ラッピングコーディネーター 五味栄里先生によるラッピング講座。リボンの結び方、箱の包み方、季節に合わせたラッピングやエッセイなど

新人研修の仕事も終わり



4月になったばかりの夕暮れ、この日は翌日からの新人研修の準備にあわただしい一日でしたが、研修に入れば年に一回だけの桜にも会えないと思い時間をやりくりして仄明るく幻想的な満開の桜の下を歩いてみました。(写真1)
10日後その新人研修も無事終わり、窓から見えるうらうらとした天気に誘われ散策にでかけてみました。
あの満開の桜の時からほんの少しの時間しかたっていないのに、春は惜しむ間もなく過ぎ去って季節は確実に初夏のただなかにありました。
周りに元気な陽光が満ちてくると、人が冬の重いコートを脱ぎ棄てるのと同じに草も木も「冬」を脱ぎ、花はつぼみを持ち、木々は空に向かって「伸び」をして枝を広げ、冬の束縛から自由になった幸せを謳歌するようにエネルギーに満ち溢れていました。(写真2)

はなみずきの蕾はかくれんぼの子供のように顔を隠しているようで、とても愛らしく。(写真3)
都会のタンポポは存在感がはちきれそうに根性を出して咲いているし(写真4)紅の石楠花(しゃくなげ)に至っては、はじけて大笑いしているみたいに派手な大満開でした。(写真5)
桜は名残のかそけき花びらを死人のように横たえて、今や塵芥のごとし…‥季節は女の年齢のごとくただただ残酷なものだなー。(写真6)
などと、ぶらぶらと歩きながら季節と遊んでいましたところ・・・。


年老いた色濃い葉っぱの中で青葉若葉の葉っぱが際立って、その溌溂とした明るい黄緑がキラキラと自らが光るように輝いているのが目に入りました。(写真7)触れば柔らかくしなやかで匂いをかげば元気が薫ります。
あれ?・・これどこかで・・同じこと感じたナー・・・・
そうです!!そうです!!私の研修の新人君達です。
とにかく一生懸命で彼等のわくわく、ドキドキがこちらまで伝わってくる刺激的な数日間でした。

一人一人が輝いていて、一生懸命さがまっすぐで、泣きたいほど純情で、若いってこんなに美しいのかと目を瞠るような思いでいっぱいでした。私や先輩から叱られると子供のように肩を落とす態度、私の話に頷き涙を浮かべながら聞いてくれた情熱、教えたことに忠実になりすぎてやたらと固いマナーの振る舞いに、「君はいつからサムライになったの?」と笑いをこらえた彼らとの触れ合いは、心が熱くなる事件(?)の連続でした。
青葉若葉のその存在が他から抜きん出て目立つように、新人君達もどのような場にいても溌溂と若さがみなぎりその存在は輝いていました。それは精神の美しさが、まっすぐさが、何も汚れていない清らかさがそして未熟な熱さが真新しいスーツを通して輝いているからなのでしょうね。

悲しいけれど青葉若葉の時は人生のほんの一瞬、自然界の葉っぱのように雨風にさらされれば葉っぱも固くなり、強い日に当たれば緑も濃い色になってくるように人間もいつまでも青葉若葉でいられません。それも社会に順応していくためにはどうしても必要なことです。ふと、自分にも存在したそのまぶしい美しさを思い出して懐かしみ、重ねてきた自分の時間を手に乗せてみると、その重さにため息が出る私でした。しかしあの若葉の輝きと引き替えに得るその時間の重みが、人の財産であり、人間としての厚みになるのですから、神様が作った人生の仕組みはうまくできていると、感心してしまいます。

新人研修は、「青葉若葉君たち」のしなやかな心とほとばしる情熱と穢れない気持ちに圧倒された幸せな6日間でした。陽光に輝く自然界の若葉のまぶしさに目を細めながら「彼らの未来にたくさんの幸せがあることを祈ります。」と思わずつぶやく私でした。