと今更ながら、感じます。

しかし手放す親の方も大きな試練のようで、母は私を置いて東京を去る時に涙ぐんでいたのを忘れません、その時の両親の心配はいかばかりであったろうと、これは親になって初めてその淋しさや不安な気持ちが分かりました。 私の友人は愛する息子が独立するために家を出て行った日は、一日中、息子のベッドに突っ伏して泣いたとか・・ かくいう私も息子の「母ちゃん、別にこれが別れではないよ、将来、僕は母ちゃんと一緒に住むつもりだからね。」という言葉に思わずポロリ・・

新入学つながりでお話を進めると、私は、大手のインフラの会社の新人研修を十年以上続けた経験がありますが、高校を卒業したばかりの50人の元気でやんちゃな男子たちとの研修は今でも忘れられない素晴らしい時間でした。まるで格闘でもしているようなアクティブな二日間のその最後の時間に、いつもエールを送る気持ちで、故郷にいるお世話になった人たちの事「友人、先生、親戚、家族」を忘れないでくださいと、必ず大切な人たちのことに言及しました。 ここまで来るのに故郷の人たちとのたくさんの「さよなら」があったね。 別れるときに、「頑張れよ」「元気でやれよ」「体に気を付けてね」という声を皆が掛けてくれたでしょう、たぶん今もあの人たちは君たちのことを心配していますよ。 この人たちを安心させるには君たちが早く一人前になって、社会にお役に立つことですね、日本のために頑張ることですねと、語りかけました。

皆、静かに私の話に聞き入ります、その時彼らは故郷を、そして懐かしい人達を一様に思い出しているのでしょう。自分を温かく包んでくれた愛おしい故郷とそこで育った十八年が突然オーバーラップして、その人たちが掛けてくれた愛情に思い至り、その期待に気が付き、彼らの想いが熱い凝縮した時間に徐々に変わっていくのが、お話している私にもよく伝わってきました。 そしてすべてのお話が終わった後、皆涙を浮かべながら,純な初々しい情熱を体中に漲らせて、「先生、ありがとうございました!頑張ります」と言って、しなやかな背中を見せて研修場を後に巣立っていきました。 昔の私がそうだったように、彼らも前を向いて未来への希望に満ちてなお、背後に残してきた懐かしい人たちへの思いを忘れずにそれぞれのスタートを切っていきました。 今年はコロナウィルスもあり前途多難な船出ですが、新しい世界にその一歩を踏み出した新人君たちに今まで見守ってくれた人への感謝を忘れないで歩いていってほしいなと、思わずにいられません。

思い出すのは・・新人研修の全てが終わった帰り道に、私は決まって途中の公園に寄り、そこのベンチに呆けたように座ったものでした。今別れてきた新人君たちの新しい旅立ちに幸多かれと祈りながら、静かに目をつぶれば、心地よい疲労感と達成感が心をいっぱいに満たしていきます。 ふっと初夏の香りがするそよ風が顔に当たり、目を開けて見上げればボタン桜の花が音もなく散っています。 春はにぎやかだけど、なんだか淋しい季節だなぁと、ひとりごと。 送り出す方の淋しさを・・懐かしく思い出します。 春はまさに花満ちて、出会いと別れの季節です。