ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

岩手県大槌町に行ってきました


1か月ほど前になりますが。岩手県の大槌町に行ってまいりました。 大槌町・・・多分、ご記憶の方がいらっしゃると思います。東日本の大震災で大きな津波の被害を受けた街です。その大槌町からラッピング講座のご依頼を頂き、お伺い致しました。

釜石大槌町までの行程は東北新幹線の新花巻駅で降りたのちに、釜石線に乗り換えます。線は、昔物語で有名な遠野の風景を車窓に見ながら、とことこと、のんびり電車が田園を走り30分ほどで釜石に着きました。そこからは車で海沿いに30分ほどで到着しました。

お伺いした商工会様の建物は急増のプレハブの2階建で、野原のようなところにポツンと立っておりました。写真はその建物の眼前の風景です。 この野原は震災前にはたくさんの建物が立ち並んで、一番のにぎわいを呈していた場所でそのすべてを津波に持っていかれたことは聞くまでもなく、また聞くことも怖く、声も無くその風景を見ておりました。

商工会の方の「びっくりしましたでしょう?」の質問に肯くことがやっとの私でした。震災直後に、役場で地震被害の対策会議を開いていたところに、津波が押し寄せて行政の主だった方たちが皆亡くなった悲劇はあまりにも有名な話です。その役場の残骸のような姿が商工会からも見ることができました。

玄関前には小さなお花畑ができていて、祭壇もしつらえてありました。又時計はその時刻を指したまま、止まっていて「壮絶なあの時間を永遠に忘れるな」と見えない声を発しているかのようでした。

津波の力は私達にはおよそ想像ができないほどの凄まじさで、建物の鉄筋の部分は飴のように「ぐにゃり」とねじ曲がり,上の建物はそっくり流されてしまっています。

厚く高い頑丈な堤防もこのような有様です。

私に当時のお話をしてくださった商工会の女性の方は、裏山に逃げて一命を取り留めた方でした。その裏山からは何度も襲ってくる恐ろしい津波をご覧になったそうです。その音のすごさは、まるでジャンボジェット機が5機一斉にエンジンを回して唸りを上げているようなすごい音だったという事です。どれだけそれが恐ろしかったのか、お聞きしているうちに私は悪寒と震えがきました。その山を下りながら彼女は「人間は間違って自分たちが一番えらいんだと思い込んでしまいますが、それはとんでもないこと、人間は自然の一つにすぎないんです。」と、ぽつりとおっしゃった言葉は深く私の胸に残りました。津波の経験などが無い私が生意気かもしれませんが、私達人間の「喪失の悲しみ」の最後の落ち着く先はこの言葉なんだなと、感じました。